5-5 ストライド家とサージェント家
「マルメラーデ語の本に関しては、司書の中にマルメラーデ出身者がいるようだから、タイトルとの擦り合わせは後で出来るだろう。こうなっては間違っているとも思わないが」
「まぁ……そこはお任せします。確かにちょっと、こっちの本の衝撃が大きすぎました」
40年前――ディレクトア語。
ナタリー妃を失ったエイダルの心の叫びでも書き記したのかと言いたくなるような内容の本だが、まだ詳細を知らないであろうジェラルド・サージェントの前で、それを口にする事は
「……その様子ではやはり陛下、あるいはレアール侯爵から話を聞いておいでだったか」
司法大臣として、エイダルが直接暴露した場にいた父親の方は、
「ああ、彼女と私は、宰相閣下から直接……ですよ、サージェント侯。と言っても彼女の場合は、陛下からもレアール侯からも、もちろんある程度聞いておいでなのだとは思いますが」
一瞬何と答えたものか悩んだところにストライドが代わって答えてくれた為、キャロルは曖昧に微笑んで、やり過ごしておく事にした。
サージェントは、僅かに目を
「関係者全員から……?」
「我々の基準は、長くフレーテ妃で固定されておりましたからね。次期皇妃様は、陛下に守られるばかりを、良しとはされておられない。ご自身で、政治の中枢に関われるだけの実力を身につけられたと言う事ですよ」
「……あの、ストライド侯。いつから、私の
放っておくと必要以上に持ち上げられそうだったので、さすがにキャロルも口を挟んだが、ストライドは平然としている。
「
「それは……助かります」
――空気が寒い。と、キャロルは思った。
キャロルに話しているようで、ジワジワと言葉でサージェント
次期皇妃を
特に、しれっと
この腹黒っぷりで、どうして一族の手綱が取れていないのかと、キャロルは思わず小首を傾げてしまった。
「……今更ですけど、アノヒトたち何だって放っておいたんですか? 一網打尽でも狙ってました?」
ジェラルドの傷口に塩を塗り込んでいる気がしつつも、敢えて直球で聞いてみると、ストライドは僅かに苦笑を浮かべた。
「何を言っても言い訳なので、敢えて自己弁護もしませんでしたが……そうですね、母の体調不良が
「……なるほど」
「そう言えば、先代夫人の体調があまり思わしくないようだと妻が言っていた。そ
れほどお悪いのか」
ジェラルドやキャロルの年代はともかく、カティア・ストライドが、愛妾に溺れたままの当主に代わって実質ストライド家を支えていたと言うのは、宮殿内では有名な話だった。当然、サージェントも把握している。
ただしカティアは領地の維持が精一杯であり、宮殿内部での権力闘争の手綱まではとれておらず、ストライド家はしばらく、カティアとその息子ヤリスを筆頭とする中庸派と、側室の子ニコスを中心とする、ミュールディヒ派とが、一触即発状態だったのだ。
カティアの体調不良に前後するように、先代当主が領地の最奥に追放され、ヤリス・ストライドが新たな当主になってから、実はまだ一年もたっていないのだ。
内部の手綱が取れていない事を責めるのは少し酷だろうと、サージェントが助け船を出し、話の矛先を変えさせた。
そうですね……と、ストライドは、何か苦い物を飲み込んだ後の様な微笑を、垣間見せた。
「私も妻も、少し……いや、かなり肉体的精神的疲労が蓄積していましたね。使用人達に任せれば良いと言う訳にいかなかった事も多かったですから」
「……介護
介護うつ、と言う耳慣れない単語にストライドもサージェントも首を傾げたが、むしろキャロルは納得した表情を浮かべた。
「倦怠感や思考障害、食欲不信、睡眠不足、その他諸々……です。言わばお世話をする側に降りかかる
「いえいえ。深淵の暗闇に一筋灯りが見えただけでも、私も妻も救われました。ストライド家は基本、中立を前提として、陛下にのみ付き従う特殊な家系ですが、私個人としては、何かあれば貴女にも手を貸すと言う事を念頭に置いて頂いて構いませんよ。貴女にはもはや、レアール家の令嬢ではなく、陛下の隣に立つ者としての自覚がおありだ。我が家の主旨に反する事もありませんからね」
ストライド家本来の有り様を、ストライドから見たキャロル・レアールと言う人物の
それと察したキャロルは苦笑するしかないが、この際なので便乗させて貰う事にした。
「……ではお言葉に甘えて、書庫の
「!」
ストライド、サージェント、ジェラルドが、三者三様の、驚きの表情を浮かべる。
ストライドは既に、キャロルが各国の医学書、薬学書、伝承などをかき集めて、自身が負ったと言う刀傷や、カティアの「認知症」に関する研究を始めようとしている事を知っている。
そこに国の費用を注ぎ込まず、堂々とストライド家に資金援助を要請した事も――だ。
当然、資料に関しては外政室書庫だけではなく宮殿書庫からも集めたい筈で、キャロルは正攻法で、現時点では自分よりもより地位の高いストライドから、それをサージェントに頼んでくれと言っている。
研究の一助になる事が分かりきっている以上は、ストライドからは断る事が困難な、
「くっ……これはこれは」
ストライドがサージェント
「ストライド家の
「既に十分〝誠意の証〟として、お示し頂いたと認識していますし、何だか侯にお願いするとかえって高くつきそうなので、欲はかかない事にします。ああ、でも少し悪女らしく、レイトン産の茶葉でも融通して頂きましょうか? 出来れば定期的に仕入れられるようにしたいのですが」
「それも妻から聞いていますよ。お世辞抜きにお好きなんですね……正規ルートでの新規取引先の追加を普通、悪女のお
「そうですか?」
「そうですとも」
どちらからともなく、ふふふ……と微笑んでいるのが聞こえるが、実際は狐と狸の化かし合いにも等しい。
完全に迫力負けしているサージェント
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