第20話 改革でござる

 北庄経堂に通い始めてもうかなり時間が経った。親切な人がとても多く、楽しい職場だ。だが同時に、政治を流れ作業でこなしてしまうことも少なくなく、保守的な考え方が中心になっている。政治というよりは、日々淡々とお役所仕事をしていると言った方がいいのかもしれない。

 保険治療のことも、未だに反対意見は多い。それは市民も役人も同じだ。大きな変化を加えることに抵抗がある人が多い。

「おはようございます。塩屋さん」

「やや、これはこれは、ヤス殿。ちょうどいいところに来なさった。今、ヤス殿を斬った犯人を取り調べていたところよ」

 塩屋さんはそう言って、俺を奥の部屋へ連れて行った。

 最近は忙しくて忘れていたが、そういえば俺は通り魔にあっていたのか。今思うと物騒な世の中だ。やはり政治の改革が急務なのには変わりない。一層危機感を感じる。

「どうだ、ご自分で取り調べなさるか?殺すも生かすも自由にして良いぞ」

 塩屋さんは俺に刀を差し出した。俺は慌てて頭を横に振った。人を殺すなんて考えられない。それが犯罪者だろうが、自分を殺そうとした奴だろうが。

「結構です。少しお話だけさせてください」

「そうか。ではお入りくだされ」

 塩屋さんはゆっくり戸を開けた。中は薄暗かったが、正座して座っている人がいるのは確認できた。下を向いて、手を後ろで縛られているようだった。

「だ、大丈夫ですか?」

 俺は思わず声をかけてしまった。あまりに酷い姿をしていたのだ。だがその人に反応はない。それもそうか。これほどまで痛めつけられて、簡単に他人に心は開くとは思えない。

 俺は彼の前に座った。

「正座じゃなくても良いですよ。その姿勢でいるのも辛いと思います」

「駄目でございますよ、こんな奴に優しくしては。ヤス殿を襲った犯人ですぞ」

 塩屋さんは俺に厳しく注意した。でもその考えは令和の時代には通用しない。人には生まれながらにして人権がある。それがどんな人物であろうと関係ない。

「塩屋さん、俺のやり方で取り調べをさせてください」

 俺は塩屋さんに頼み込んだ。彼は渋々了解した。その間にも通り魔の犯人の彼は微動だにせずうつむいたままだった。

 俺は立ち上がって、彼の手をきつく縛ってあった紐を解いた。塩屋さんには冷たい目で見られているが、それはそれでしょうがない。この時代の犯罪者に人権はなかったのだろう。たとえどんな人間であろうと、最低限の暮らしを保障してあげるのは当たり前のことだ。

 俺はその紐を解き終えると、自分の席に戻った。紐を取ったにも関わらず、彼は動こうともしなかった。

「お名前は?なんていうのですか?」

「……」

 全く反応がない。3人の呼吸音だけが部屋にこだまする。塩屋さんは俺の態度に呆れている様子だった。

「ご飯とか食べてないんじゃないですか?」

 俺は優しく問いかけた。彼が心を開いて事情を話してくれない限り、どうして良いのかもわからない。このまま彼を刑に処すのも気が引ける。

「お水とか要ります?」

 俺がそう聞くと、彼は一瞬顔を上げた。だがすぐにまた下を向いてしまった。

「塩屋さん、水と何か食べるもの用意してください」

 塩屋さんはますます驚いたが、重そうに腰を上げて部屋を出ていった。

 俺はもう一度、彼に向き合った。

「そういえばまだ名乗ってませんでしたね。安田健太と言います。ヤスと呼んでください」

 俺がそう言うと、彼は一瞬俺の顔を見た。

「あなたのお名前は?」

「……なぜ?」

 彼は小さな声で言った。その声はかなり震えていた。恐怖に押しつぶされそうな彼の心情の中が少し垣間見えた。

「安心してください。俺は何もしません」

「なぜ……?なぜ某を生かす?」

 彼は少しずつ話し出してくれた。俺はそのことに少しホッとした。

「あなたには生きる権利があるからです。更生してまた幸せになる権利があるからです」

「某はもう死にたいのだ。そもそもあの事件も生きることが嫌になったからやったのだ。お金もない住むところもない食べるものもない。誰も手を差し出してはくれない。もうこれ以上生きることなど望んではおらぬ」

 俺はこの瞬間、悟った。彼は通り魔事件を起こした加害者、が同時に彼は被害者でもあったのだ。社会保障などがあればこの事件は防げたかもしれない。様々な社会の不条理が彼を苦しめたのは明らかだ。堺の脆弱な政治体制がこのような事件を起こしているとも考えられる。

 そうなると全ての犯罪が政治問題に帰着することになる。俺らが動くことによって、残酷な事件は徐々に少なくなっていくかもしれない。

 しかし、そもそも刀が浸透している世界に平和をもたらせるのか。出来るだけ急がねばならない。

「お金がない?働いていたのですか?」

「もちろん」

「何をしていらっしゃったのです?」

「呉服屋の従業員を」

「お給料はどのくらい?」

「一月で100文でござる」

 綾さんの店のパンの値段が10文と言っていた。それと比べても一月100文では到底暮らせる額ではない。

 その時、塩屋さんはお盆に米と水を乗せて戻ってきた。それを彼の前に置いた。

「本当に頂いてもいいのでしょうか」

「もちろんです」

 彼は少し微笑んでゆっくりと食べ出した。聞くところによると、彼が何かを口にしたのは3日ぶりなのだという。被疑者の待遇も今後改善しなくてはいけない。

 とにかく、今回この人の話を聞いて俺は大きな収穫が得られた。それは貧富の差だ。この彼を見ているとわかる。これ以上差が広がれば、貧しい人は人間生活が送れなくなる。

 資本主義の悪いところだけ拡大したこの堺は、いずれ内側から爆発してもおかしくはない。ただでさえ戦乱の世の中なのだ。堺は日本で唯一、戦国大名の支配下にない特殊な町だ。ここを守るために、最善を尽くさなければならない。


 彼はその後、収容所に移送された。彼がまた社会に出たときに、堺を見違えるほどいい街にしていたい。俺はただそう思った。だが道のりはそれほど簡単なものではないだろう。そのぐらいはわかっている。

 そもそも会合衆は有力商人の集まりだ。この集団が政治をしている限り、貧困の差はますます広がる一方であろう。彼らは自分が得になることしかしようとはしない。もし俺が何か策を打ち立てても、多数決で反対されて終わりだ。

 まずは会合衆のメンバーを一新する必要があるかもしれない。選挙を実施するのがいい案だろう。

「どう思いますか、秀吉さん」

 秀吉さんもその人心掌握術で、会合衆の一員となっていたのだ。俺は他の人には聞かれないよう、小さな声で秀吉さんに相談した。

「せんきょ?それは一体なんぞや」

「つまり、誰が政治をするのかを一般市民の投票で決めるということです。そうすればもっと民の意見が政治に適用されると思うんです」

「なるほど……」

「その後、最低賃金を法律化します。また労働組合もそれぞれの職場で作らせます。そうすれば貧富の差は縮まるはずです」

 秀吉さんは頭を悩ませているようだった。現実問題、そう上手くはいかないことは彼もわかっているようだった。あくまでこれは俺の中での理想論でしかない。

「最初の壁は、選挙じゃな」

「そうですね」

「そもそも今の状況では選挙の実施も会合衆の多数決で反対されてしまうじゃろう。まずはどうにかして選挙を実施させねばならぬ」

 この高い壁を超えてこそ、堺の明るい未来がある。選挙は計画の初めの第一歩に過ぎない。だがこれを成功させねばならない。いざ、改革の時だ。

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