第17話 会合衆でござる

 俺らがこの町に来た本当の目的、それは綾さんのパン屋の場所決めだ。俺のせいで予定は随分と後ろ倒しになってしまった。が、こうして一件落着したところで、俺らはようやくパン屋に最適な候補地を探せる。だがその前に、秀吉さんの提案通り、会合衆の方々に挨拶に行くことになった。彼らは「保険」の考案者である俺に会いたがっているようだった。

 俺は会合衆という言葉を初めて聞いた。それは綾さんも同じだったようだ。秀吉さん曰く、堺は他の町とは大きく違うらしい。何が違うか。それは、堺はどの大名にも支配されない、いわゆる自治都市だ、ということだ。その自治を行なっている10人の大商人のことを会合衆、と呼ぶらしい。

「武士は政治に介入しないんですか?」

「そういうことでござる」

 もしかしたら堺は、この日本で最も進んだ町かもしれない。武士がトップではない、ということに俺はかなり驚いた。

 そして俺は気づいた。町の至る所に掲示板があり、そこに健康保険についての記事が載ってあった。俺と秀吉さんはそれを見るたびに誇らしげに思った。しかし、それを見た住民たちの反応は決して優れたものではなかった。

「これで好きな時に医者に行けるようになるとな」

「また増税でござるか。治療費は要らないから、税を安くしてはくれまいか」

 他にも、様々な意見が飛び交った。俺の想像通り、急な増税と「保険」という未知の物に、住民は混乱しているようだった。

「なかなかいい評判ではござらんな」

 秀吉さんは困った顔で俺に言った。俺はうなずいた。

「もっといい策を講じたいですね」

 俺は答えた。俺ならまだ役に立てる気がする。現代の社会はもっと複雑な制度になっているはずだ。それを工夫すれば、この時代にも通用することはあるかもしれない。

「なんか、目が生き生きしてるよ」

 綾さんは俺に言った。正直、そんなつもりはなかった。

「え?ホントに?」

「うん。なんか楽しそう」

 確かに、楽しいのかもしれない。この堺という町に保険という制度を導入したことは、俺にとって凄くやりがいのあることだった。

 最初は綾さんを救うためのものに過ぎなかったが、この制度はこの堺を救うかもしれないのだ。まだ制度としては甘い部分があるのだが、もっと熟考していけばより良いものになるはずだ。

「ここでございます」

 俺らが案内されたのは、北庄経堂という場所だった。簡素な住宅街の中にある、やや大きな建物だった。ここに会合衆の方々は時折集まり、堺の政治を行なっているらしい。

 俺は敷地内にゆっくりと足を踏み入れた。

「ようこそいらっしゃいました、ヤス殿」

 向こうから偉そうな人が現れて、俺に頭を下げた。俺や綾さんも急いで頭を下げた。

「こちらは、塩屋宗悦殿じゃ。堺で茶人をしておられる」

 秀吉さんは俺らにそう紹介した。

「お願いします。ヤスです。」

「綾です」

「どうですか、お怪我の方は?」

「はい、無事になんとかなりました」

「よかったです。あなたのような優秀なお方が死なずにすんで。こちらへどうぞ」

 と、彼は俺らを奥の部屋へと案内した。建物内は厳かな空気で、まさに政治を司るような方々が集まる場所のような気がした。なんだか今になって気が重くなる。

「いやー、会えて本当に良かったです」

 塩屋さんは嬉しそうにした。

「あ、ありがとうございます」

 そんなことを言われると、俺も照れてしまう。

「どうです?堺はいい町でございましょう」

 塩屋さんはそう言いながら、部屋の真ん中に腰掛けた。俺らはその前に並んで座った。

「そうですね。自治をなさっているなんてすごいですね」

「それはそれは、おおきに」

 塩屋さんは本当に優しい方であった。ずっとニコニコしていながらも、俺の発言にしっかりと耳を傾けてくれる。

「保険、あれは妙案でございますな」

「うーん。でもやはりまだ欠点も多そうです」

「そうでござるか?」

「はい。かなり税が高いとの声もありました」

「ある程度は仕方ないのだがなぁ」

「保険の対象を、希望者だけにしてはいかがでしょうか」

 塩屋さんはぽかーんと口を開けたままだった。

「保険を希望する方は、税が高くなる代わり、治療費の負担は要らない。逆に希望しない方は、税は安くなりますが、治療費は自己負担にするのです。最初から全員が対象だと、批判の声は強まるばかりですからね」

「な、なるほど」

「どうでしょうか?」

「悪くはありませぬな。しかし、批判など無視しておけば良いのではないか?わざわざ面倒くさいことなどする必要ござらん」

「そんなわけにはいきません。政治というのは、この地に生きる人達の為にやるものです。民衆の声を無視したり、手を抜いたりしたらいけません」

 俺は少し口調を強めて言った。塩屋さんは納得の表情だった。

「ヤス殿はこういうお方です。民のお気持ちを考えて行動なさっているのです」

 秀吉さんはそう付け加えた。そう言われると恥ずかしい。決してそんなつもりはない。それが政治のあるべき姿だと思うからだ。実際どうなっているかは、勿論わかったものではない。

「ヤス殿、某から提案がござるのだが」

 塩屋さんは急に真面目な顔になった。

「ヤス殿、堺の政治に興味はありませぬか?」

「え?」

「実は、今日はそのことを伝えに、ヤス殿をお呼び申し上げたのです。会合衆に加入していただけませんでしょうか一緒に堺を変えませんか?」

 俺は悩んでしまった。興味はなくはない。でも、やろうとしていることがあまりに大きい気がした。俺にその能力があるとも確信できない。本格的に政治をするのには、俺には謎の抵抗があった。

「やってみる価値はあるんじゃない?」

 と綾さんは俺の背中を押してくれた。彼女の言葉は俺には大きな力になるのだが、俺はどうしても決めきれなかった。何故だろうか、気が乗らないのであった。俺にも理由はわからない。突然、頭の中がモヤモヤする。一体俺はどうしてしまったんだろうか。

「す、すいません。考えさせてください」

 俺は長い沈黙の後、小さな声でそう言った。何も考えずに、俺は言った。

「や、ヤス殿?どうかしたんですか?」

「ヤスくん。さっきは面白そうって言ってたよね?」

「面白そうなんだけど、なんか違うなぁって。俺もよくわかんないんだけど」

 塩屋さんは残念な顔をしたが、

「ヤス殿のご決断なので、どうこう言うつもりはございませぬ。いつでもご返事、お待ちしております」

 塩屋さんは顔に優しい笑顔を浮かべた。俺は礼を言った。

 俺らはそのまま、北庄経堂を出た。時刻は夕方になっていた。オレンジ色の太陽が町の上空で煌めいている。今日の俺には、やけに眩しく見えた。

「ヤスくんなら、いいよって言うと思ってた」

 綾さんは俺に言った。俺もそう思われる気持ちはわかる。ただ、俺のどこかから拒絶反応が起きているのだ。

「ヤス殿、気分が悪いのでございますか?」

「いや、体調は大丈夫です。ただ....」

「ただ?」

「心の整理がつかないっていうか、なんていうか....」

 これほど言葉にできない感情は初めてだった。綾さんや秀吉さんという、最高の仲間に囲まれているのだが、そんな彼らにも自分の感情を伝えることも出来なかった。もどかしい気持ちだった。

 一晩寝たら治るのか。そんな類のモヤモヤではない気がする。

 奇妙な話だ。保険のことを考えている時は、あれだけ人の役に立てて嬉しいと思っていたのに、いざ政治の世界に足を踏み入れようとすると、俺はたじろいでしまう。

 俺は大きくため息をついた。吐息は夕焼けの中に消えた。

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