直接対決

第27話 2年後でござる

 千利休さんが、うちのパン屋を訪れた。

「利休さん、いらっしゃい」

 会計のお手伝いをしている時、彼が店に入っているのを見た。俺は彼に声をかけた。

「あぁ、ヤス殿。久しぶりやな」

 あの憎き選挙の日から、2年という長い月日がたった。これほど長い時間が経ってもあの日の記憶は風化しなかった。未だにあの夢を見ることがあるぐらいだ。

「どうかなさいましたか?」

 利休さんは今でも、うちの店にたまに来てくれることがあった。利休さんのお茶も2年間、うちの店で人気商品として取り扱っている。

 その日も、いつもの商売の話かと思ったのだが、彼の様子がいつもと違う気がした。

「ささ、奥でお話ししましょう」

 俺は裕太郎さんに会計を任せて、利休さんを店の中の部屋へ連れて行った。いつもここで色々な打ち合わせをしている。彼は慣れたそぶりで荷物を置いて、椅子に腰掛けた。

「あら、いらしてたんですか、利休さん」

 綾さんはちょうど二階から降りてきたところだった。

「今、来たところや。綾殿も時間あるんやったら、ちょっとええか?大事な話があんねん」

「はい、大丈夫ですよ」

 綾さんは俺の隣に座った。大事な話とはなんだろうか。いつもとはやはり違うようだ。

「秀吉殿は?彼にも聞いて欲しいんやけどなぁ」

「多分、宿にいると思います。呼んできますね」

「おお、綾殿、おおきに」

 綾さんは急ぎ足で秀吉さんを呼びに行った。すぐ帰ってくるだろう。

「ヤス殿は最近どうや?」

 利休さんは俺にそう聞いた。

「いつも通り、元気ですよ」

「店の手伝いしながら、あの情報集めてる感じか」

「そうですね」

 俺は2年前のあの日、政治という唯一の仕事を失った。出来レース化した選挙に負けたからだ。俺たちが真っ先に取り掛かったのは、それが出来レースであったことを証明することだ。だがその確たる証拠探しは苦戦していた。権力にまみれた彼らがもう1度選挙を実施などするはずもなく、強引にでも引きずり落とすしかないのだ。

「そうか」

「で、今日のお話は一体なんでしょうか」

 俺は思い切って彼に聞いてみた。気になって気になって仕方がなかった。

「おもろい話や。綾殿と秀吉殿が来たら教えたるわ」

 彼の表情に笑みがこぼれた。そんな姿を彼はあれ以来見せていなかった気がする。何か大きく事態が動きだろうとしているのかもしれない。

 利休さんと世間話をしていたら、綾さんと秀吉さんが帰ってきた。

「利休殿、お待たせ致しましたな」

「秀吉殿!お久しぶりでございますな」

 この4人が集まるのは実に2年ぶりだ。懐かしい思いと共に、何故か気が引き締まる緊張感を感じた。いずれにせよ、俺は嬉しかった。

「利休殿、お話というのは?」

 秀吉さんは早速、彼に聞いた。利休さんはニヤリと笑った。

「越後の方から、某宛に文が届いんや」

「越後?」

 確か越後は今で言う新潟県付近だった気がする。俺の記憶が正しければの話だが。

「上杉謙信殿、ご存知か?」

 利休さんは、知らない人はいないであろうあの有名な大名の名前を出した。

「勿論です」

 俺はそう答えた。

「その上杉殿からの文やったんや。内容がこれや」

 利休さんはテーブルにその文を置いた。

 上杉謙信から千利休への手紙。現代だったら美術館に置かれていてもおかしくはない代物だ。俺は内心ワクワクしながら、それを手に取って読んだ。

 だが、達筆すぎて何が書いてあるかさっぱりわからない。俺はそのまま隣にいた秀吉さんに渡した。

「ヤス殿と話がしたい。今使者が堺に向かっている、ということでございます」

 俺は秀吉さんに内容を教えてもらった。

「俺に用があるってことですか?」

「あぁ。そうやろうな」

 利休さんは笑顔で俺の質問に答えた。俺の住所がわからなかった為、彼のもとへこの手紙が届いたらしい。正直、怖い。上杉謙信に目をつけられたのだ。ビビらないわけがない。なぜ利休さんが笑顔でいられるかが全くわからない。

「俺、何かヤバいことしました?」

「いやいや、そうやないで。これはきっとヤス殿にもええ話なはずや」

 利休さんはそう言うが、実際のところはわからない。文にも詳しい内容は書いてないし、こればかりはその使者に会って話してみないといけない。

「越後からここまでは遠く、もう少し時間がかかりますな」

 彼は俺にそう付け加えた。


「越後の虎……」

 綾さんはボソッとそう言った。上杉謙信の異名だ。彼にはせいぜい噛まれないように気をつけなければ。俺は気を引き締めた。

「それでだ、綾殿。ヤス殿が使者と会う時、お主も同席してはどうや」

「え?」

「北の大地は米も育ちにくい。民衆の主食にパンはぴったりや思うんや。大量発注はきついやろうから、作り方だけで売り込んでみるのもええと思うんや」

 なるほど。いいアイデアだと俺は思った。寒い土地でも小麦は育つ。それに、安価で大量に作れる。主食にはうってつけではないか。

「いいですね。相手の足元を見て作り方を高価で売れば、こちらも儲かりますしね」

 綾さんも随分と商売人らしくなったものだ。お金が絡むと目がキラキラと輝く。

「そこで、うちのお茶も推薦しといてくれへん?」

 利休さんは綾さんにお願いした。彼女は二つ返事で快諾した。なんでも商売に繋げようとする、彼らのその熱意に感服した。彼女のおかげでこの店は潰れずに今も繁盛しているのだろう。

「そういえば、秀吉殿。随分と今日はお静かですな。何かええことでもありましたの?」

「い、いや、まさか。ねぇ」

 秀吉さんは驚いた顔をして、かなり焦った。図星のようだ。俺は思わず吹き出してしまいそうになった。彼のそんな顔を今まで一度も見たことがなかった。

「その感じは、女の子ですか?」

「……」

 綾さんの鋭い読みは大当たりのようだ。秀吉さんは黙り込んでしまった。秀吉さんも恋をするということに、俺は少し驚いた。

「どんな子なんです?」

 綾さんは秀吉さんとは対照的に、満面の笑みだった。きっとそういう恋バナが好きなのだろう。だが俺も全然嫌いじゃない。色々聞いてみたい。

「まあ、まだ某が尾張にいた頃に出会った方でございますが……」

 秀吉さんは渋々話してくれた。俺たち3人は皆興味深々だった。

「ちょうど清洲を捨てて堺に来る前、その方と結婚の話が出ていたのでございます」

「なるほど。でも信長さんと揉めて清洲から離れてしまって、結婚は出来なかったと」

 綾さんは察しがいい。

「左様です。ですがその方にこの前、偶然お会いしまして」

「そんなことがあったんですか」

「はい。今は当時とは違って武士でも何でもない某でございますが、やはりそのお方に惹かれてしまうのです」

 何という切ない話なんだろう。これだけで一本の映画になりそうなぐらいだ。

「もう一度、結婚を申し込んでみようかと、悩んでおりまして……」

 秀吉さんらしくない、と言ったら失礼かもしれない。秀吉さんだって色恋沙汰の1つぐらいあってもいいだろう。

「お名前は?」

 綾さんはブレーキを踏まない。ガツガツ聞いていく。

「ねね、という名でございます」

 ねね?どこかで聞いたことがあるような、ないような。よくわからないが、可愛らしい名前だ。

「彼女は尾張のお方で、今日中に堺からお帰りになるそうなのです。帰る前に結婚を、と考えたりもしたのですが……」

「それなら、早よ行かなあかんがな」

 利休さんは冷静に、秀吉さんにアドバイスをした。

「ですが、彼女は浅野家のお方。某には手が届かない程ご身分が高いお方なのです」

 彼は今にも泣き出しそうだった。だが彼が恋に悩む姿はなんだか微笑ましかった。言い換えれば彼も恋に悩めるほど、余裕ができたということだ。今までは俺が彼に散々迷惑をかけた。そのせいで昔は恋を育む時間もなかったのだろう。俺は申し訳なく思いつつも、この機会を逃して欲しくなかった。

「秀吉さん、愛することによって失うものはありません。しかし、愛することを怖がっていては何も得られませんよ」

 俺は秀吉さんにそう言った。俺が送るべき言葉はそれだけだ。

「秀吉殿、今すぐ行ってきなはれ。ねね殿が待ってはるんちゃいます?」

 やっと心を動かされたのか、秀吉さんはゆっくりと立ち上がった。緊張しているようだが、完全に心を決めたようだ。

「誠に、ありがたく存じます。では、行ってまいります」

 秀吉さんは勢いよく部屋から飛び出していった。俺たちは彼を暖かく見送った。なんだがホッとするような瞬間だった。俺は彼の恋愛が上手くいくことを、心の底から望んでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る