5-4 翻訳して下さい
「……とは言え」
年齢的に10歳の差があるサージェントに対し、これ以上は言い過ぎだと思ったのだろう。
最後サージェントに視線を向けたストライドは、黙礼の様な形で頭を下げた。
「一族を御しきれていなかった責任は、確かに存在します。御子息に馬鹿な事を吹き込んでしまったお詫びは、いかようにも」
馬鹿な事……と、半ば呆然と呟いている
「……いや。こちらこそ、よもやストライド家は妻を担ぎ出してレアール侯爵家と対立するつもりなのかと、そのために息子を取り込もうとしたのかと、疑心暗鬼になって、お呼びだてしてしまった。非礼は幾重にもお詫び申し上げる」
「……それは『疑心暗鬼』ではなく、間違いなく
頭を下げ合う両侯爵に、キャロルもなるほどと納得した。
ミュールディヒ侯爵家と言う最大の後ろ盾を失った貴族達からすれば、今更レアール家と
あわよくばジェラルド・サージェントに、皇位継承権の復権を主張させるつもりだったか。
息子の様子からするに、父親は名ばかりの司法大臣で、実際は宮殿書庫に司書長兼務で追いやられているとでも言われたのかも知れない。
そこはかとなく「ウチの父は凄いんだ! なのに……」とでも言いたげな、
「……少し話題を変えましょうか。ちょうど外政室から本も届いたようですし」
ストライド侯爵、何故背を向けたまま、イオが戻って来たのが分かったんでしょう
か……。
無言のキャロルの視線の問いかけを、ストライドは、恐らくはわざと
「……ラーソン卿、本はここに」
キャロルは諦観して、とりあえず自分の左側に、本を積み上げさせた。
イオが無言で背後に控え直している間に、それを1冊ずつ、自分の目の前に並べ直していく。
「ではとりあえず、翻訳された方の本を持って来ますね」
チラリとサージェントを見れば、困惑したように「ああ……」と頷いている。
「室長殿? 書架の案内は――」
「大丈夫ですー。大体の位置は把握してますのでー」
ヒラヒラと手を振ってサージェントを言葉に窮させたキャロルは、あっという間に複数の本を片手に戻って来た。
そして机に並べておいたそれぞれの言語の本の前に、一冊ずつ、更に並べていく。
「……少なくともカーヴィアル語に関しては、彼女が持って来た本は同じタイトルだと証言出来ますよ」
本を一瞥して、意図を察したように
じゃあ……と、キャロルはディレクトア語の原本を手に取って、翻訳された本の方を、サージェントに押しやった。
「ページ数は違う可能性がありますし、第何章の冒頭を読めとでも言っていただければ、その通りにしますよ? 私は向こうを向いて、そちらの本が視界に入らないようにしますし」
そう言いながら、サージェントに背中を向けたキャロルが、手にした本の内容を悟ったのか、半目でイオを睨んだが、イオは涼しい
「キャロル様が既に訳して内容を覚えていらっしゃるのでは、と言う
「え、コレを⁉︎」
ギョッとしたようなキャロルの声とは裏腹に、お見事、と呟いたのはストライドだった。
この場でも、後日でも、翻訳が口から出まかせではない事を証明出来る理想的な一冊だ。
「宰相閣下が、とっつき
「そ、そう……まぁ宰相閣下、乱読兼併読の究極形みたいな方だから、ド直球の恋愛小説が混じってても、しれっと読んじゃうのか……」
全く異なるジャンルの本を読んでいる筈が、本質的には、同じ事を示している――と言う気付きがこの読み方にはあるため、読書法として、取り入れている人間も多い。
これに多読を加え、アンテナにかかった物を精読すると言うやり方で、どうやらエイダルはかなりの量の書類を裁いていると思われた。
そこで、エイダルの最初のアンテナにかからなかった取りこぼしを拾うべく、全ての本を精読出来るようにする為の外政室なのだろう。
パラパラと本めくりながら、乾いた笑い声のキャロルに、サージェントも
「この本……これを宰相閣下が?」
視線を向けられたイオが「ええ、そう聞いています」と、戸惑いがちに答える。
「ああ、司書長様は既にお読みなんですよね。この宮殿書庫内の本全てを、既に読破
されていらっしゃるとか」
肩越しに問いかけるキャロルに、サージェントも頷いた。
「出版自体は40年程前。前半は甘い言葉が並んでいると思うが、後半はむしろ悲劇に転じる。泣きたい時に読む本だと、今でも年配の使用人や侍女が借りていく事がある。ただ、それよりもまぁ……宰相閣下がお持ちだったと言う時点で、我々には違う意味が降りかかってくる。室長殿、第四章の冒頭を、読んでみて貰えるか」
サージェントが、そのページを開いて、ストライドや息子見えるように、机の上に広げる。
キャロルは背中を向けたまま、原本のページをめくった。
「……天にありては比翼の鳥、地にありては連理の枝。いつまでも、どこまでも、共に在ろうと約束をした筈だった。だが私は今、叶わなかった、対の骸を抱きしめている。天を探せば良いか。地を探せば良いか。片翼では飛べない。繋がっていた枝は解けてしまった。私にはもう、明日さえも意味がない――あのこれ、まだ読みますか?」
途中から、声に動揺が出ていたかも知れない。
まさかの、著者名――フィドレイ・スフェノス。
蔵書目録を見ていた時点では、気にも止めていなかった。
この名前での著書は、今思えば一般書棚に何冊かあった筈だ。
スフェノス公爵家に婿入りした、元王族。
ナタリー・スフェノスの父。王籍を抜けて後、小説家にでもなっていたのだろうか。
キャロルの動揺には気付いていないかのように、サージェント
一人称や単語の表現方法の違いもあり、一言一句とまでは、もちろんいかないにせよ、キャロルが読み上げた内容と、机に置かれた本の内容は、基本の部分で一致しているのをその目で確認したのだろう。
「……良いな、ジェラルド?」
唇を噛み締めたままの息子の返答を、サージェントは求めていないようだった。
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