第3話 パン屋でござる

 パン屋は、町の中心部からは少し離れた場所にあった。かと言って人通りが全くないわけではなく、落ち着いた雰囲気を保っていた。そして、「べーかりー綾」と書かれた看板が目に入った。お洒落な名前だ。

 俺はガラガラと店の戸を開けた。中には10人ほどの人が、木の板にパンを載せながら会計待ちの列を作っていた。トレーの代わりだと思われる。綾さんが考えたのだろう。だが、肝心の綾さんが見当たらなかった。仕方なく列に並んで、会計をしていた男の人に聞いてみた。

「お待ちしておりました。綾殿から事情は聞いております。奥にどうぞ、お入りください」

 その人はそう言うと、厨房の中に入れてもらえた。

 厨房には大きめの窯がいくつか並んでいて、中にはパンであろうものが焼かれている。また、台の上には小麦粉の粉や生地がいっぱい置かれている。厨房には2人ほどが働いていた。その1人が、俺の姿を見ると作業を止めて笑顔で近づいてきた。

「こちらです」

 その人は俺をさらに奥の部屋へと通した。そこには1人の男がいた。タケだ。

「ささ。お座りください。綾殿は間もなく戻られるかと思いますので」

 と厨房の男は俺に座布団を差し出した。俺は礼を言って受け取って、タケの隣に座った。

「タケ、さっきはすまない」

「俺こそすまない。出て行けなんて言ってごめん」

「マサは?」

「恭之助さんが住職を呼んでくれて、いろいろお経とか読んだ後に、寺に持っていかれた」

「どこの寺だ?」

「清洲光専寺」

「そこに行けば、お見舞いにいけるってことか」

「ああ。また今度行くか」

「わかった」

 俺とタケは強い握手を交わした。

「あの、お話の途中で悪いのですが……」

 さっきの厨房の男が、申し訳なさそうに部屋に入ってきた。

「料理長の坂上助丸でございます。突然ですが、ケーキの作り方をご存知でしょうか」

「ケーキ?」

「綾殿が、パンの次はケーキを作りたいと申しておるのですが、綾様もケーキの作り方をご存知ないと言っておりまして」

 綾さんは一体何を考えているのか。この時代にはケーキを作りにきたわけではないはずなのに。ていうか、綾殿って呼ばれているのか。すごいな。ケーキについて思い出せることを、俺とタケはその男に話した。役に立つとは到底思えないが。

「俺らのことは、どこまで知ってるんですか?」

「この店で働いている者は全員、綾殿とあなた方が未来からきた方々だということは存じております」

「へー」

「しかし、他の者にそのことは言ってはいけませぬぞ。今の世は戦国の世。怪しきと疑われし人は斬られる世の中でございます」

「はい」

 俺とタケはグッと気を引き締めた。ここで生き抜くのは、一筋縄ではいかなそうだ。

「ご安心ください。我々はあなた方をお守りいたします」

「はい....。ありがとうございます。でも、何でそこまで?」

 助丸さんは、俺らの前に座った。

「綾殿は某たちの命の恩人なのでございます」

「綾さんが?」

「左様。職がなく、餓死しそうだった某たちをこの店に拾ってくださったのです。さらに、パンを作り始めて、いろんな人を笑顔にしていくのでございます。この町には、彼女のように人のために行動できる人がいないのです。某は、そんな彼女を心の底からお慕い申しておるのです」

「そうなんですか....」

「しかし、綾殿は貴方たちを見た時、嬉しさのあまり涙を流しておられました。この世界にたった1人放り出されて3ヶ月、とても辛かったのだと思います。とても某たちでは、その穴は塞ぎきれませんでした。しかしあなた方は、綾殿が唯一理解しあえる人なのです。彼女の負担を軽くできる人なのです」

 話しているうちに、助丸さんは涙を流していた。

「あなた方は、綾殿の心を助けることのできる2人なのです。そんなお2人、どうして御命をかけてお守りしない理由がございましょうか」

 俺らは、ずっと綾さんに頼りっきりになろうと思っていた。綾さんはこの世界に慣れていると言っていたし、もう何の問題もなく過ごせているのだろうと思っていた。

 しかし、少し違ったようだ。綾さんは綾さんで、1人で抱え込むものがあったらしい。

「ということで」

 涙を手拭いで拭き取り、また助丸さんが口を開いた。

「今から、この店のお仲間を紹介します。この人たちは、事情をよく知っているので、ご安心ください」

「はい」

「某はもう良いとして、今厨房にいる背の高いのが副料理長の鈴木権兵衛で、店頭で働いておるのが五十嵐裕太郎でございます」

 このメンバーは、俺らの正体を知る唯一の人間だ。俺はサバンナのカンガルーの中の赤ちゃんのような気分だった。頼もしい味方が、俺らを包み込んでいる。しかし同時に俺もまた、彼らの力になりたい。このパン屋を守ることが、きっと彼らの生活を支えることになりそうだ。

 俺はほんの少し、この世界で生きるという意識が芽生えた。コンビニもないし、トイレも和式だし、不便なことは山ほどあるけど、令和より良いことももちろんある。

 綾さんが帰ってくるまでの少しの間、助丸さんのケーキ作りを手伝った。家庭科の授業で習った精一杯の知識を絞り出す。タケは妹のケーキ作りを手伝った経験があるらしかった。その成果もあり、俺とタケ、助丸さん、権兵衛さんの4人で何とか生クリームっぽいものが出来上がった。だが、お世辞にも美味しいとは言えない。

「これは、いと素晴らしき!」

 しかし助丸さんと権兵衛さんは初めて見る生クリームに大興奮だった。この2人の反応を見ていると、不味いとは言えなかった。ちょうどその時、綾さんが帰ってきた。大量の果物を買ってきた。

「2人、来てたんだ!どうした?なんかあった?」

 えーっと。何で来たんだっけ。そうだ。マゲを言ってもらえる店を聞こうと思ってここに来たんだ。だが、俺はそう言い出す前に気づいた。助丸さんも権兵衛さんも裕太郎さんも、誰もチョンマゲがない。チョンマゲ、いらないのかな?じゃあ何で俺は役人に目をつけられたんだろう。

「綾さん、俺らって、チョンマゲにした方がいいんすか?」

「え?別にいいじゃない?あれはいわゆる正装よ。ラフな格好でいいんだったら別になんでもいいのよ」

 うんうん、と助丸さんもうなずく。

「最近はだんだんとチョンマゲをしていなくともいい風潮になってきておるのじゃ。あれをしておると、側頭部が冷えるのじゃ」

 なるほど。この時代にもそういう流行りがあるのか。少し面白い。

「古い役人とかは、まだチョンマゲをしてなきゃ駄目って言う考え方なんだけどね」

 昭和な考えのやつがグローバルなネット社会に乗り遅れて文句言いまくってるみたいな感じだろうか。なかなかいい例えが思いつかない。とにかく、お役人さんに気を付けておけばいいのだろう。城の観光は諦めよう。次行ったら絶対に首をはねられる。

「そうだ!」

 綾さんは思い出したかのように、

「明日、お店休んで春日部の町を見て回らない?みんなで一緒に」

 いい案だと思った。タケも賛同した。綾さんは素直に喜んだ。

 俺たちは色々と話した。2020年の日本のことについて喋ったり、歴史がどんなんだったかを喋ったり、恋話をしたり、ネタは尽きなかった。気付いたら辺りは真っ暗になっていた。

「タケ殿、ヤス殿、宿にご案内致します」

 と裕太郎さんが言った。

「ど、どうも」

「どうかいたしました?」

「いや、ヤス殿ってちょっと照れ臭いなーって思って」

「いえいえ。我らにとってはヤス殿タケ殿なのでございます」

 この時代の「殿」は、今で言う「さん」みたいに使われていたのか?よくわからないがそういうことにしておこう。

 俺らの宿は店の真後ろだった。もともとはそこにパン屋の男3人で住んでいたらしいが、本来は5人用の家らしい。そこに俺らも入れてくれると言ってくれた。

 京都の修学旅行を思い出す、そんな部屋に5人で布団を敷いて寝る。広々とした寝室なので窮屈ではない。風がいい感じに通って涼しい。俺ら5人はぺちゃくちゃしょうもない話をして、そして寝た。

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