第18話 刀は要らぬ、でござる
「明日こそ、土地を探さないとね」
綾さんは俺に言った。日は完全に沈み、早寝早起きの秀吉さんはもう寝てしまっていた。俺らは2人で、いろんなことを話し合っていた。
彼女は最近ずっとやっていたという、編み物の続きをしていた。
「うん。そうだね」
俺はそう答えた。
「大丈夫?顔色悪いけど。寝た方がいいんじゃない?」
「大丈夫。でもなんか寝れなくて……」
俺は病院で一日中寝てたせいか、眠気がほとんど湧いてこなかった。おまけに色々と考えなければいけないこともある。政治の件だ。このまま塩屋さんを放置しておいていいはずはない。明日までには結論を出さねば。そう考えると、俺はこのまま易々と寝てしまうわけにもいかなかった。
「背中、大丈夫?」
「もう痛みはそんなにないかな」
綾さんはじーっと俺を見上げた。そしてまた手元の縫い物に視線を戻した。
何も考えずに俺は天井を見上げた。すると、一瞬背中にピリッと痛みが走った。
「いてっ!」
俺は思わず大きな声を出してしまった。俺は自分の背中に手を当てた。
「絶対に無理しないでね」
彼女はそう言って、一旦立ち上がって俺の背中をじっくりと見た。特に目立った問題がないことを確認すると、彼女は元の場所に座った。
「血とか出てなかった?」
「うん。出てなかったよ」
彼女は黙々と縫い物を続けた。
「何作ってんの?」
と俺が尋ねると、
「エプロン。可愛いでしょ」
と自慢げに見せてくれたのだが、まだ俺にはそれがエプロンかどうかもわからなかった。それがどの部分なのかもわからない。
「う、うまく出来てるね」
「そう?嬉しい」
彼女は楽しそうに微笑んだ。楽しそうで何よりだ。1つのことに熱中できることが俺には羨ましかった。
「パン作るの楽しみだぁ」
と綾さんはボソッと呟いた。目がキラキラしているように見えた。
「ねえ、綾さん」
「ん?」
「俺の目、キラキラしてる?」
俺は極めて真面目なつもりだったのだが、彼女は笑い出してしまった。唐突すぎたのかもしれない。
「え、どういうこと?」
「いや、真面目な話。どう思う?」
彼女は軽く首を傾げた。編み物を一旦やめて、地面にそれを置いた。
「キラキラしてないよ、特に今日は」
綾さんは俺にそう言った。わかっていたような、初めて気づいたような。でも改めて彼女に言われると、俺は少し悲しかった。さっきまでの彼女の笑顔はなかった。
「そうだよね……」
俺は下を向いた。そんな俺を見かねた彼女は、心配そうに俺の隣に座った。
「何かあった?塩屋さんの件も、なんか変だったよ」
綾さんは俺に聞いた。でも残念だがその答えを俺は持ち合わせていなかった。訳のわからない苦しみに苛まれていたのだ。
「わかんない。でもなんか……」
俺の視界に、彼女が先程まで取り組んでいた編み物が目に入った。丁寧に編み込まれているのは素人の俺にでもわかった。
彼女は何も言わなかった。何も言わずに、俺が言葉を探している間、ずっと黙って待ってくれていた。
「編み物、楽しい?」
俺は素朴に疑問に思った。
「うん。楽しいよ」
彼女は素直に答えてくれた。彼女の顔に笑みがこぼれる。その笑顔は俺にはないものだな、と俺は直感的に気がついた。ピュアな気持ちで打ち込めるものがない。
「そっか……」
と、声に覇気がないのは自分でも気がついた。彼女は、俺の異変を感じとったのかもしれない。彼女はゆっくりと俺に体を寄せた。
「どうするの?塩屋さんの件。断っちゃうの?」
彼女は俺に聞いた。
「なんか、何をするにもやる気が出なくて」
俺は思い出した。そういえば、タケが織田信長の家臣になると言った時もそうだった。自分だけやりたいことが見つからず、結局パン屋のお世話になってしまった。
「ヤス殿」
秀吉さんの声だった。俺は後ろを振り返った。
「それは言い訳ではござらぬか」
秀吉さんは俺にそう言った。彼の声は俺にグサッと刺さった。
「ふざけるのもいい加減にしなくてはならぬぞ、ヤス殿」
「秀吉さん、言い過ぎ!」
「言い過ぎではござらん。綾殿の方が甘やかしすぎじゃ」
秀吉さんにそう言われた彼女は、しゅんとしぼんでしまった。秀吉さんは俺の前まで来て、俺の両肩を強く握った。
「いいか、ヤス殿。あの時のことを思い出しくだされ。信長様に向かって歯向かったあの日のことを」
「……」
「あの日のヤス殿は、今のようなお姿ではなかった。世のため人のためを本気で思っていたのではござらんか」
「.……」
「やる気が出ない?あなたは塩屋殿に何と申しておった。『民衆の声を無視してはいけない』とご自分で申しておったではないか。ヤス殿がこの話を断るということは、民衆の声を無視していることに他なりませぬ!」
秀吉さんは俺にそう言うと、大きくあくびをした。
「某はもう寝る。明日にご決断をお聞かせくだされ」
と、それだけ言って布団に潜ってしまった。俺は綾さんの方を見た。彼女もまた俺を見ていた。
「秀吉さんの言う通りかもね……」
綾さんは俺の顔を見ながらそう言った。
「俺って、そんなに必要とされてるの?」
俺は疑問に思った。俺はまともに政治の勉強をしたことがない。興味を持ったこともない。そもそも俺が生きていた世界は、政治に興味を持つ若者などほとんどいなかった。世間話はyoutubeの話で持ちきりで、政治の話をする奴は変わった目でみられていた。ネット上で下手に騒げば右翼だの左翼だのと、すぐ持ち上げられて叩かれる。
「ヤスくんの正義感、私はすごいと思うよ」
「え?」
「でも正義感が強い代わりに、自己顕示欲が弱すぎるの。もっと自分に自信を持つべきよ」
「うん……」
「あなたなら出来る。絶対に」
綾さんは俺の手を強く握った。
「カッコ良かった。信長に人の命の重さを訴えている時。幸せそうだった。保険なら人を救えるって言ってた時」
いつしか俺は、彼女の手を握り返していた。その体温に触れているのが、心地よかった。俺は彼女に触れながら気づいた。自分の弱点に気づいた。
それは行動力だ。タケは自分のやりたいことに走っていった。それに比べて、俺は今もこうして自分から逃げている。こうやって燻っているのはきっと良いことではないはずだ、やっとやりがいのあることを見つけたんだ。
政治、それは現代社会では限られた人間のものになりつつある。政府に対する国民の不信感は膨れ上がり、投票率は一向に下がり続けている。若者の政治離れは大きな社会問題の1つだ。
だが、俺の目の前にはそのチャンスがある。堺を、いや国を変えられるかもしれない。
そうだ。もっとこの国をより良くしよう。争いのない、平和な世の中を作ろう。きっと誰しもがそんな戦争のない世の中を望んでいる。そう思えば、全国を統一するのに刀は要らない。誰も損をしない、素敵な日本にしてやる。
俺は生まれてこの方、初めて夢ができた。ドでかい夢だ。夢は叶えてナンボだ。絶対に叶えてみせる。
「綾さん、抱きしめてもいい?」
「え?何?急に何?」
俺はそう言って照れる彼女を思いっきり抱きしめた。遠慮はなかった。
「もう……」
彼女は俺の腕の中でそう言った。彼女は俺の背中にゆっくりと手を回した。
「綾さん、俺決めた。会合衆に入って、政治をする」
「うん。それでいいの」
「それで、全国を統一する。刀を使わずに。そして世界一平和な世の中をつくるんだ」
彼女は笑い出した。
「いいと思う。突拍子がないような気もするけど」
「そう?」
「うん。でも素敵、カッコいい」
俺は素直に嬉しかった。俺は笑った。久しぶりに大きな声で笑った。
時刻はすでに夜の11時。徐々に体が冷えてきて、さっきまで飛び跳ねるように元気だった俺だったのだが、忘れかけていた頃になって急に眠気が襲ってきた。俺は布団にも入らず、畳に寝そべった。背中の痛みはもう気にならない。俺はそのまま眠ってしまった。
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