5-2 早朝の外政室(2)

「……何故このような朝早くから、書庫になど来なくてはならないのですか、父上」


 少し甲高い若者の声も聞こえてくる。


「……おまえに聞かねばならぬ事があるからだ」


 ややあって、落ち着いた男性の声がそれに答えている。


 この時間に、この場所に来ている事から言っても、それらがサージェント侯爵父子おやこの声である事は間違いないだろう。


 キャロル自身は、式典などで父親であるセオドール・サージェントの顔だけは把握しているが、まだ対面して、直接言葉を交わした事はない。


 デューイよりやや年上らしいと聞いたものの、やたらと圧を感じる特徴的なミドルボイスを持つ父親と異なり、サージェントの声はディレクトア王国の宿将ロバート・フォーサイスと良い勝負の、超低音だ。


 ただちょっとゆったりとした話し方であるせいか、デューイや、隣に立つストライドに比べると、押しが弱いように感じる声色こわいろではある。


(これは、アレだ。能力はともかく、皇族女性と結婚した事で、無理矢理表舞台に引っ張り出されて、かろうじて司書長兼司法大臣で妥協したクチだ)


 声に関するオタク気質が、災いなのか幸いなのか、キャロルは相手の声から大体の為人ひととなり掴む事が出来、これまでそれは的外れだった事がない。


邸宅やしきで聞けば良い事ではないですか」


 冷ややかに返す息子の声には少なからずの苛立ちが含まれていて、人格的余裕のなさを感じさせる。


 地頭は良いように聞いてはいたが、親に対する反発、苛々イライラが隠しきれていない――反抗期か。


 あー……と、ほとんど聞き取れない音量で事情を察し始めたキャロルの呟きを、イオもストライドも、聞き逃さなかった。


 視線がそれぞれキャロルに釘付けになるものの、現状では言葉を発して尋ねる事が出来ず、黙って様子を窺うより他はない。


 その間も、父子おやこの話は進んでいた。


「本当に、そう思うか?ストライド侯夫人と親しくしているリュドミラの前で、おまえがよく、ニコス・ストライド殿と会っていたのは本当かと、詰問してよかったのか」


「……っ」


 息を呑んだらしい息子と同様に、チラリと視線を投げればストライドの方も、一瞬

息を呑み――キャロルを向くと「お・と・う・と・で・す」と、ゆっくり口だけを動かした。


 例の、キャロルに突っかかった連中の中の一人が、確かそんな名前だったかも知れない。


 年の離れた、異母弟おとうとと言っていたような。


「直接会った事も無い、辺境伯令嬢を、陛下に相応しいと公言して回り、直接会った事もない、レアール侯爵令嬢を、田舎侯爵の妾腹しょうふくと、彼らが吹聴しているのに賛同して、学園で同じような事をやっていたそうだな」


 わぁ……と、声に出さずにキャロルが顔だけを痙攣ひきつらせていると、片手で顔を覆ったストライドが、間を置いて、キャロルに無言で深々と頭を下げた。


 90度以上に折り曲げられた背中が「重ね重ね申し訳ない」と、語っている。


 カーヴィアル語を完璧に操り、母の不調の原因を見抜いたと言う、この美貌の侯爵令嬢は、間違っても父親のゴリ推しで宮殿にやって来た、社交にうつつを抜かす、お飾りの貴族令嬢などではないのだ。


 キャロルが慌てて、ストライドの背中に手をかけ、頭を上げさせようとして、あわあわしている間にも、話は続いている。


「言っておくがジェラルド、レアール侯爵令嬢は、妾腹などではなく、れっきとした正妻の子、実子だ。そして辺境伯令嬢の方は、後妻の連れ子であって、伯の実子ではない」


「えっ」


「その上、レアール侯爵令嬢は、お飾りで外政室にいる訳でもない。この公国くにで、エイダル宰相以外でただ一人、ルフトヴェーク、カーヴィアル、ディレクトア、マルメラーデ、リューゲの公用語を、通訳抜きで理解が出来ると室長に抜擢された、正真正銘の能吏だ。陛下も、外交上の挨拶程度には理解されているが、令嬢は、それ以上だと言われている。宰相閣下のお墨付きだ」


「そんな、ありえません! 父上は実際に、それをご覧になられたのですか⁉︎ そんなものは、皇妃としての価値を持たせる為の、でっち上げでしょう! そもそも、父上とて、この書庫内の本、全てを、読了されたのではないのですか⁉︎ 何故、ご自身のされた事を、もっと声高に、主張されないのですか‼︎」


「……ジェラルド」


 僅かに、本当に僅かに、サージェントの声色が変わった事を、キャロルは察した。


 まぁ、今のは、いくら書庫で二人きり(と、彼らは思っている)とは言え、言っている事は、宰相への侮辱、ひいては皇族に対する、不敬と取られかねない内容だ。で、誤魔化せる範疇を越えている。


 さすがにそろそろ、ストライドだけでも出ていって貰った方が良いのだろうかと、小首を傾げる。


「おまえがニコス殿から何を聞いていたのかは知らんが、私は『宮殿書庫内の蔵書』

を、全て読了しているとしか、言った事はない」


「ええ、ですから――!」


「宮殿書庫内の蔵書は、全てルフトヴェーク語だ」

「え?」


 サージェントの言いたい事を察したキャロルは、左手のこぶしを軽く握って、右のてのひらの上にポンと乗せたが、死角の向こうの息子には、一度でそれは、伝わらなかったようだった。


「外政室書庫にある蔵書は、全て外政室むこうで、ルフトヴェーク語に訳されてのち、宮殿書庫に納本される。すなわち、私がまだ、目を通してい

ない本、今後も目を通さないかも知れない本が、外政室にはあると言う事だ」


 その通りだと、キャロルは、見えない所で、無言で頷く。


 各国の大使館職員は、語学学習の参考になるかも、世情を知るのに役に立つかも、等々とにかく、手当たり次第に本を買っては、こちらに持ち帰ったり、送ったりして来る。


 ちょっとした恋愛小説レベルのベストセラー本なら、それこそ現在のその国の世情なんだろうと言う事で、訳して納本するが、中には、よく発禁になっていないな…レベルの、キワドイ本が混じっていたりするのだ。


 自分への嫌がらせかセクハラかと一瞬思ったが、取っ掛かりが何であれ、それで言葉を覚える気になるのなら、無下には出来ないと、本の処分を相談したエイダルに、真顔で返されたので、結局キャロルは、レンタルビデオ店のレイアウトを思い返しつつ、外政室書庫の隅に「そういう本」のコーナーを、黙って作り、文官達も、暗黙の了解として認知している状況が、出来上がっている。


 誰かは知らないが、エイダルが管理監督者だった頃から、を買って送っているのなら、大分、心臓に毛が生えていると、キャロルは思う。


 もちろん、そんな本は、キャロルの所でき止めて、宮殿書庫には納本していないが、外政室書庫の隅に、今度この職員チョイスの専用コーナーを作ってやろうかと、密かに思っているのは、内緒だ。


 ……意外とウケるかも知れないが。


 などと、キャロルの頭の中で話がれている間にも、サージェントの重々しい話は続いている。


「以前は、その仕分けを、エイダル宰相閣下が行っておられたが、今それは、令嬢の職務として、引き継ぎも完了しているそうだ。確かに、我々では、本当に5ヶ国語がお出来になるのか、確認のしようがない。だが、そもそもおまえ、宰相閣下がそんな、でっち上げの喧伝けんでんさるように見えるのか」


「……っ」


 死角に佇むキャロル、イオ、ストライドは、内心で等しく「それはない…」と思っていた。


 息子ジェラルドに直接の面識がなかろうと、エイダルの冷徹ぶりは、有名だ。最初から正しく「仕事でしか」評価をしない。


 そう言う人物なのだ。


 当然、ジェラルドも言葉に詰まっている。


「んー……そろそろかな」

「え?」


 右手で軽く頭を掻いたキャロルが、ふいに左手で、ストライドの背中を強く押した。


「お時間ですよ、ストライド侯爵閣下」

「お……っと」


 予期しないタイミングで背中を押されたストライドが軽くよろめいていたが、キャ

ロルは気にしなかった。


「じゃあ、せっかくなんで、確認してみますかー?」

「⁉︎」


 わざと聞こえるような声をあげると、そのまま、気乗りがしなそうなストライドを、ずるずると押しやるように、書庫内の死角から姿を見せた。


「なっ……」

「ストライド侯爵……」


 驚いて、声を裏返した息子ジェラルドと異なり、父親セオドールの方は、ゆっくりと目をみはって、目の前の、取り合わせの二人を見やった。


 当然、身分や年齢その他の問題もあり、最初に声を発したのは、セオドール・サージェントだった。


「……このような所に、お呼び立てして、申し訳なかった」

「……いえ。むしろ、早く来すぎましてね。外政室で少々、時間潰しをしておりました」

「外政室で……?」


 ここでようやく、サージェントからの視線を受けたキャロルが、片膝をついて、騎士礼をとった。


 背後で護衛としてイオも、無言のまま、騎士礼だけを、サージェントに示す。


「直接お目にかかるのは、初めてかと存じます。レアール侯爵家長子キャロルにございます。以後どうぞお見知りおきを」


 は?と声をあげているのは、サージェントの隣に立つ息子ジェラルドの方で、サージェント自身は、無言で目をみはった。


 初対面時のストライドと、リアクションが、ほぼ同じだ。

 色々な意味で、次期皇妃らしくないと、その目が語っている。

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