第6話 気をつけろ!でござる
翌朝、部屋が太陽の光で明るくなって、目を覚ました。部屋の中なのに、太陽の暖かさをすごく感じる。それがこの当時の建物の素晴らしい点なのだろう。体を起こして周りを見渡す。既に隣に寝ていたはずの3人はいなかった。
枕元に置いた腕時計を見た。11時。かなり長い時間寝ていた。厨房から話し声や、パチパチと火を焚く音がする。そして香ばしいパンの匂い。俺はたまらず立ち上がり、厨房を覗いた。助丸さんと権兵衛さんが生地をこねていた。
「おはようございます。すいません、寝過ぎちゃいました」
「いえいえ、もうヤス殿もお疲れなのでしょう。今パンを焼いていますので、しばらくお待ちくだされ」
「もうパン屋は営業しているんですか?」
「今日は休業でございます。定休日でございますから」
「そうなんですか」
「まあ、戦があるうちはあまりお客さんは来ませぬ故、休んでも問題はありませぬ。春日部は武士の多い町ですから、戦が起こると人がいなくなるのございます」
「商人さんは少ないのですか?中心街には結構いたような気がしたんですけど」
「あの方々はほとんど他の土地から来た者です。ここは交通の便が良いので、卸売業者などが多く来られるのです。戦が起こるのを聞きつけると、皆帰ります」
俺は納得した。確かにいろんな方言を喋る人がいたような気もする。
「あと、ヤス殿」
「あ、はい」
「信長様はもう城を出発して、南東に向かったと」
「ということは、タケも....」
「左様です」
タケ、絶対に死ぬな。俺は心の中で何度も唱えた。歴史通りに事が進めば、戦いには勝てる筈だ。そう言い聞かせてみるものも、俺の緊張はなかなかほぐれなかった。勝てたところで、タケが死なない保証には全くならないのだから。
朝ごはんに焼きたてのパンをいただいた。俺が店の外に出ようとすると、助丸さんに外出は駄目だ、と釘を刺されてしまった。俺は特にするあてもなく、店内をうろついた。料理なんか微塵も出来ないので、助丸さん達の手伝いをする気にもなれなかった。
「そういえば、綾殿は?まだ起きられていないのございますか?」
裕太郎さんは座布団に座ったまま俺に聞いた。彼もまた何もする事がなく、居間でぼーっとしている。
「そのようですね」
「珍しいです。綾殿がお昼まで寝ていらっしゃるのは」
「ふーん」
俺は全力で何も知らないフリをした。特に興味がないように装う。
「某はタケ殿のことが心配でございます」
裕太郎さんは、俺の反応が鈍かったからか、話題を変えた。
「俺もです」
「とにかく、信長様とタケ殿のご安全を願うほか手はございませぬ」
彼はそう言うと、両手を合わせて目を閉じた。しばらくそうした後、畳に大の字で寝っ転がった。気持ち良さそうだったので、俺も裕太郎の隣で横になってみた。
「未来のお方は、このような暇の時何をなさるのですか?」
「うーん。スマホとかをずーっといじってます」
「すまほ?それは一体どのような物でございますか?」
「なんていうか、要するに、なんでもできる代物です」
「なんでもできる?何ができるのでございますか?」
俺は思い出した。そういえば、俺はスマホを持っていた。まだ電源があるかはわからないが、裕太郎さんに見せてあげたい。だが、俺は自分の荷物がなくなっていることに気がついた。
「すいません。俺の荷物知りません?その中にスマホがあるはずなんですが」
「ヤス殿が着ておられた服とかでしたら、2階の収納部屋にございますよ」
確か、ズボンのポケットに入ってたはずだ。医学館で着替えた時に落としてなければ、今もあるはずだ。
「取ってきます」
俺は部屋を出て階段を駆け上がった。2階に上がると、そこは昨夜と違って随分と明るい場所だった。左手に綾さんが寝ている部屋がある。俺は彼女を起こさぬよう廊下を忍び足で歩いて、奥の収納部屋に向かう。
ガラッと障子を開けると、沢山荷物が置いてあるのがわかる。ほとんどがパンの材料とかであろう。部屋の中は暗くて見え辛かったが、俺は手探りで自分の荷物を探し出して廊下に引っ張り出した。
「これだ」
風呂敷の中に、俺のTシャツ、パーカー、ジーパンが入っている。そしてもちろん、俺の大事なネックレスも入っている。俺が小学生の頃、川で拾ったこの石を、お婆ちゃんがネックレスにしてくれたのだ。それ以来、大切な日にはそれをつけていたのだ。少し昔を思い出した。
ネックレスは直して、ジーパンのポケットをゴソゴソあさると、中に硬いものが手に触れる。取り出してみると、間違いなく俺のスマホであると確認できた。俺は自分が2日以上それを触っていなかったことに気がついた。俺が受験生だった頃も、下手したら毎日使ってた。そんな俺でも、この時代に来た途端スマホ依存から脱せた。
俺は収納部屋の障子をパタンと閉めた。だが、俺が帰ろうとして足をあげた瞬間、着物の裾が障子に挟まっていたのか、足がもつれて派手にこけてしまった。
ドン!!
鈍い音が響き渡る。俺は左膝を思い切り床にぶつけた。声が出ないほど痛かった。
「うううううううううううう」
我慢強く耐えながら、痛みが引くまでしばらくもがいていた。すると、後方で障子を勢いよく開ける音がして、
「え?何?大丈夫?」
と綾さんの声がした。俺はこの状態の俺を見られるのがとても恥ずかしかった。でも痛みには勝てない。俺は男気を出して立ち上がろうとしたのだが、残念なことに全く力が出ない。
「こ、こけた」
諦めて俺は正直に言った。綾さんは俺が膝を打ったのを察すると、屈んで俺の左膝をじっくり見た。
「すっごい痛そう」
「う、うん、かっなり痛い」
膝はまだギンギンと痛む。
「大丈夫?怪我とかしてない?」
「うん。青タンで済むと思う」
綾さんは安堵の表情を見せ、胸を撫で下ろした。俺は膝を曲げないように、そーっとその場に座った。綾さんも俺の目の前に腰を下ろした。
「すっごい音したよ。久しぶりにグッスリ寝てたのに起きちゃった」
綾さんはそう言いながら、手に持っていたゴムで髪を結び始める。
「あの、それはホントに、ごめん」
膝の痛みが若干収まっていくのを感じたので、俺は壁を使いながらゆっくりと立ち上がった。意外と大丈夫そうだ。その時、綾さんは急に俺の右手を掴んだ。彼女は俺を上目遣いで見ている。
「昨日言い忘れたんだけどさ」
綾さんは少し顔を赤くして、俺から目線を外した。俺は少し迷ったのだが、もう一度彼女の前に座り直した。すると彼女はまた口を開いた。
「絶対に....」
綾さんは少し決まりが悪そうに目を泳がせた。
「絶対に?」
俺がそう言うと、彼女は一瞬俺と目を合わせた。
「絶対に死なないで」
「え?」
俺は唐突にそんな事を言われて、少し驚いた。人生でそんな事を言われたのは初めてだった。綾さんは続ける。
「もうこれ以上、私の大切な人がいなくなるのは嫌なの」
綾さんは真剣な眼差しで俺にそう語った。俺は彼女の心の内を察した。しかし俺にも、綾さんに言いたいことがある。
「綾さん」
「え?なに?」
「俺からも言いたいことがあります」
綾さんは無垢な目で俺をじっと見つめる。
「絶対に、死なないでください」
俺がそう言うと、彼女の口元が一瞬緩んで、可愛らしい笑顔がこぼれた。
「わかってるわよ」
彼女はニコニコしながら答えた。するとその時、ちょうど裕太郎さんが階段を上がってきた。
「お二人、大丈夫でございますか?」
「はい、大丈夫です」
俺はパッと立ち上がって、不自然な作り笑顔で裕太郎さんに答える。綾さんはオドオドしている。
「それは良かったです。すごい音がして、しかも中々帰ってこなかったので、大変心配でございました」
裕太郎さんは安心して階段を降りていった。俺と綾さんも、彼に続いて階段を降りた。
「ちょっと。足元気をつけてよ」
綾さんは後ろから俺に言った。俺はちょっと反省した。なんせ、俺は絶対に彼女のそばにいなければならない。そんな気がする。
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