4-16 手紙の君の真実

「私……自分で思ってたより悪意と暴言にさらされていたのが……キツかった……みたいで……」


 声に出さない事で、ある日いきなり心を壊すかも――いつかのリーアムの言葉が脳

裏を過ぎり、エーレが言葉を呑みこんだ。


「心配……して欲しかったのかも……私を……見てって……」

「……っ!」


 震えるキャロルの言葉を遮るように、エーレは、抱き寄せる腕に力をこめた。


 キャロルの頭上で、まいった……と、小さな呟きが聞こえる。


「さすが、リーアム」

「エーレ……」


「不安なら何度だって聞いてくれとは言ったけど……君が自分自身、大丈夫と思い込んで聞かないって言う可能性を失念してた」


 心当たりがありすぎるキャロルは、返事の代わりに、両手でエーレの上着を握りしめた。


「……これは、言うと君にドン引きされそうだから、黙っていたんだけど」

「?」


 本当に言いづらそうな声の響きに、キャロルがふと、顔を上げる。


「俺が、約4年、ルフトヴェーク語をしっかり勉強したいって言った君に、どうしてそれ以上の事を、あれこれ手紙で教えたと思う?」


「え……」


「まさか嫌がらせとか、思ってた?」


 エーレの腕の中で、キャロルが大きく、首を横に振る。


 何回か、チラッと思った事は、エーレの表情を見るに、何故か言わない方が良いような気がした。


「……あれ全部、皇妃教育だったんだ」

「……え?」


「ルフトヴェークの宮廷公用語と併せて、公国の歴史やら、主要貴族の領地に関する一般知識やら、爵位ごとの力関係やら、商業、とりわけ物やお金の流れやら……まあ、要は一緒に公国くにが動かせるだけの諸々かな。大叔父上や口さがない貴族連中を捻じ伏せるには必要な武器だと思ったから」


「…………」


「ただドレスを着て社交をするだけなら、わざわざ君を選ばなくとも――なんて言われかねない。宮廷マナーならカーヴィアルで鍛えられるだろうし、後は知識さえあればと、思ったんだよ」


「……じゃあ、エーレは……」


「ルヴェルで君を迎えに行くと約束した時から、俺の妃は君しかいないと思ってた。母がもう亡くなっていたから、教育が実務に偏ってしまったのは、勘弁して欲しいところだけどね」


 目を丸くしたままのキャロルに、エーレが苦笑を閃かせる。


「それに俺自身、君をルフトヴェークに呼んで、その後準備や教育に更に1年も2年もかけるような事をしたくなかった。君が成人して、納得をして、公国こちらに来てくれたなら、すぐにでも結婚するつもりであれこれ教えた」


「……っ」


 ――エーレはもちろん、遊び人でも継母けいぼへの愛をこじらせている訳でもないが、ことキャロルに対しては、やった事は一歩間違えれば、若紫を自分好みに育てあげた光源氏だ。


(うわぁぁ……っ!)


 サッと、顔に朱が差したきり、言葉が出ない。

 光源氏と言っても良さそうな美形には違いないが。


「そして君は、ありとあらゆる知識を吸収してくれた。あの大叔父上が、君の教育が不足しているとは、ナタリー妃の事が分かる前の時点でも、一言も言わなかった」


「そう……なの?しょっちゅう怒られてるけど……」

「それは俺もだよ。そこは、教育じゃなくて、政務上の話だろうね」

「……そっか」


「だからと言う訳じゃないけど、君はもう、皇家おうけが認めた妃と言う事になる。胸を張って良いんだよ、キャロル。胸を張って――一緒に歩こう」


 ただ……と、エーレの顔が、スッとキャロルの耳元に近付いた。


「いつでも、誰よりも、何よりも、俺を優先。これは忘れないでくれるかな」

「――っ!」


 ビクッと身体を震わせたキャロルに、くすりとエーレが微笑わらった。


「もしかしてだけど……俺の声、結構好きだったりする?いつも反応が可愛い」

「…………」

「うん?」


 ちょっとした冗談のつもりだったが、潤んだ目のキャロルが、小声で何かを囁いた。

 エーレは更に顔を寄せた。


「……すごく、良い声だと……思う。その……好き、かな……」

「……っ!」


 今度は一気に、エーレの顔が赤くなる。


「反則だろう……っ!」

「エーレ⁉ あっ⁉︎」


 キャロルの視界が、エーレの胸元から天井に、くるりと変わる。


あおったのは君だ、キャロル。今夜は君が、俺が溺れているのと同じくらいに――俺に心底溺れるまで、やめるつもりはないから、そのつもりで」


「えっ⁉︎ ちょっ……んんっ」


 待って、と言いかけた言葉は、エーレの唇で塞がれてしまう。


志帆しほさん、ごめんなさい。、撤回し

ます!)


 為す術もなく、ドレスの胸元をはだけさせられながら、キャロルは以前、カレルと交わした会話に対して、内心で訂正を叫ぶ。


この人エーレ、めっちゃだし、お父様よりも遥かに重かった!)


 ソファ、浴室、そして寝台ベッドと、エーレは本当に、朝まで全く手加減をせず、キャロルを抱き続けた。



 明け方、キャロルから念押しをされていたリーアムが、起こしに行った時には、寝台ベッドで、俯せ状態のキャロルに、上からエーレが覆い被さっていた。


 リーアムが入って来た気配を察したのか、やや、荒い呼吸で上半身を起こしながも、愛おしげに、キャロルの肩の傷に手を滑らせているエーレとは対照的に、ピクリとも動かないキャロルは――どう見ても、気を失っていた。


「エーレ様……」

「……早いね、リーアム」


「朝、ご予定がおありとかで、であっても、起こして欲しいと頼まれておりましたので」


 どう言う状況、のところにわざと力をこめたリーアムに、エーレが苦笑いを浮かべた。


「いつ頼んでたんだ……と、言うか、俺に溺れてくれって言ったのに……まだ、ダメか」


 あわよくば、出発までこのまま……と思っていたらしいエーレに、リーアムが呆れる。


「どこの鬼畜ですか。本当に、これまでとは別人ですね。そこまでなさらなくとも、ちゃんとキャロル様は、エーレ様に向き合っておいでと思いますが?」


 むしろ並のご令嬢ならば、既に耐え切れなくなっているのでは……と、危惧するような、重すぎるに、最近では〝綵雲別邸〟の使用人達は、キャロルに尊敬と「陛下を見捨てないで!」と、懇願しているかのよう

な、眼差まなざしを向けている。


「ああ……それは感じているよ。ただ彼女は、どこかで俺が公国くにの為に、彼女の手を離す日が来るかも知れないと覚悟を決めているふしがある。ヒューバートやルスランのような股肱ここうの臣としてなら、それは理想的な覚悟だし、一般的な政略結婚の妻なら、それも妥当だ。だけど俺にとっての彼女は、そうじゃない。そうじゃないんだよ、リーアム。俺はどうあっても、彼女にそれを、理解して欲しくてね」


「エーレ様……」


「少なくとも、俺にとっては〝比翼連理〟――互いが存在しなければ、飛べない鳥だ。俺にはもう、彼女のいない未来なんて、存在し得ないし、必要もない。決して、この傷の責任を取ろうと、側にいる訳でもない。いくら皇帝として不適格と言われても、彼女だけは、誰にも譲れないんだ。――らしくないと怒るかい、リーアム?」


 そっと、キャロルの肩の傷に口づけながら、ささやくエーレの表情は、本気だと、長年仕えるリーアムには理解出来た。

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