第27話 デッドライン

 ポルガ村から少し離れた平原に私たちは立っていた。

 背後に流れるはトルチェ川、そして平原の向こうには大きく広がるトブ大森林。


「準備整いました、ではご武運をお祈りしております」

「はいはい、それより約束は忘れないでよね」

「もちろんでございます。契約書はこの通り」


 笑顔で微笑む邪神シスターはそう言って一枚の紙を手に掲げる。

 それは何より望んだ自由への切符。

 命を懸けるには悪くない報酬だ。



 ★


 アリシアと彼の契約獣を置き教会の馬車はその場から立ち去る。

 ここから先、この場所は戦場となる。戦力外である者がいれば足手まとい以外の何物でもないからだ。


「……これでよかったのでしょうかシスター・カレン」

「良いも何もわたくしたちに他の選択肢は残されていないのです」


 不安そうに尋ねてくる従者に、カレンは淡々とそう返した。


「ですが、あれだけの魔道具があるのです、こちらからもいくばくかの戦力を出すことが出来るのではないでしょうか」


 そう言う従者の言葉に、カレンは首を横に振ってこう答えた。


「いくら高性能な魔道具があったとしても、それを装備できなければ宝の持ち腐れと言うものです。

 優れた魔道具は、その持ち手にもそれなりの才能を求めます。

 ですが、彼女ならばあらゆる制約を無視してその真価を引きずりだすことが出来る。ミモレットとはそう言う血筋なのです」


 そう、かつてホワイトフェンリル討伐の際にアリシアの高祖父ロンダー・ミモレットがそうしたように。


「死なないでくださいね、アリシアさん」


 カレンはポツリとそう呟いた。



 ★



 私は周囲を見渡した。

 私の周りには所狭しと置かれた伝説級のアーティファクトの数々。その全てがまだかまだかと出番を待ち望んでいる。

 もちろん私自身も全身に隙間なく魔道具を装備している。

 体力を向上させるタイタンの腕輪、魔力を向上させるメディアの指輪、筋力を向上させるヘラクレスの腰帯、一度だけどんな攻撃も跳ね返してくれるベイヤードの首飾り、短時間だが飛行能力を付与してくれるビヤーキーのマント、その他もろもろなんでもござれ。

 これだけの伝説級のアーティファクトの数々、その総評価額は天文学的な数になるだろうが、まぁ全て教会が用意したもの、私の懐が痛むわけではない。


 だが、そこまでして決して不安はぬぐえない。

 いくら私が着飾ったところで、私は所詮先頭経験の乏しい小娘でしかなく、相棒が年老いた老犬だというのに変わりはないのだ。


 ブルリと何か寒いものが背筋を昇っていく。


『ふぉっふぉっふぉ。なんじゃ? 臆したかアリシアよ?』

「じょーだん、これから先の自由に満ち溢れた生活に心が震えているだけよ」


 精一杯の強がり一つ。

 生還の可能性は極めて低いと言わざるを得ないこのクエスト。

 だが、こんなことろで死ぬのはまっぴらだ、自由をつかみ取るまで私は決して諦めない。


「……来たわね」


 トブ大森林の端から黒い染みが広がってくる。

 傍目に見ればそれはまさに染みとしか見えないものだった。


「あれが全て敵」


 塊になって進行してくるそれは、巨大な一個の軟体動物にも見えた。


「いい、作戦を説明するわ」


 私は前を見据えたままルードにそう語りかける。


「勝敗条件は簡単よ、この川を越えられたら負け。それだけよ」

『ふぉっふぉっふぉ。それは分かりやすくてけっこじゃのう』

「そう、よかった。これさえ覚えられないとか言ったら頭抱えてたわ」


 私は肩をすくめてそう言った。


「それから作戦はこう、アンタが攻めで私が守り。

 アンタはひたすら敵陣をかき回して、私がその打ち漏らしを何とかするわ」

『うむ、心得た』


 作戦はごくシンプル。どれだけ時間を稼げるかは分からないが、小細工を仕込む余裕なんてありはしない。


 黒い染みが近づいてくる。

 やれるだけやったから後はお任せという訳にはいかない。何としても時間を稼がなければ、村のみんなが死んでしまう。

 最低限、村のみんなの非難が完了するまでの時間を稼がなければらならない。


「そろそろいいかしらね」


 平原の半分を占める黒い染み。

 数万の魔獣の大軍勢。

 それを見据えながら、私はポツリとそう呟いた。


『そのようじゃの、では行ってくるか』


 豪と一陣の風が私の横を通り過ぎた。

 白き矢が敵陣に向けて放たれる。


「頼むわよ、ルード」


 私は前を見据えたままそう言った。



 ★



 矢は放たれた。

 黒き軍勢に向かった矢は真っすぐに突き進む。

 矢の名はルード。

 それは、最強の魔獣であるホワイトフェンリルの名である。


 そう、ホワイトフェンリル。それは最強の魔獣である。

 その牙は古代竜の喉笛を噛みちぎり――ルードとすれ違ったワイバーンの首が宙に舞う。

 その脚は一晩で数百キロを走破し――白き雷が瞬きの間に敵陣を切り裂いていく。

 その頑強さはダイヤゴーレムにも引けを取らない――幾千幾万の爪が降り注いでもその侵攻は抑えられない。


『ーーーーーーー!』


 最強の魔獣が放つ、本気の殺意を込めた大咆哮。

 それを間近で受けた数十の魔獣は、その精神をズタズタに切り裂かれ絶命する。

 白き雷は敵陣を思うがままに蹂躙していく。



 ★



「あんにゃろうめ。やればできるじゃない」


 ルードによって切り裂かれていく敵陣を見ながらそう呟く。

 あれがルードの実力、そして全力なのだ。


「さて、私も突っ立ったまんまという訳にはいかないわね」


 そばにあった弓を手に取る。

 全長2mはある大弓、その名はヘカテンティオスの光の弓。

 普段ならば構えるだけでも姿勢が崩れてしまいそうな大弓だが、各種魔道具の補助を得ている今の私ならば扱うことは容易い。

 弓を引き絞る、するとそこに光の矢が装填される。


「一匹たりともここは通さないわ」


 足の速いもの、或いは狡猾なものが、ルードに構わずにこちらへ近づいてくる。


「ふッ!」


 弦から手を放す。装填されていた光の矢は十数本の光の矢に分裂して対象に向かって飛んでいった。


「次!」


 矢をつがえ――放す。

 矢をつがえ――放す。


 敵の数は暴力的を超えた災害的。

 いくら仕留めても一向に終わりは見えない。


「次!」


 私は自分を鼓舞するように、叫びながら矢を放つ。何度でも、そう、何度でも。


「次!」


 漏れてくる数は徐々に増していく。

 ルードはよくやってくれている、全力以上を出していると言ってもいい。

 だが、これは元よりでたらめなクエストなのだ。

 たった一人と一匹で、万単位の敵軍を食い止めるという不可能命題。


「次!」


 敵陣は厚みを増して進行してくる。

 屍の上に屍を重ねて進行してくる勢いに、私もじわりと押されてくる。


「くッ!」


 矢の装填が間に合わない。

 周囲を取り囲まれた私は矢を捨て次の得物へと手を伸ばす。

 右手にギランバットの魔鞭。

 左手に黒曜水晶の棘の円盾。


「かかって来なさいッ!」


 ねらった得物を自動追尾する魔鞭、攻撃に対して棘をもって反撃する円盾。

 その二つを武器に、襲い掛かる魔獣に立ち向かう。



 ★



 敵陣を駆け抜ける。

 白き魔獣はその全身を敵の返り血で赤く染めながらひた走る。


『ふん、なんだと思えば貴様であるか』

『ふぉっふぉっふぉ。これまた随分と懐かしい顔じゃのう』


 敵陣を切り裂いていたルードはついにはその首魁、邪竜ファヴァニールの元まで到達していた。


『くくく。老いとは惨めなのものだな。白雷』

『ふぉっふぉっふぉ。時の流れに置き去りにされた貴様に言われたくはないのう』


 ファヴァニールは古代竜である、その寿命は数千年ともあるいは尽きることがないとも言われている。


『あの時の借り、返してもらうぞ白雷』

『さて、いったい何の話じゃったかのう』


 ファヴァニールの口より漆黒のブレスが吐き出される。

 だが、既にそこにルードの姿はない。

 空振りに終わったブレスが自陣を焼き尽くすが、ファヴァニールは構わずに首を横に振る。

 ルードはブレスから逃れるようにひた走る。

 ぐるりと一周。いや、さらに半周。

 ファヴァニールの背後を取ったルードはその背中に襲い掛かる。


 パンと空気のはじける音がする。


 ファヴァニールが振った尾の先端は音の速度を超えてルードに襲い掛かる。


 ルードはかろうじて空中でそれを交わすが、姿勢が崩れたその隙にファヴァニールの爪がルードを薙ぎ払った。


『がッ⁉』


 一撃を受けたルードは、周囲の魔獣を巻き込みながら吹き飛ばされた。



 ★



 あれから幾度武器を持ち替えたか。

 私の周囲には残骸となった魔道具たちが転がっている。

 だが、そこまでしても敵の数に終わりは見えない。


(ルードはどうなって)


 すっかりと周囲を魔獣の群れに取り囲まれた私にはルードがどうなっているのか確認する余裕はなかった。


「くッ⁉」


 痛恨のミス。

 目の前の脅威に集中すべき筈が、ルードのことを考えた事が命取りとなった。

 上空より飛来してきた一頭のワイバーンが振るった尾の一撃により、私は大きく弾き飛ばされた。


「こっ……の……」


 頭を振るいながらよろよろと立ち上がる。

 だが、敵は私のそんな悠長な動作を待ってはくれなかった。


「キャッ⁉」


 一頭の魔獣が覆いかぶさるように襲い掛かってきた。


「ちくしょう」


 私に見えるのは、大きく開かれた赤い口だった。

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