第6章 曇天の下 甦る悪意

6-1 縁組の裏側 

「マルメラーデのご正妃様のご息女。半年前に夜会デビューの年齢になられたそうで、それと同時に殿下の所に縁組の申し入れが来ていたんです。ご正妃様は、クラッシィ公爵家と繋がりがあるイエッタ公爵家とは敵対関係にあるらしいファールバウティ公爵家ご出身の方だったからなのか、一時期重臣達の間では真面目に検討されていました」


 やや含みのあるキャロルの言い方に気付いたエイダルが、案の定眉根を寄せている。


「……何故なぜ、纏まらなかった」


「えーっと……今、どうなっているのかは知りません。私がカーヴィアルを後にした4ヶ月前までは、少なくとも纏まっていませんでした」


「何故だと聞いている」


 理由を知らないかも知れない……とは、この期に及んでエイダルは考えない。流石である。


 言い淀むキャロルに反応したのは、むしろエーレの方だった。


「……キャロル?」


 エーレの顔には笑みが貼り付いている筈なのに、何故か部屋の空気が冷えこんだ気がする。


「大叔父上は、そんなに難しい事は聞いていないと思うけど? 怒らないから答えてごらん?」


「……も、もう怒ってるし……」

「うん?」

「⁉︎」


 怖い、怖い! と叫びそうになったが、実際には声になっていない。


「エーレ。萎縮させるなら出て行くか?」

「…………」


 冷ややかなエイダルに、エーレが不満そうに口をつぐんでいる。


 呆れたような溜息をデューイがこぼしているあたり、萎縮しているのはキャロルとストライドくらいなのかも知れなかった。


「大方外交的な側面から言って、マルメラーデの姫を受け入れても良いのではと言う一派と、内政的な側面から言って、東宮近衛の隊長キャロル・ローレンスを立后した方が国内は安定する……と主張する派閥とが割れて、どちらを選ぶにしろ決定的な根拠がなかったんだろう。キャロルはレアールの名を持ってカーヴィアルにいた訳ではなかったから、扱いは平民。市民受けが抜群に良い次期皇帝となれば、身分の話を黙らせる事は可能だったろうからな」


 全く事情を知らない為、大きく目を見開いているストライドに、片手で顔を覆ったキャロルは「今度ジーン夫人と一緒に、ゆっくりお時間頂いても良いですか」とだけ呟いた。


 ここはいったん無視スルーしてほしいと言うキャロルのお願いに、ストライドは察したように「分かりました……」と、返した。


 個人として従うと言ったからには、話を聞いても悪いようには動かないだろう。


 デューイもエーレも、特に反対の声は上げずに話を続ける。


「だがキャロル、おまえ確かアデリシア殿下の側妃そくひとなる為の教育期間として、しばらくは表舞台に立たないとおおやけには伝えられて、その空白を利用して、ルフトヴェークに来た筈だな? そう言う意味では縁談は断ったと……いや、皇妃こうひの地位が空いたままなのか……」


 なっ……! と声を漏らしてるのはもちろんストライドだが、今はそこには答えられない。


「アデリシア殿下は『自分が妃にと望んでいる女性を、身分の問題で側妃として迎える事が既に決まっている。その事をうとんじたり、排除に動いたりするような事がないのであれば、相応の敬意を持って、皇妃として迎えよう』と――そう返事を出すと仰ったところまでしか、私は知りません。本当です……」


 段々とキャロルの声が小さくなっているのは、無言のエーレの顔が、盛大に痙攣ひきつっているからだ。


 考えたな…と、エイダルが口元に手を当てる。


「判断をマルメラーデに投げ返して、時間を稼いだのか。かつ、それなら外交筋からは文句が言えない。断るにしろ、それはマルメラーデからの申し出と言う事になるからな」


「中身は、断っているも同然の内容だがな。側妃ひとすじだから、目を向ける事はないが、それで良いなら、来れば良い。好きにしろ――などと、本来なら激怒ものの話だ」


 淡々と内情を読み取るエイダルとは異なり、カレル一筋のデューイは、呆れを隠さない。


 一言の下に否定しないのは、国家を背負う者として、理解出来ない理屈ではないと、ギリギリ分かっているからだ。


「だがキャロル、おまえはもうカーヴィアルでは、死んだ事になった。だとすれば、この縁組を阻む障害はなくなった事になるな」


「……はい。ただ殿下は、ディレクトアに嫁がれた異母妹君いもうとぎみに、第二子以降の男のお子様が生まれ次第、養子に迎える様な事を仰っていましたから……側妃がいようがいまいが、輿入れされるかたにご寵愛が向かないと言う前提は、多分そのままだと思います」


「無理に婚姻せずとも、皇家の血を引く次代さえいれば良いだろう――とでも言ったところか。まあ、それも一つの策ではあるがな」


 何となくではあるが、アデリシアの考え方は、理解出来ない訳ではないエイダルである。


「だが、そうか……アデリシア殿下は、敢えて鬼畜とも思える条件を付けて、炙り出しを謀るつもりと言う事か……」


「……だと思います」


 やはり、まず気が付くのはエイダルかと、頷きながらキャロルは思った。


「おまえは、誰かが名乗りをあげてくると思っているんだな」


「正直、分かりません。ただ、間違いなく言えるのは、マルメラーデは、アデリシア殿下からの返信を受け取っても、結論は、変えないでしょう。もしかしたら、相手が第一王女ではなくなる可能性はあるにせよ、誰かは、カーヴィアルに輿入れします。それが、誰になるかで――黒幕が、分かると思います」


「――――」


 エイダル以外の全員が、息を呑んだり目をみはったりしている。


「誰であれ、表向きはファールバウティ公爵家ゆかりの者になる筈だが、それでどうやってイエッタ公爵家の人間が入り込むと思う」


「そうですね……一つは、同行する側近の中に長年の間者スパイがいる場合。一つは、輿こし入れする姫自身に何らかの意図、あるいは不満が以前からあって、死なばもろともで、実家ファールバウティを陥れる為にイエッタ家と組んだ場合。最後は、国王あるいは宰相あたりが、イエッタ家が狙った他国支配を横からさらって、最後に王女を嫁がせる事で漁夫の利支配を狙う場合――このどれかじゃないかと思っているんですが」


 エイダルとエーレが、ほぼ同時に「ふむ……」「……うん」と、口元に手をやりながら呟いた。


「なら、一番考えられるのは、ファールバウティ宰相の采配――と言う事になるでしょうか、大叔父上」


「まあ、そうだろう。あの国王に、そんな気概があるようには見えん」


「……そうなの?」


 エイダルの言葉に、キャロルが、隣に座るエーレを見上げると、エーレは苦笑いを見せた。


「あれこれ波風立てずに、次代に繋ぎたい……と言う様な、野心の少ない方だよ。逆に言うと、特定の貴族を贔屓したり、余程の瑕疵かしがあれば別だろうが、取り潰したりはなさらない。自らイエッタ家をどうこうしようと、動かれるような方ではないんだ。良く言えば慣例遵守――的な」


「……何となく分かった、かな」


「と言っても、政務を丸投げされたりとか、そう言った事ではないんだ。単に個人的好き嫌いでは動かない。基本的にとても公正明大な方だから、誤解はないようにね」


 キャロルは、エーレの言葉を反芻するようにコックリと頷いた。


「大叔父上」


 不意に、エーレの声色が変わった。


 一瞬視線を投げて、直ぐに言いたい事を察したのだろう。明らかに、忌々いまいましそうに顔をしかめた。

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