第23話 千利休でござる

 次の日の朝、綾さんに叩き起こされた。

「いつまで寝てるのぉー」

 彼女は俺の体をユサユサと左右に揺さぶる。

「ごめんごめん、今起きた」

 俺がそう言っても、彼女は揺さぶるのをやめようとしない。徐々に眠気が飛んでいく。

「起きて起きて起きて〜」

 彼女に急かされて、俺は布団から這い出た。そして畳の上で仰向けになった。そうするとまた眠気が俺を襲ってくる。

「ちょっと!また寝ようとしてるじゃない!」

 彼女は俺の腕を強引に引っ張った。俺は二度寝を諦めて立ち上がった。

「おはよ」

「遅い!千利休さんはいつ来るかわかんないんだから、準備してなきゃ駄目じゃないの」

 俺はうんうんと軽くうなずいて、その場に腰を下ろした。

「駄目!座ったら駄目。どうせ寝るんだから」

 彼女はまた俺の腕を引っ張った。その時、彼女は大きくあくびをしたのを俺は見逃さなかった。そのことに気づいた彼女は目を逸らした。

「今、あくびした?」

 俺は少し彼女をからかってみた。

「あくびぐらい、いいじゃないの」

 少し怒らせてしまったようだ。

「早く着替えて!もう開店時間なんだから」

「あーそこ。そこに俺の着物入ってるからとってー」

 彼女は呆れた顔をしながらも、面倒臭そうに俺の着物を取ってくれた。

「ほら。甘えてないで早く着替えて」

 俺たちはそうやってふざけながらも、準備ができ終わったらすぐにパン屋へと向かったものすでにお客さんの姿はちらほら見える。裕太郎さんの客寄せの声も聞こえる。

 千利休さんはいつ来るのかはわからない。その時に備えて俺たちは中で待っておく。店の奥の部屋に俺らは入った。すでに秀吉さんが中にいた。

「おはようございます。お待たせしてすみません」

 だが秀吉さんは返事をしなかった。あぐらを組んで下を向いたままだ。

「もしや、寝てる?」

 綾さんは俺の後ろで小さく笑った。

「そうだね」

 俺も思わず吹き出してしまった。正直、気を引き締めるのは千利休さんが来てからでいい。今はリラックスしておくのが良い。そういう意味では秀吉さんが正しいとも考えられる。

「俺も寝ていい?」

 俺は冗談半分で彼女に聞いてみた。

「駄目。もう散々寝たでしょ?」

 俺は諦めて目の前の椅子に腰掛けた。テーブルの上には朝ご飯のパンが用意されている。助丸さん達が用意してくれたのだろう。俺は丸っこいパンを選んで食べた。彼女は俺の向かいに座って、似たようなパンを取って口に入れた。

「交渉、上手くいけばいいけどなぁ」

「大丈夫よ。天下の秀吉さんがいるんだから」

 彼女のその言葉に俺は少し安心した。なんとかなる。今はそう信じることが出来る。これも俺のことを支えてくれている人たちのおかげだ。


 それから数時間が経っただろうか。太陽も完全に姿を見せ、部屋の中にいても汗をかいてしまうほどの蒸し暑さが俺を襲う、そんな頃だった。助丸さんが俺の名を小声で呼んだ。

「ヤス殿、いらっしゃいました」

「わかった」

 俺は改めて椅子に深く座り直した。向かいに座っていた綾さんは俺の隣に席を移した。先程まで寝ていたはずの秀吉さんはいつの間にか目を覚まし、綾さんの隣に座った。

「こちらです。どうぞ」

 裕太郎さんが千利休さんをこちらに案内しているのが聞こえた。俺も段々緊張してきた。その時、サーっと戸が開いた。そして、優しそうなおじさんが入ってきた。この人が千利休さんで、間違いない。オーラがすごい。

「わざわざご足労いただきありがたく存じます」

 秀吉さんは立ち上がって、深々とお辞儀をした。俺も同じように頭を下げた。

「やや、これはなんぞや」

 利休さんは、この時代には本来無かったであろうテーブルと椅子を見て感心した。実はテーブルも椅子も全て自作なのだ。

「おかけください」

 秀吉さんは利休さんを綾さんの目の前の席に座らせた。こうして近くで見てみると彼は意外と若くて、教科書で見た絵とはまるで違った雰囲気だった。

「私が佐藤綾と言います。べーかりー綾の店主です。本日はよろしくお願い致します」

「おお。お主が綾殿か。よろしゅう頼みますわ」

「安田健太です。よろしくお願いします」

「羽柴秀吉でござる。どうぞよろしく」

 利休さんは頭を傾げた。

「横のお二人、会合衆のものではなかったか?なぜここにおるんや?」

 彼は俺と秀吉さんを指差してそう言った。俺らの名前は知っていたようだ。ま、一応同業者なので当然と言えば当然だ。実際にお会いしたのはこれが初めてなのだが。

「会合衆が何の用や。今は政治やなく、お茶の話をしに来たんや」

「それは承知です。その上でご提案がございます」

 綾さんはゆっくりと喋る。随分と落ち着いているようだ。

「私たちの店で千利休さんのお茶を置かせて頂く代わりに」

「次の会合衆の集会で、選挙に賛同していただけませんか?」

 綾さんが途中まで、残りを俺が端的に伝えた。利休さんはまだ怖い顔をしたままだった。秀吉さんが、選挙というものが何なのかを、丁寧に伝えた。

「せんきょ?」

 俺は選挙について、最低限の説明をした。

「はあ」

 利休さんは俺らの計画に気づくと、大きな声でため息をつき、眉間にシワを寄せた。腹を立てているように見えた。もしここで反対されてしまったら、俺らの作戦は一気に破綻する。

「そんな駆け引きで、某が選挙に賛同するとでも思ったか」

 彼から出た言葉は、俺らの希望を打ち砕くものだった。終わった……。俺はこの一瞬で何もかもを失った気分だった。だが、その時利休さんの顔に笑みがこぼれた。

「民衆の意見を聞くための選挙?ええ案やないか。そんなもん普通に言うてくれたらええのに」

「え?」

 俺は思わず聞き返してしまった。彼の言いたいことが正直まだ分からなかった。

「某は選挙の導入に賛同致す。しかしそれは某がお主の駆け引きに負けたからやない。純粋にその制度がええなと思っただけや」

「利休さん……。本当にありがとうございます!」

 俺は彼に深々と礼をした。彼には感謝をしなくてはならない。彼ほど堺の民のことを考えている人はいないだろう。歴史に名を残すだけのことはある。完璧な人格者だった。

「ただ、1つ気になったことがある」

「何なりと」

「職種ごとに選挙をして、その代表者を会合衆とする。その案には反対や。差別助長にも繋がるし、なんせ金持った商人は政治から追い出すべきや。あいつらは自分のことしか考えとらん」

「確かにそうかもしれないですね」

「選挙を別々にやるんやったら、金もかかる。その金は税金なんや。民衆のためやって言うてやってんのに、金がかかっとったらあかんわ」

 彼の言っていることは一貫して、民衆の立場になって考えた意見だった。俺たちは彼の意見に同意した。そちらの方が断然良い。俺には配慮が足りていなかった。

「あと、店頭にこれ並べといて」

 彼は自分の袋から茶葉が入っているであろう小袋を沢山取り出した。

「販売価格はなんぼでもええ。売り上げの半分はこっちが頂くわ」

「はい。喜んで」

 綾さんは笑顔で彼に言った。彼もすっかり笑顔になっていた。俺は胸を撫で下ろした。まだ1つ目の段階が終わっただけなのに、俺はすっかりホッとしてしまった。勝負まだこれからなのに。

 

 30分にも及ぶ話し合いは終了した。利休さんは去り際、

「もう1回言うとくけど、お主らの駆け引きに負けて引き受けたわけやないからな!」

 彼は冗談半分にそう言い残して、パン屋を後にした。なんとも面白い人だ。是非ともこれからも協力して欲しい。俺たちと利休さんは、これから長い付き合いになるかもしれない。

「良い人でございましたな」

 秀吉さんは安堵の顔で俺にそう言った。彼もこの難局を乗り越えられて一安心といった様子だった。

「だがヤス殿。こっから先はそう簡単にはいくまい。選挙を勝ち抜かねばならぬのだ」

「はい。なんとしても勝って、堺を平和に」

 俺たちは健闘を約束した。


 後日、会合衆の集会で正式に選挙の実施が可決された。千利休さんの説得で、ほぼ全員の同意が得られた。同時に選挙の日程も決められた。

「1ヶ月後だ。よろしいな?」

 会議の結果、猶予は1ヶ月となった。それまでに立候補者は宣伝活動を経て、選挙を迎える。現代の選挙と比べたら、格段に簡易化された選挙だ。だがしかしこれは民主化の大きな一歩だ。俺は気を引き締めて、この選挙に臨む。

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