第18話 黄金の日々
「ところでアリシア」
帰らずの森よりの帰宅途中、ふとソノラが声をかけてくる。
「ん? 何よソノラ」
違約金についての熱い話し合いが行われるのかと思えば、ソノラはこんなことを言ってきた。
「これはただの興味本位で聞くんだけどね? あなたのところの契約ってどうやっているのかしら?」
なるほど、話は契約獣についてだったか、恐らくはあのバカとシルバーベアーとの関係が頭に残っていたのだろう。
まぁ、そんな簡単な事ならばいちいち秘匿するようなことではない。
「ああ、そんな事ね、うちのバカ犬とはねー」
…………あれー? おかしいなー? 言葉が続かないぞー?
「……アリシア? あなたまさか?」
疑惑の瞳を向けてくるソノラの両肩をがっしりと掴み、私は彼女の瞳をしっかりとのぞき込んでこう言った。
「駄目よ、ソノラ、契約方法はそれぞれのビーストテイマーにとって秘中の秘。例えあなたが相手でもそう易々とは口にできないの」
「そっ、そう、迂闊に聞いて悪かったわ」
私の真剣な面持ちに、ソノラは若干引き気味に頷いてくれた。
ふぅ助かった。まさかあのバカ犬と契約を交わした覚えがないなんてことは口が裂けても言えないことだ。
ビーストテイマーとしての沽券に関わる。
しかし、契約か……。
私が、いい加減世界代表なお父さんに残されたものとは「今日からお前が当主だ、後のことはよろしくね♪」と書かれた置手紙のみ。
よもや、あのぺら紙が契約の印だったとは思いたくはないが、アレ以外に心当たりがないことが恐ろしいところ。
(契約ねぇ……)
あのドリアードと旧知の仲だった件と言い、うちのバカ犬には私が知らないことがたくさんある。
まぁあいつとうちの一族との関係はひいひいおじいちゃんの代まで遡るのだ。
私が知らないことの10や20があっても当然とはいうもの。
(まぁ、どうでもいいか)
あいつは私が生まれた時からそばにいた、そして恐らくはこの先も。
もしかしたらあいつの寿命のほうが先に尽きちゃうかもしれないけど、そんなことは些細なことだ、私たちの関係は変わらない。
どんな奴だって過去というものはある、これはそれだけの話だ。
★
荒涼としたとある山の中腹。
ごつごつした岩肌に、山の寒々しい風が吹き抜けるその場所で、一頭の白い巨獣が眠っていた。
巨獣の周囲には生物の姿は無かった。
無敵で最強。
その巨獣は一人、ただ漫然と時を過ごしていた。
巨獣は生まれ落ちた時より最強であった。
それゆえの孤高。
だが、孤独を感じたことなどは一度足りとても無かった。
彼が最強なのは己の生態であるが故、彼はごく当たり前に孤独を受け入れていた。
だが、孤独を感じなかったとしても飽きはあった。
最強であるが故の代り映えのない毎日。
そう、彼は退屈を持て余していたのであった。
そんな彼にの元に、とある人間の青年が訪れた。
年の功は20代も半ば、精悍な体つきをした長身の男だった。
青年は腰まで届くほどのさらりとした長髪を風になびかせながら、颯爽とした足取りで巨獣が眠る大岩の足元までやってくると、遠くまでよく通る声でこう言った。
「やあやあ、白狼よ! 今日はお前に話が合ってやってきた!」
青年の声に、巨獣はうっすらと半目を開けてその姿を確認した。
だが、相手がただの人間であることを確認すると、巨獣は興味なさげに瞳を閉じる。
人間など小うるさいだけの矮小な生き物、おまけにごちゃごちゃと着飾っているので食い味も良くはない。巨獣にとって人間とはその程度の存在であった。
だがその青年は、巨獣のその態度に構わずに一方的に話しかける。
「俺が来たのはな、お前さんが目障りだから何とかしてくれと言う依頼があってのことだ。
お前さんがここに住み着いてちゃ、おちおちこの山を利用することもできんってな」
青年の言葉を巨獣は右から左へと聞き流す。
人間たちの都合など知ったことではない。
己は己がやりたいように過ごすだけだ。
だが、青年は話をやめない。
「魔獣よ、伝説に謡われる巨大なる白狼よ!
お前さんが人間なんぞに興味がないのは分かる!
だが、俺たち人間にとってはお前さんの一挙一動が脅威となる!
故に勝手な物言いであるのは承知の上だが、お前さんという脅威を排除する事に決定した!」
何かの紙切れを手に掲げ、ぎゃーぎゃーと喚き続ける青年に、巨獣はいい加減飽き飽きしてゆっくりとその体を起こした。
『やかましいぞ人間。貴様らのことなどこの俺の知ったことか』
「おお! ようやく起きてくれたか!」
『俺はやかましいといったのだ。
貴様如き命を奪う価値もない、見逃してやるからとっとと失せろ』
巨獣はそう言うと、ゆっくりと前足を振りかぶり、青年めがけて振り下ろした。
宣言通りの、威嚇としての一撃。
命を奪うつもりのないそれは、青年の眼前に振り下ろされる――その筈だった。
『?』
だが、あろうことかその青年は、あえて半歩前に出てて、その一撃をギリギリで受け止めた。
『貴様、何を――⁉』
瞬間、体に感じる違和感。
その源は青年が手にした紙切れに発するものだった。
「はっはー! これは神話級アーティファクトである金毛羊の羊皮紙で仕上げた契約書だ!
お前さんのサインは確かに頂いた!
これでお前さんは俺の契約獣ってわけだ!」
青年が手にした紙切れ、その表面には先ほど振り下ろした爪がかすった痕跡がしっかりと残されていた。
その紙切れからは、巨獣に向かって何本もの金の鎖が延ばされ、その鎖に戒められた巨獣は鎖の冷たさと共に、体から力が奪われていくことを感じていた。
『きさ……ま……』
「はっはー! 流石のお前さんでも神話級アーティファクトには敵うまい!
大人しく俺の言うことに従うんだな!」
青年は満面の笑みで勝利宣言を行う。
『俺をなめるな! 人間!』
豪放一閃。
巨獣の雄たけびは、体に纏わりついていた鎖の半分を吹き飛ばした。
「ほーう」
鎖の残骸をまき散らしながら、むくりと起き上がる巨獣を前にしても、その青年の笑みが曇ることはなった。
「はっはっはっ! それでこそだ! それでこそこの俺の契約獣にふさわしい!」
『貴様、生きてここから帰れると思うなよ』
巨獣は牙を唸らせながらそう呟く。
だが、鎖の半分はいまだ彼を戒めている。
力は普段の百分の一も出せやしない。
だが、それだけの力が出せるのなら、目の前の人間を叩き潰すことなどあくびをするよりも簡単なことだった。
巨獣と人間との性能差はそれだけの圧倒的な開きがある。
「はっはー! いいぞ! それでこそだ!」
青年はそう言うと、羽織っていた外套を翻す。
『⁉』
その内側に仕込まれていたのは、おびただしい武器の数々。
青年はその中の二振りを手にしながらこう言った。
「それでこそだ! それじゃー遊ぼうぜ、白き巨獣よ!」
『ぬかせ人間、貴様などその御大層な得物ごと食らってくれよう!』
青年が手にする武器からは尋常ではない気配を感じ取れていた。
だが、それに臆するような巨獣ではない。
例え、武器がどれほど優れようとも、それを手にするのはぜい弱な人間なのだ。
だが、巨獣はこうも感じていた。
思い通りに動かない体。
罠にかけられた憤り。
そして――久しぶりに、いや生まれて初めてかもしれない、胸の底より湧き上がる高揚感。
『思い上がりを胸に死ね! 人間!』
「はっはー! ショウタイムだ!」
そして、2つの存在が激突した。
方や、恐怖と畏怖をもって伝説にその名を遺す白き巨獣。
方や、まるで子供のように無邪気な笑みを浮かべた小さな人間。
牙と刃が激突する。
爪と槌が交差する。
巨獣はその圧倒的な体躯と速度をもって。
青年は千差万別、変幻自在な攻撃手段をもって。
その激しい攻撃の応酬に、天には雷鳴が轟き、大地は悲鳴を上げ崩れ去る。
そして、三日三晩の時が過ぎ――
――地に付したのは白き巨獣の方だった。
『殺せ、人間』
無数の武器によって地に縫い留められた巨獣は憎々し気にそう言った。
「はっはー。やなこった。そいつは聞けねぇ相談だぜ」
いくつもの武器の残骸を前に、満身創痍の青年はそう笑う。
『貴様、俺に生き恥を晒せというのか?』
「はっはー! お前さんは魔獣だというのに、妙に律儀な奴だな。だがそこもまた気に入ったぜ!」
青年はそう言うと、懐から紙切れを取り出した。
それは巨獣を戒める金毛羊の羊皮紙であった。
「改めてだ! 白き巨獣よ! 今ここに! 俺はお前と契約を結ぶ!」
羊皮紙より、再び鎖が延ばされる。
それは巨獣の全身に絡みつく。
『むぅ……う?』
だが、その鎖から感じるのは、最初の時のように冷たく奪われる感触ではなく。
むしろその逆。暖かく自分の背を押すような感覚だった。
「ここからだぜ!
いつまでもこんな小さな山でお山の大将気取ってるのはもったいない!
俺がお前に見せてやる! 世界の広さって奴をな!」
青年はそう言って満面の笑みを浮かべた。
そこから始まるのは冒険の日々。
ある時は、邪教の秘密結社の元へ侵入し、顕現した邪神もろとも、その教団を壊滅させた。
ある時は、二国間の戦場のまっただ中に乱入し、双方を完膚なきまで叩きのめし、その戦争を強制終了させた。
ある時は、呪いによって汚染され、正気を失ったとある精霊と事を構えた。
ある時は、神話に謡われる邪竜とその数千の眷属を相手取った。
ある時は、またある時は……。
めくるめく冒険の日々。
それは退屈に飽きていた日々からは想像もしえなかった日々。
未知なるモノのと遭遇に胸を踊らせ、己の最強を十分にぶつけられる強敵に心を震わせる。
それはまさしく黄金の日々だった。
だが、時間の流れは一定ではない。
数百年の時を生きる巨獣と、わずか数十年の時しか与えられていない青年では、最初から時の流れが異なっていた。
そして、別れの時が訪れる。
『死ぬのか、貴様』
「ああ、どうやらそうみたいだな」
青年はすっかり大人になっていた。
老人と言うにはまだ早いが、過酷な冒険の日々は元青年にそれだけの負担を与えていたのだ。
元青年は出会った時と変わらぬ笑顔でこう語る。
「今まで俺の我がままに付き合わせて悪かったな」
元青年はそう言うと、金毛羊の羊皮紙を取り出し、あっさりとそれを引き裂いた。
『むっ⁉』
突然の奇行に目を白黒させる巨獣に対し、元青年はにこりとしながらこう言った。
「これでお前を縛るものは何もない。契約はここまでだ」
『貴様……』
「だが、一つだけ願いがある」
元青年は彼にしては珍しく真剣な面持ちでこう言った。
「俺のガキだ。
あいつはどうも俺に似て無鉄砲な所がある。
だがあいつはまだまだケツの青いひよっこだ。
それで、ひとつ願いがある。
あいつが独り立ちするまででいい、あいつの面倒を見てやってくれねぇか?」
元青年は自信なさげにそう言った。
「人間の時間なんてお前にして見りゃあっという間に過ぎ去るもんだ。
なーに、飽きたら放り出しちまってもいい。
それでも、少しでも気になるって言うんなら、どうかあいつの面倒を見てくれねぇか?」
元青年が初めて見せた弱気、そして不安。
それに対して巨獣は――
『ふん、気が向く間はな』
ただ一言、そう返した。
「ああそれでいい」
元青年はそう言うと、柔らかな笑みを浮かべて眠りについた。
――そして、時は流れる。
すやすやとうたた寝をする少女のそばに、白き巨獣の姿があった。
あれから月日は流れ、今度は逆に自分の方に残された時間のほうが短くなっていた。
白き巨獣は天を見上げる。
夜空には煌々と月が輝いていた。
この光はいつまでたっても変わることがない。
そう思い、白き巨獣は月に向かって吠え上げる。
「⁉ こら! ルード! アンタ今何時だと思ってんのよ!」
がばりと飛び起きた少女は白き巨獣に向かってそう騒ぎ立てる。
だが、白き巨獣はそれに構うことなくもう一声、大きな遠吠えをしたのであった。
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