第5話 辛い記憶でござる
あいつの気持ちは固かった。あいつが1人いなくなっただけで、俺は大切な宝物を失ったような喪失感に襲われた。この世界で俺を支えてくれていた柱、タケとマサは、わずか2日で俺の前から姿を消した。
あいつらと出会ったのは、中学の頃だ。中1の時に同じクラスになった俺らは、すぐに一致団結した。何をするのも、その3人はずっと一緒だった。
高校も、皆で努力して一緒のところに入れた。部活も3人でバスケ部に入った。途中で俺がくじげて辞めそうになった時、彼らが俺を支えてくれた。
俺はタケの、素直で真っ直ぐなところが大好きだ。時には感情だけで体が動く時もあったが、それも彼の良さだった。今回の件もそうだ。ろくに考えもせず、信長の懐に入り歴史を変え、全国統一することを目指している。俺はあいつがそんなことを言い出した時、あいつのことを少し軽蔑してしまった。命を引き換えにするほどのことではないと、そう思っていた。
だが、俺は先程のあいつの背中を見てわかった。あいつが背負った夢は、俺が想像していたよりもはるかに大きい。夢を成し遂げたいと思い、すぐ行動に移せるタケのことが、俺は羨ましくて仕方がなかった。
俺は今、あいつがいなくなった寂しさよりも、いつからか俺が挑戦する心を失ってしまったことに、深く傷ついた。タケに嫉妬した。前を向くことしかできない。だがそれがカッコ良かった。夢中で言い訳を探す俺とは全く違った。
気がついたら俺は、膝をついて泣いていた。だがその涙の理由を隣にいる綾さんに説明する勇気さえも、俺は持てなかった。綾さんはそんな俺の背中を、優しく左手でさすってくれた。
その夜、俺らはパン屋で寝た。綾さんが、今日はうちにいて欲しいと言ったからだ。綾さんは2階で、俺ら男性陣は1階に布団を広げた。
俺はずっと1時間ほど横になっていたのだが、なかなか寝つけなかった。俺は布団から出て、厨房に井戸水が溜めてあるので、それを手ですくって飲んだ。今日は眠れる気がしない。俺はダイニングルームの椅子に腰掛け、頬杖をついて目を閉じた。まぶたの裏側は真っ黒だった。
「ヤスくん....?」
後ろを見ると、階段を降りてくる綾さんがいた。
「綾さん....?」
彼女は小さく手を振って、俺の横の席に座った。
「寝れないんでしょ?下の階からずっとガサガサ音がしてたの」
そんなにうるさくしてしまったのか。自覚はなかった。
「ごめん、起こしちゃって」
綾さんは首を横に振った。
「私で良ければ、話聞くよ。話すだけでも、だいぶ気持ち軽くなるよ」
綾さんはそう言うと、俺の目をじっと見つめた。俺は胸の中から、いろんな気持ちが溢れ出した。俺は綾さんに話すことにした。俺とタケ、マサとの思い出から始まり、マサの死、今日のタケのこと、それからあいつらの好きなところ。そして、俺がタケに嫉妬しているところ。俺が持ってないもの。
俺は話しているうちに、自分の悩んでいたことがどれほど小さく、くだらないことなのかにだんだん気づいてきた。話し終わる頃には、俺の心は随分と軽くなっていた。
「ごめん、しょーもないことで悩んでたみたい」
「大丈夫。元気になってよかった」
綾さんは一瞬笑顔になったものの、すぐに顔から表情が消えてしまった。
「綾さん?」
俺が彼女の名を呼ぶと、彼女は顔を俺から背け、下を向いた。
「ごめん。私もヤスくんに聞いて欲しいことがあるの」
彼女はまた顔を上げ、俺を見た。目が少し赤くなっていた。今にも泣いてしまいそうであった。
俺は悟った。綾さんが降りてきたのって、この話を聞いて欲しかったから?なんの根拠もないが、俺はそう思った。彼女の顔を見ていると、そんな気がしてくるのだ。俺は彼女の肩に手を置いた。微かに震えているのがわかった。
「俺で良ければ、なんでも話して」
「私も....、ヤスくん達と一緒で、本当は3人でこの世界に来たの。サヤ、ミスズっていう、私の同級生」
綾さんは、所々言葉に詰まりながらも、ゆっくりと話し出した。部屋の隅の小さな提灯が、ほのかに俺らを照らす。
「訳もわからず3人でずっと歩いて、やっとこの町についたの。気付いたら丸1日、何も口にしてなかった」
「……」
「着いたのは真夜中。3人で必死に泊めてくれる家を探したの」
綾さん達に降りかかった試練は、俺らがここに来た時よりも、はるかに厳しいものだったようだ。
「とうとう日が昇ってきて、少し明るくなって、辺りが見渡せるぐらいになった、その時だったの」
「うん……」
「その……、あの……」
綾さんの胸の音が、俺にまで聞こえそうだった。彼女の体はまた震えだした。俺はどうすることもできなかった。
「ゆっくりで、いいから。ゆっくりで....」
俺は彼女にそう言ったが、俺は少しそう言ってしまったことを後悔した。その言葉は逆に彼女を急かすだけかもしれなかった。
「私達の後ろから……」
彼女はまたゆっくりと喋りだした。
「うん」
「後ろから……」
「うん」
「後ろから刀を持った侍が.……」
俺は一瞬で、事態を把握した。何が彼女をこんなに怯えさせているのか。
「サヤとミスズを……」
「もういいよ、綾さん」
俺は綾さんを抱きしめた。これ以上、彼女に辛い記憶を思い出させる必要はない。泣いている彼女を見ていられない。綾さんは少し温かかった。俺の腕の中でずっと泣いていた。いつしか彼女の手も、俺の背中に回った。俺は一層強く彼女を抱きしめた。そして右手で彼女の頭を撫でた。俺が彼女にしてあげられることと言えば、それぐらいだった。
「しばらく、こうしててもいい?」
彼女は弱々しい声で俺に聞いた。
「いい、かな……?」
「え?」
「……いいよ」
俺がそう言うと、彼女は自分の頭を俺の胸にうずめた。ほのかにいい匂いがした。俺と綾さんはかなり長い間、この状態のままでいた。
俺はその間、ひたすら綾さんのことを考えていた。そんな経験をしながら、今まで俺やタケに笑顔で接してくれていたのだ。俺は彼女の優しさや可愛さに、胸が温まるばかりであった。
嬉しかった。こんな俺に話してくれたのが。彼女に信じてもらえているというのが、俺の新しい心の支えになった。
彼女はいつの間にか、俺の胸を枕にしてスヤスヤと寝ていた。なんだが幸せそうに寝ている。それは俺の勘違いかもしれないが、とにかく俺はホッとした。
俺は彼女を起こさぬよう、彼女をゆっくりと抱きかかえた。右手で彼女の背中を、左手で彼女の足を持った。そのまま俺は立ち上がり、そーっと階段を上がった。一段一段と上がっていくたびに、彼女の束ねた髪が揺れた。
2階に上がると、俺は1つだけ明るい部屋を見つけた。そこを覗くと、布団が敷いてあった。俺は音を立てないよう中に入り、彼女を布団の上に寝かせた。忘れずに掛け布団もかけた。
寝るには明るすぎる、と俺は思った。立ち上がって提灯を消そうとしたら、彼女の机があるのを見つけた。本が何冊か開けっ放しになっている。また、机の隣にも、沢山の本が並んでいるのがわかった。1日1冊読んでも、3ヶ月で読めるような量ではない。
もしかしたら綾さんは、今日までほとんど寝れていなかったのかもしれない。心に秘めた傷が大きすぎたのだ。おそらく、寝れない時は本を読んで時間を潰していたのだろう。
俺はもう一度、彼女の顔を見た。本当にグッスリ寝ている。俺はたまらなく嬉しかった。俺は提灯の明かりを消して、部屋を出た。今となれば、俺もグッスリ寝れそうな気がした。
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