4-15 いつでも、誰よりも、何よりも
「正しい処方箋があるべきと……思ったのは本当。怪しい祈祷で財産を巻き上げられる人をなくしたいのも本当。だけど何より……自分が治りたかった……っ! 思う通りに動かないこの腕が、いつか貴方を守り切れなくなる事がどうしようもなく怖かった! だから……っ」
「キャロル……」
「ごめんなさい! 皇妃となるべき人間が
「キャロル!」
なおも、ごめんなさいと呟き続けるキャロルを、テーブル越しに手を伸ばしたエーレが、自分の方へと勢いよく抱き寄せた。
「――謝らなくて良い」
「エーレ……っ」
「君のこの傷は、ミュールディヒ家のイルハルトがつけた傷だ。レアール侯を殺させない為、俺を叛逆者にしない為――
キャロルの背中に回った、エーレの右手が、服の上から、キャロルの傷をなぞる。
「でも……っ」
「ラーソンもレクタードも、場所は違えど彼らにも、原因を同じくする傷がある。そ
の時点でもう私事とは言えない。媚薬の解毒剤やストライド先代侯爵夫人の病が、いつか万人の役に立つかも知れないように、君の刀傷が完全に治るのであれば――俺だってもっと早く、治るかも知れない。それでも私事?」
エーレの左手が、キャロルの右手首を掴んで――フェアラート公爵に斬られた傷跡の上を、服の上から滑らせる。
「キャロル。まだ3ヶ月だ。3ヶ月しかたっていない。思う通りになんて、まだ、動
く筈がないんだ。いずれ共に、闇夜を歩いてくれるんだろう? だったら一方的に、俺を守ろうとなんてしなくて良い。そんな事で、皇妃に相応しいかどうかなんて判断をしないでくれ。俺の側にいられないかも知れないなんて考えないでくれ。君はこれまで、俺の隣の席以外に何一つ望んだ事なんてないだろう……っ」
苦しげなエーレの声がキャロルの耳元で囁かれ、その気品ある声に、キャロルの身体がビクッと震えた。
「宝石一つ、ドレス一着、身内の士官すら望まない。私事で望むなら、そう言う事だよキャロル。自分の怪我をきっかけに、刀傷を少しでも治せるような薬を研究しようとする――それは誰にも責められるべき事じゃない。むしろ俺が喜ぶ、俺にとっての私事じゃないか……」
「そんな……事……っ」
「万人が認める相応しい皇妃なんて存在しない。そんなもの、皇帝にだって当てはまらない。俺を認めない貴族だって吐いて棄てる程いるんだ」
そんな事はない、とはキャロルにも言えなかった。
百人中百人が支持をする為政者なんている筈がないと、カーヴィアル帝国でも、キャロルは充分に見てきた。
口にしないまでも、キャロルの表情からそれを察したエーレが、満足げに少し
「だけど君は……俺を認めてくれるだろう? 俺は、それでもう充分だ。例え亡命しようが〝
キャロルの右手首から離れたエーレの手が、キャロルの頬に触れる。
「あと何回、君を抱けば――あと何回、愛していると君に
「……っ⁉︎」
相変わらず、明け透けに言われる事に慣れないキャロルが、耳まで赤くなる様を、好ましげに、エーレが見つめる。
「俺は一度だって君に、俺の役に立って欲しいとか、皇妃として相応しくあれとか、言った事はない筈だよ。そんな事を言ったら俺は何様だって言う話になるだろう? あぁ、誤解しないで。君が、君らしくある為に払う努力までを否定したりはしない。一度崩れたものを、共に積み上げて行こうと誓った事は決して忘れてはいないから。ただ、俺の知らないところで勝手に絶望して、勝手に身を引こうとしないで欲しいだけなんだ。それは俺が耐えられない」
見つめる視線の奥に、熱が渦巻いていた。
己以外の全てが嫉妬と排斥の対象であり、ただ、人目と常識の名の下に、それを抑えこんでいるだけだ――と言ったデューイの言葉が、キャロルの脳裏を過ぎる。
「エーレは……」
「うん?」
「スフェノス家が、私をディレクトアに戻せとか……ワイアード辺境伯が
エーレの目が、答える代わりに大きく見開かれた。
「私は……エーレの隣の席が欲しかった。でも、同時に……ただ、側にいるだけって言うのが……嫌で……」
愛でられるだけの、お飾りの席なんて欲しくない。
公私共に、自分を必要として欲しい。
周囲は皆、エーレの愛情が重すぎるかのように思っているが、もしかすると自分の方にこそ、エーレが引きずられているのではないだろうか。
……そんな思いをキャロルは拭えずにいる。
「だから……色々と無茶を?」
「エーレと離れろとか……私だけじゃ
そんなキャロルの言葉を、エーレの唇が塞いだ。
「……っ」
頬を撫でていた筈の手が、いつの間にか頭の後ろに回っていて、言葉も出せないキスが、しばらく続く。
もう、本当に窒息する! と思った寸前で唇は離れたが、キャロルはそのまま、エーレの胸に倒れ込んでしまった。
「――滅びれば良い」
「⁉︎」
息も絶え絶えのキャロルの耳に、とんでもない言葉が飛び込んでくる。
「側室の実家の支援? そんな事でしか維持出来ない皇統なら、途絶えてしまえば良い」
「そんな事……って……」
「俺は君と二人で
「もちろん……付いては……行くけど……」
酸素不足で頭の回っていないキャロルは、エーレの笑顔に押されて、うっかり、引き留める事を忘れた。
「まさか公国の民を窮地に陥れるような、そんな無責任な真似はしないよ。ただ、側室を
「えっ……」
普通に考えれば、失脚してまで、自分を選ばなくて良いと、言わないといけないのだろう。
だがキャロルは、それが言えなかった。
「……うん」
己の容貌に関しては、自己評価として
だが実際にはどうだろう。エーレはことごとく、
「例え存在しない側室でも、嫉妬してくれるのは嬉しいな。俺ばかりが君に溺れるのも悔しいからね。大丈夫、俺は永遠に、君に飽きる事も他に目移りする事もない。だから安心して――俺に溺れてくれ」
「ん……っ!」
再びエーレが深い口づけを落とし、キャロルを抱く腕に、力をこめる。
「溺れ……って……んっ」
「いつでも、誰よりも、何よりも、俺を優先してくれれば良い。そうすれば、護衛と二人で出かけようとも思わない筈だし、俺に相応しくない、なんて言う馬鹿な考えも、二度と持たないだろう?」
「――ひゃんっ⁉︎」
エーレの唇が、耳元から
安心して、溺れて――そう囁かれて、ようやく自覚する。
どこかにまだ、エーレが、自分を選んでくれるなどと……納得しきれない気持ちが残っていたのだろう。自分で思うより、周囲の貴族達からの暴言や悪意が、
共に地獄に堕ちると誓っても尚、不安で不安で……無意識に、無茶を繰り返す事で、目が離せない存在だと、思っていて欲しかったのだと。
「ご……めんな……さい……」
「……キャロル?」
いつだって彼は、
態度でも、伝えてくれていたのに。
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