第19話 人狼族とルード様

 帰らずの森からの騒動からしばらく、私が家で今後の人生しゃっきんへんさいについてのシミュレーションを行っていると、ソノラがひょっこりと顔を出した。


「はーいアリシア、今日はあなたにちょっとしたお話があるのだけど」

「……いやよ、厄介ごとは」


 この前のような無駄働きどころかマイナス働きなど言語道断である。

 だが、ソノラは私の思慮深い態度などに構わずに、勝手知ったる他人の家とばかりに遠慮なく席に座った。


「ああ、大丈夫、大丈夫。この間の件なら、私がギルドに問い詰めて違約金の話はなかったことになったから」


 ほう、それは朗報である。

 まぁ、アチラさんも討伐対象を誤魔化して依頼をしてきたのだ、それぐらいのペナルティはあっても当然である。

 ……ただ働きなのは変わりないが。


 と、私が微妙な表情をしていると、ソノラはこんなことを言ってきた。


「それでね、話ってのはギルドに持ちかけられてきたとある依頼のことなのよ」

「とある依頼?」

「そう、それはどこかであなたの事を聞きつけて来たヒトが持ちかけて来た話でね。けどあなたギルドに加入していないでしょ、だから私が仲介役としてやって来たってわけ」

「私に?」


 私はそう言って自分を指さした。

 なんだろう、ビーストテイマーとしてのお仕事という事だろうか?


「そ、あなた。いや、正確にはあちらさんはあなたのルードをご指名なのよ」

「うちのバカ犬を? あなただってよく知ってるでしょ、うちのバカ犬に出来るのは張子の虎だけよ」

「そっ、その張子の虎をご要望だそうよ」


 ソノラはウインク交じりにそう言った。

 その時だ、牧場のほうが何やら騒がしくなる。


「って、あら、話が終わるまで大人しく待ってるように言ったのにねー」

「ってなに? アンタもう依頼主呼んであるの?」


 繊細かつ、思慮深く遠慮深く慎み深いと三深そろっている私と違い、ソノラに結構大雑把な所がある事は、短い付き合いでも良く分かっている。

 それだから結構な美人さんなのに浮いた話の一つもないのだろう。黙っていれば美人を地でいくような女性だろうにもったいないことだ。

 と、私が思っていると、ソノラは私を引きずるようにして、牧場へと連れだした。



 ★



「ふおおおおお! 感激! 感激でござる! よもやこの目で伝説とうたわれるホワイトフェンリルのお姿を拝見する事ができるとは!」


 牧場に回った私が目にしたのは、腰まで届く銀髪を揺らした一人の少女であった。

 いや、揺れているのはそれだけではない。腰から伸びた尻尾が振り切れんばかりにブンブンと振られている。


「って、あなたは。人狼族?」


 人狼族、それは亜人の一種で、狼の特色を兼ね備えた人間のことだ。

 見た目に分かりやすいのはその耳と尻尾。

 そして、見た目に分かりにくいのはその身体能力。彼らは人間を遥かに凌駕する身体能力を備えている。


「はっ! これはあなたがこのルード様のマスターであるアリシア殿ですね!」

「……ルード、様?」


 私の疑問の声にも構わずに、その人狼族の子は興奮冷めやらぬ様子で私に来た寄ってきたかと思えば、がっしりと私の手を握ってきた。


「アリシア殿! お願いでござる! どうか! どうかルード様の玉体をお貸し頂けないでござろうか!」

「ちょ、ちょっと待ってよ。いったいどういう事なのよ」


 私はそう言ってソノラに助け船を求める。

 するとソノラはため息交じりにこう言った。


「あー、ごめんなさいねアリシア。その子、ちょっと辺鄙な所の出身みたいでね、色々と常識的な事にずれがあるみたいなの」


 そんなことは、彼女が話す古めかしい言葉遣いを聞けばわかる。

 問題は、彼女が何を求めているか――ってそうだ、話には聞いた覚えがある、一部の人狼族の間ではホワイトフェンリルは神に等しい扱いを受けていると。

 私がその様なことをソノラに話すと、人狼族の子は首がもげるんじゃないかと思うほどブンブンと縦に振り、口角泡を飛ばしてこう言った。


「その通りでござる! 我ら人狼の民にとってホワイトフェンリルはまさに生き神様! その名は伝説の中にしか残されていないと思っていたが、よもやこんな場所でお目通りすることが敵うとは!」


 人狼族の子は目に歓喜の涙を浮かべつつそう言った。

 このバカ犬が生き神様ねぇ。


 私はちらりとルードの様子を横目で眺める。うちのバカ犬はこっちの騒ぎに構うことなくのんびりとあくびをしていた。


「でっなに? アンタうちのバカ犬を引き取りたいっていうの?」

「ばっバカ犬とは失礼な! いくらルード様のマスターとは言え言葉が過ぎますぞ!」


 その人狼族の子はかっと目を見開き、そう言い私に食って掛かる。


「バカ犬はバカ犬よ。それが気に食わなければ痴呆犬と言ってもいいわ。

 で? 何? そろそろアンタの名前ぐらい教えてくれてもいいんじゃないの?」

「むっ、それは失礼いたした」


 人狼娘はそう言って襟を正すとおもむろに地面に正座をするとこう言った。


それがしの名はシロと申す。本日はアリシア殿にたっての願いがあってここにまかりこした次第でござる」

「あーもう。堅苦しい口調は我慢するけど、態度位はこっちに合わせなさいよ」


 他人を正座させておいて、物理的に上から目線でしゃべる趣味など持っていない。


「む? そうでござるか?」

「そんなもんよ。いいからとっとと立って頂戴」


 私がそう促すとシロは渋々立ち上がりこう言った。


「それで、本日の嘆願なのでござるが、それがしの村で行われる収穫祭の賓客としてルード度様にお越しいただきたいのでござる」

「なんだ、そんなことなの?」

「そんなこと、とアリシア殿がおっしゃるのも無理はないではござろうが、それがし達にとっては生き神様を迎える大事な儀でござる。

 けして無礼な行いはやり申さん。もし万が一のことがあればこの腹かっさばく次第にござる!」


 シロはそう言うと勢いよく上着をめくり上げる。


「あーあー、そんなのいらないって、いいから可愛いお腹をしまいなさい」


 人様のモツをみて喜ぶような趣味はない。


「そんなことよりもよ、もっと大切なものがあるでしょう?」


 私はそう言って、親指と人差し指で円を描く。

 それを見たシロは今までの態度が嘘のようにシュンと縮こまった。


「う……それが、それがし達の村はひなびた田舎の寒村。一言でいえば限界集落という奴でござって……」

「なによ、出すもの出せなきゃ、こっちも出せないわよー」

「うっ……うう……村中からかき集めてきてこれだけでござる……。後は現物支給という事で何とか勘弁いただけぬでござらぬか……」


 そういいシロが懐から取り出してきたのは、古びた、けど大切に扱ってきたのが良く分かる小袋だった。

 私は手渡されたそれの中身を改める。


 それは、私が診療所(もどき)で稼ぎだす一日分の金額と言った感じだった。


「ほーん。こんなもんねー。アンタたちの神様とやらに懸ける思いってのはこの程度のものなんだー」

「うう……申し訳ない……」


 見る見るうちに小さくなっていくシロ。

 私がその様子をニヤニヤと眺めていると、そばに立っていたソノラがため息交じりにこう言った。


「はぁ、いじめるのもそこらへんにしてあげたら、貧乏の苦しさは誰よりもあなたが一番わかってるでしょ?」

「誰が無一文よ! 誰が!」


 反射的に怒鳴り返してしまったが、正確には無一文よりなおたちが悪い借金持ちだった。


「はぁ、分かったわよ」


 私がそう言うと、シロはがばりと顔を上げた。


「いいわ、行ってあげる。その代わり言っておくけど、ルードが食べる量は半端ないわよ?」

「かっ、かたじけないでござるーー!」

「わぷっ⁉ 抱き着くな! 離れなさい! ってか顔を舐めるなーーー!」


 こうして、感極まったシロに抱き着かれた私は、彼女の人狼族としての身体能力を強制的に味わされたのであった。

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