第17話 永遠よりも遠い場所

 ルードさんの叫びが耳に届く。

 背筋がゾワリと泡立った。

 彼らはやった、やってくれた。

 初心者パーティでは到底不可能な、シルバーベアーを行動不能にするという大金星。

 彼らは不可能を可能にしたのだ。


 あのバカまでの距離は100m。

 シルバーベアーが行動復帰するまでは30秒。

 トロトロ地面を走っていたのでは追いつかれる。

 ならばどうする?

 そんなことは決まっている!


 すらりとナイフを抜き放ち、彼の名を呼ぶ。

 日に3度のみ、契約獣を距離を無視して呼び寄せることのできるハスターのナイフを使って!


「ルード! 来なさい!」


 瞬間、それまで影も形もなかった私の相棒が姿を現す。

 見上げるような白い巨体。

 私はその巨体にこう言った。


「ルード! 私をぶん投げなさい! あのバカに向かって!」


 私は草原の遥か彼方に立つロバートを指さしそう言った。

 はじめはキョトンとした顔をしていたルードは短く笑った後、私の服を咥えて、大空めがけてぶん投げた!


「くッ!」


 猛烈な加速に歯を食いしばる。

 地面がみるみる小さくなる。

 10m、20m、まだ高くなる、だが、まだ届かない。

 このままでは目標まであと半分。

 すなわち、計算通りだ!


「ルード」


 私は再び彼の名を呼ぶ。

 空中に現れる彼。

 その彼に向かって私はこう叫ぶ。


「ルード! 目標あのバカ! 私をふっ飛ばしなさい!」


 私の指示に、彼は愉快そうにこう言った。


『無茶をする。やはり貴様もあの男の末裔じゃて』


 そう言ったルードは、私を思いっきり張り飛ばした!


 強烈な衝撃に、全身がバラバラになりそうになる。

 ルードの体重は1トンだ。その体格から繰り出される膂力は人間のそれとは比較にならない。


「ぐぅッ!」


 衝撃と急加速により意識が飛びそうになる。

 だが、そうなるわけにはいかない。

 そんなことになったら、あのバカと一緒に心中することになるだけだ。

 はじめは点のようだったバカがどんどん近くなる。


 ここで!


「ルード!」


 私は3度彼の名を呼ぶ。

 これで今日の分は使い切った。

 だが計画通り!


 再び私の目の前に白い巨体が姿を現す。

 私は素早く彼の背にまたがった。


「わぷッ⁉」


 地面に激突した衝撃で、私はルードの背中にめり込んだ。

 だが生きている、この勝負私の勝ちだ!


「ひっ⁉」


 腰を抜かしたバカの目の前に立つ私たち。

 バカの目に映るのは、体高2mの大きなる白き魔獣。

 それが例え棺桶に片足突っ込んでいるおじちゃんでもそんなことは関係ない。

 高々人間一人殺すのに、大層な技も力も必要ない、サイズ差というのはそれだけの脅威なのだ。


「私たちの勝ちよ!」


 私は堂々とそう叫ぶ。


「ひっ! こっ殺さないで」


 バカはガタガタと震えながら小さくそう叫ぶ。


「ふん。アンタを殺してもパンくずひとつの価値にもならないわ。

 私の要求はただ一つ!

 ニトクリスの鏡を置いて、とっととこの森から離れなさい!」

「ひっ! ひいいいいいい!」


 バカはきらきらと光り輝くアミュレットを投げ捨てるように置くと、ふらふらと定まらない腰つきで森の中へと消えていった。


「ふん。貧乏人をなめるんじゃないわよ」


 こちとら失うものなど何もありはしないのだ。



 ★




「はーーはっはっは! どうだ俺様の大活躍は!」


 全身血まみれのルードさんは元気いっぱいにそう叫ぶ。

 確かに今日のMVPは彼だろう。それはいい、それはいいのだが……。


「ルード、アンタ臭いからそれ以上近寄らないで」


 ソノラは鼻をつまみながらひどくあっさりとそう言った。

 そう、自爆覚悟のナルバの実攻撃によって、ルードさんからは耐えがたい刺激臭が振りまかれていたのだ。


「なっ⁉ おっ、俺様はな!」

「いいからそれ以上喋んないで、口からドブ以下の匂いがするわ」

「そっ! ソノラお前!」


 ぎゃーぎゃーと騒ぐ2人をしり目に、私はあのバカが置いていったニトクリスの鏡を拾い上げる。


(うん、何となくだけど使い方は分かる)


 初めて触る魔道具だが、自然と使い方は思い浮かんだ。


「リリース」


 手順を踏んだ後、解放の言葉を発する。

 すると、魔道具から緑の奔流が噴き出した。


「……手間を、懸けさせてしまいましたね」


 魔道具より解放されたドリアードは伏し目がちにそう言った。


「いいわよ。毒を食らわば皿までって奴よ。数え切れない位の借金背負ってるんだもの、今更違約金の一つや二つなんてことないわ」


 私は精一杯の強がりでそう答える。

 いかん、言ってて泣きそうになってきた。


「そう言うわけにはまいりません。仇には仇を、恩には恩で返します。

 このご恩はいつか必ず」

「いーわよ別に、アンタたちの時間感覚で「いつか」なんて言われても、それこそいつになるかわかりゃしないわ。

 精々気持ちだけ受け取っとくわ」


 これは本心からの言葉だ。数千年、或いは永遠に等しい寿命を持つ彼女らにとって人間の一生なんて瞬きの間に過ぎない。

 恩を返したいというのなら、今すぐ現金で返してもらわなければならないが、それが出来ない以上、この言葉は単なる言葉に過ぎない。


「はーあ、疲れたわ。文字通り骨折り損のくたびれ儲けよ」


 全身の節々が悲鳴を上げている。

 あのバカ犬。こんな時に限って私が言った通りの事をしてくれたものだ。

 私はくるりと向きを変え、3人の元へと進んでいった。



 ★



「アレが、今のあなたのマスターですか」

『ふぉっふぉっふぉ。どうやらその様じゃのう』


 遠く、歩を進める小さな人間たちを眺めながら、2体の獣は言葉を交わす。


「人の世の移り変わりとは目まぐるしいもの。ですが、決して変わらぬものもある」

『そうじゃの』


 2体の獣は、遠くのものへと思いをはせるようにそう言った。

 はるか遠く、それは永遠よりも遠いもの、もはや決して触れ合う事のない思い出についた。


「ちょっとルード! いつまでぼさっとしてんの! 置いてくわよ!」


 小さな存在が大きな存在に向かって言葉を投げかける。


『ふぉっふぉっふぉ。まったくせわしなくていかんわい』


 白き巨獣は、その言葉にゆっくりと歩を進める。


「あなた達には大きな借りが出来ました、それはいつか必ず」

『ふぉっふぉっふぉ。返すのならば早くしておくれ。出来ればわしが生きているうちにの』


 白き巨獣は背後を振り返ることなくそう言ったのだった。



 ★



「あっ! しまった!」

「なっ? なによアリシア、急に大きな声を出して?」


 しまった、しまった、何たる失態。

 私ともあろうものが、なんかいい雰囲気に流されて、肝心なことを忘れていた!


「くそっ、大失態だわ。あれドリアードだったわよね」

「えっええ、それがどうかしたの?」


 ソノラはキョトンとした顔でそう聞いてくる。

 だがそう、アレはドリアード、つまりは大地のエレメンタルの元締めだ。

 つまりは――


「あいつを締め上げれば、金銀財宝のありかの一つや二つ白状したって事じゃないの!」


 いかん、今すぐ引き返して、借りとやらを返させてもらわなければ。

 ええそうだ。うん、そうしよう。

 そしたら、あいつは借りを返せて満足。こっちは懐が潤って満足。

 これで双方丸く収まるというものだ。


 と、私がダッシュで引き返そうとした時だ。


「まぁ待て、アリシア。ここは黙って引き下がるのが正義というものだ」


 と、口臭男が私の襟首をむんずりと掴みながら、ひどく満足げにそんな寝言を言い出した。


「ちょ! 放して! いらない! 私は正義なんていらない! そんなものより目先の現金のほうが何倍も大事なのー!」


 私の叫びは深い森の中へと吸い込まれていく。

 ああ、今日も私は無一文だ。

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