5-3 早朝の外政室(3)

 固まるサージェント父子おやこに助け船を出したのは、ストライドだった。


「このかたは、私との初対面でもでしたよ、サージェント侯。私など一族の者達の不始末を詫びに行ったにも関わらずです」


「ストライド侯」


「ええ、間違う事なき『不始末』ですよ、侯。私は当主として、ニコス達の振舞いは一族の恥、当主の意向では決してない事を、レアール侯にも、ご息女にも、宰相閣下にも、陛下にも、頭を下げてご理解頂いた。……今日はその事を確認されたかったのでは?」


「……とりあえずは奥のテーブルにいかか。室長殿、貴女も」


 自分は部外者だろうと、頭を下げたままその場に止まっていたキャロルに、サージェントが声をかける。


「いえ、ですが……」


「ちょうど良いので、私とストライド侯との話があくまでだと、いざと言う時には証言いただけまいか。そのついでに、仰ったように貴女が5ヶ国語お出来になると言うのを、愚息にお示し頂けると有難いのだが」


「…………」


 これはジーンにめられたかな、とキャロルは思った。


 サージェントが息子ジェラルドとストライドを会わせたかったのは間違いないだろうが、もしかしたらサージェントの息子も、キャロルに詫びてしかるべきと、思っていたのかも知れない。


 キャロルが公都ザーフィアを離れ、しばらく戻らないと聞いて思い立ったに違いない。


「……ラーソン卿」

「は……」


 キャロルが僅かにため息をついているのを、イオは聞き逃さなかった。


 どうやら何かしらの茶番に付き合わねばならないと悟った表情に見えるが、この場でイオが、何かを言えよう筈もない。


「外政室書庫から、各国1冊ずつ本を持ってきて。選択は任せるけど、既に宮殿書庫に納本済みって言う条件は遵守で」


「……かしこまりました」


 イオが視界の端から消えるのを待って、キャロルも立ち上がる。


「どうぞ先にを。侯のご要望はその後、本が届いてからとさせて頂きます。もちろん私の権限外の話は、この部屋を退出すると同時にので、お気になさらず話を進めて下さい」


 どうぞどうぞ、とでも言う風に両の掌底しょうていを押し出すような身振りを見せるキャロルに、軽さを感じたのか息子ジェラルドの方が柳眉を逆立てたが、父親セオドールの視線がそれ以上を息子に許さなかった。


 態度より、発言の内容に留意しなくてはならないと言う部分で、既に息子ジェラルドは、この部屋の中での最初のであるからだ。

 

 高位貴族同士の駆け引きと言う点で、既に敗れているのだ。


 それが証拠に、ヤリス・ストライドの方は面白そうに口元をゆるめているだけだ。


 異母弟おとうとや一族の者達による、不敬とも取れる暴言に関し、いち早く頭を下げたと言うからには、既にある程度はキャロル・レアール侯爵令嬢の為人ひととなりを把握していると言う事なのだろう。


 否、ストライドが既に「不始末」として、レアール家に頭を下げているのであれば、サージェント家は初期対応として出遅れている、あるいは息子に甘い親としてのレッテルを貼られている可能性が大だ。


 下手をすれば新たな皇帝の治世に不満があるとさえ、捉えられてしまう。


「どうやら私は遅かったようだ」


 サージェントが、苦い表情と共にストライドに視線を投げれば、ストライドも、苦笑未満の表情に変わった。


「ストライド家の場合は、外政室や軍で実際に騒ぎとなってしまいましたし、落としどころの探りようもなかったですからね。時間を戻す事は出来ないにせよ、当主である私自身が、陛下に弓を弾くつもりも、皇位継承権問題に参戦するつもりもない事をいち早く陛下や宰相閣下にご理解頂く為、最善と思われるを打ったまでです。要は己の身を案じただけですよ」


「⁉︎」


 軽く息を呑む息子ジェラルドに、父親セオドールとストライド、双方からの残念そうな視線が突き刺さる。


「……異母弟おとうとが、君に何か妄言を吹き込んだようだ」

「自らの耳に心地良い事を言われ、鵜呑みにしたかジェラルド」


 サージェント父子おやこは、皇族に連なる血を持つ事に興味がないようだとエーレが言っていたが、息子ジェラルドは違ったのだろうかと、内心でキャロルが小首を傾げる。


 視線を向けられるジェラルドの顔色は悪い。


「俺…っ、いえっ、私はただ……本来アルバート陛下の即位式典の際、筆頭侯爵席に位置するのはストライド家かサージェント家である筈だったのだ……と。レアール家の専横など、許す訳にはいかないと、そう……!」


「……わぁ」


 思わず、と言ったていでキャロルが乾いた声をあげたが、ストライドもサージェントも、それをとがめなかった。


 ここ数日、エイダルとデューイに振り回されているストライドも、無言のままこめかみを痙攣ひきつらせている。


 ストライド自身は、身内の意見が分裂をしている以上は、筆頭侯爵席など論外だと考えていたし、皇妹おうまいとの婚姻の条件として、継承権含む皇族特権全てを放棄したサージェントからすれば、何より宰相であるエイダルからその能力を買われている、デューイ・レアールが筆頭に立つ事に、何の不満もなかった。


 ただ、当主の意向を周囲が無視していたと言うべきか、手綱が取れていなかったと言うべきか――いずれにせよ、望んで筆頭侯爵席にいた訳でもないデューイからすれば激怒ものの案件ではあるし、恐らく両家の問題を察していて、デューイにほのめかしもしなかったエイダルにも、デューイの怒りは向く。


 聞くんじゃなかった……としか、キャロルも思えなかった。


「……っ、何だ、その視線は!」


 恐らく居心地の悪い空気を感じたのだろう。ジェラルドが苛立たしげな声を上げたが、流石にキャロルが何か言うよりも早く、サージェントがジェラルドの後頭部を掴んで、音が響く勢いで机に叩きつけた。


「おまえの身についたのは学問だけか、ジェラルド。貴族令嬢への振る舞いとしても、次期皇妃様への振る舞いとしても、問題外の事をしている自覚もないのか」


「ぐっ……」


 ひたいは大丈夫だろうか、と言いたくなるような良い音だったが、キャロルには、止める義理もかばう義理もないので、無言だ。


 と言うか、このセオドール・サージェントと言う人は、所謂いわゆる昼行燈ひるあんどん〟なんだなと、キャロルはこの時確信した。


 自分の専門外分野にはスッパリ見切りをつけている。周囲の評価もどこ吹く風。


 ただ、自分の中で腹落ちしている部分に関しては、一切の妥協も容赦もない。それ故の、アンバランスな声色こわいろなのだと。


 ジェラルドをガン無視して、父親の方を観察(流石にマジマジと見ている訳ではないのだが、完全に気を取られている)しているキャロルに、我慢しきれなくなったように、ストライドが笑った。


「ハハハッ!にも、顔色ひとつ変わりませんか!流石、陛下の〝最後の砦〟!」


「……え?」


 正直、ジェラルドの額が赤くなろうが、仮に血が流れようが、だから何だと言わんばかりの、キャロルの落ち着きぶりに、ストライドの笑いは、まだ収まらない。


「いやいや、ご令嬢なら、多少の悲鳴はあげても仕方のないところですよ?」


 普通、をやや強調したストライドを、キャロルは不思議そうに見やる。


「……キチンと『教育的ご指導』を為さっていらっしゃる訳ですし、特にそれ以上でも、以下でも」


「――――」


 唖然としているのはサージェント父子おやこだけだ。


 カーヴィアルの近衛隊やルフトヴェークの国軍の訓練を考えれば、キャロルにとっては、眉すら動かす事態ではない。


「……教育的ご指導……」


 顔を背けながらも、ストライドの肩は震えたままだ。

 キャロルは、やや呆れた。


「……背中の〝猫〟は、家出しましたか、ストライド侯爵閣下」


「猫? ……ああ! くくっ、そうですね。ちょっと朝に弱くて、まだ起きられていないようですよ」


 この猫かぶりが!と、言いたかった事を、案の定ストライドは理解したらしい。


 さすが北の大国の侯爵。デューイに限らず、有力家当主は皆、一筋縄ではいかないと言う事なのだろう。


 無条件で信を置くな、と言った父親デューイの言葉も、間違いなく正しい。


 いや、申し訳ない…と、何とか笑いを収めながら、この場の全員に聞かせるように、ストライドの視線が全員をひとなでする。


「残念ながら異母弟おとうと達は、自分達の所業せいで筆頭侯爵位を遠ざけてしまった事を理解出来ていなかった。私もそのようなくらいには、興味がなかったがために、異母弟おとうと達の不満をそれほど深刻には捉えていなかった。当主としての力不足を今回は露呈してしまった。これを機に色々とさせるつもりでいたところですよ。サージェント侯爵、私にはレアール侯爵家の対抗馬を作るつもりなど、微塵もない。侯が何を思われて、今日、この場を設けられたのかは、私などでは、推し量る事も出来ませんが、ストライド家本来の有り様は、公正中立。どうぞその事を、ご理解頂きますよう」


 場合によっては、息子可愛さに自分達の側に取り込むつもりだったのなら、断ると、言い切ったようなものだ。


 本音そのままを口にしないのは、いかにも高位貴族らしい駆け引きだ。


 ストライドの最終的な視線の先は、もちろん、サージェント侯セオドールである。


 息子から手を離したサージェントも、怯む事なくその視線を受け止めた。

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