4-14 旅の準備

 当初リーアム達も、貴族令嬢の衣装がそんな場所に収まりきる筈がないと、流石に

妃用居住区の完全閉鎖には苦言を呈していたのだが、エーレはこれも、カーヴィアルでの生活が長かったキャロルがドレスを一着も持っていない事、当面は皇妃用の部屋に残る先代皇妃セレナ、つまりエーレの実母の衣装のアレンジで問題ないと言って、押し切った。


 実際今も、キャロルがストライド家別邸に行くに当たって着用していたドレスも、セレナ妃のドレスをアレンジしたものだ。


 元よりドレスや装飾品に全く興味執着のないキャロルは、その間一切口を出さず、そのためこの〝綵雲別邸〟には今、リーアムが婚家であるメイフェス商会から取り寄せた寝間着ネグリジェや下着類が少しある程度で、長期の旅支度などと、やりようがなかったのである。


 申し訳なさそうなリーアムに、慌ててキャロルが手を振る。


「あ、ううん、大丈夫! 今回は長旅になるから、ちゃんと〝迎賓館〟で手分けしてやってくれるみたいだから! って言うか、ここに私の物が、今の段階で幾つもあるのが、そもそも――」


「でしたら晩餐用のドレスだけでも、こちらでご用意させて頂きます。まだドレスのお仕立ては一着も間に合っていらっしゃいませんでしょう」


「えっと……ハイ」


 今日に限らず、キャロルが「婚姻の儀がまだなのに――」と、口にしようとする都度、エーレどころか、リーアムや他の使用人達も笑顔で無視スルーしている気がしてならない。


 淑女の貞節は、何処にいったのだろう。


 先代皇帝の側室だったフレーテ・ミュールディヒが、ドレスや宝石を、事あるごと皇帝に強請ねだっていた様を記憶している〝綵雲別邸〟の使用人達からすれば、キャロルは浪費どころか、居丈高に使用人達を使役する事すらしない、慎ましやかなご令嬢でしかなく、本人だけがその事を知る由もない。


 騎士服を着たり実剣を持っているところなどは、宮殿のマナー講師からすると、卒倒ものの事態ではあるのだが、カーヴィアル帝国の宮廷マナーを完璧に身につけている為、基本の部分で指摘する事がなく、リーアムらと同様に「もう少しドレスをお召しになりませんか」以外に何も言えず、キャロルの足を引っ張りたかった貴族達も、同様に何も言えなくなっているのが現状だった。


 せいぜい「田舎の侯爵家」と罵るしかなかったのが、昨今ではそれすらも言えない状況になりつつある。


 エーレ、エイダル、デューイ……果たして、誰がどこまで手を回しているのだろうか。


「すまない侍女長。私の衣装もそうだが、数は最低限で構わないから、共にまとめて

おいてくれれば良い。基本的には既製品にはなるが、各箇所の民族衣装や宝飾品をその土地で買って、そこでの晩餐用にしたいと思っているんだ。少しでも、皇家おうけが寄り添おうとしているように見えればと思ってね。それがそのまま、彼女への好意的な評価にも繋がるだろうから」


 私室の応接テーブルに紅茶を置くリーアムに、エーレはそう、声をかけた。


 まあ、と軽くリーアムが目を瞠る。


「既製品と言うのはやや気になりますが、ご趣旨には大いに賛同致します、陛下。では、予備の衣装程度にご用意させて頂きます」


「ああ、そうして欲しい」


 エーレが片手を上げ、リーアムも、心得たとばかりに、部屋にいたもう一人の侍女を伴って、いったん私室から退がった。


 本当は、キャロルの着替えを行うつもりだったのだろうが、そうはさせない空気が、エーレにはあった。


「――さて」


 足音が遠かったところで、ソファに腰掛けるエーレが、足を組み替えながら、キャロルに視線を投げた。


「もう良いか?話を聞いても」

「……っ」


 声は柔らかいが、表情は為政者の表情だ。

 キャロルは一瞬、息を呑んだ。


「食事をしながら……と思っていたけど、何かあったんだろう?」


「何かあったと言うか……多分ストライド侯爵は、まだおおやけにはしたくないんじゃないかと、私が勝手に判断したと言うか……」


「……うん?」


 ジーン・ストライドは、特にキャロルに口止めをしたりはしなかったが、体調不良や身体の怪我以外が原因と思えるような病に関しては、呪いだ何だと、とかく不名誉な噂を引き起こしがちだ。


 そうでなくとも、一族複数中央から叩き出されて、屋台骨が揺らぎがちなストライド家をこれ以上揺さぶったところで、誰得かと言う話になる。


 恐らく皇帝陛下エーレに伝える事だけは想定しているだろうと、キャロルは、この場この空間を作り上げたのである。


 カティア・ストライドの「病気」の話と、認知機能障害と言う聞き慣れない言葉に、エーレが僅かに眉根を曇らせた。


「聞いた事がない……」


「あ、うん。ジーン夫人にも言ったんだけど、ちゃんとした病名にもまだなっていなくて、向こうでもまだ研究途上の症状で……」


「君は、知り合いが亡くなって、宙に浮いたその研究を引き継ぎたいんだ?」


「あっ、やっ……私には医学知識はないし、そんな大それた事を言うつもりはないんだけど……実際にカティア様って言う実例を目の前にしちゃった以上は、何か出来ないかなって思ったと言うか……」


「それが、カレル夫人の逗留?」


「ええと……母の件は、エイダル公爵の爆弾発言の弾除けと言うか、一時避難にちょうど良いって思ったのもあったから……ジーン夫人と父の許可は、もう貰っていて……母とカーヴィアル語で話をしながら細かい手作業をする事自体は、間違いなく症状の緩和になるし……」


「ストライド侯は、まだ知らないんだろう? 許可が下りるとは限らないんじゃ?」


「多分奥向きに限らず、商業取引や何かに関しても、ジーン夫人が想像以上に実権を

持っていると思う。話をしていて、認知症以外のところで話に詰まるって言う事がなかったから。十中八九、夫人が頷けばあの家の中で、話は通る」


 矢継ぎ早のエーレの問いかけに、言葉は選びながらも、キャロルは全て答えきった。


 エーレは口元に手を当てて、考える仕種を見せている。


「……薬学研究の出資者スポンサーか……大叔父上じゃないけど、お茶会に出かけただけの筈が、45に事態が転ぶとは、思いもしなかったな……」


 反論出来ないキャロルは、肩をすくませて、縮こまるしかない。


「それで……媚薬の解毒剤を作ると言う、あのユーベルって言う男に、その『認知機能障害』の研究もさせるつもりなのか?」


「出来れば……もちろん各国の薬学本の研究もして貰いながらになるから、すぐに結

果の出る話じゃないと思う。ストライド侯爵には、そこも納得して貰った上で……って言う話で、ジーン夫人とは決着したんだけど」


「それでも、原因さえ分からなかったところに見えた、唯一の光だ。それを消す事は、侯爵もしないだろうね。それに、薬学研究の出資者である事を公表すれば〝皇帝の箱庭〟ではなく〝薬師くすしの守護者〟として、将来的に、外向きの新たな役割を得られる可能性だってある。一族の不祥事で評判を落としている今、侯爵にとっては、それも、無視出来る話じゃない」


「……最初から、そこまで考えていた訳じゃないんだけど……」


 ボソボソと呟くキャロルに、エーレが苦笑いを浮かべた。


「だから、大叔父上に『斜め45度』って言われるんだよ、キャロル。最初から意図をして押し付けた訳ではないから、相手も、気付けばその思惑に、絡めとられている」


「絡め……」


「そもそもどうして、各国の薬学書の内容を統一しようと思ったのか聞いていなかったな、そう言えば」


 何気なく問いかけたエーレに、ピクリとキャロルの顔が痙攣ひきつった。


「キャロル?」


 それは出来るならば、気付かずにいておいて欲しい疑問だった。


 エーレの視線を避けるように俯いたキャロルは、左手をそっと自分の肩口に置いた。


 個人的な事だと、やはりそしりを受けるかも知れないと思うと、自然と口が重くなる。


「……ごめんなさい……」


 エーレ相手に、誤魔化そうなどとは、キャロルも思わない。どのみちユーベルにも言った事だ。


 ごめんなさい、と、再度小さく言葉が漏れる。


「理由は……少しでもこの傷が……元に戻らないかな……って、私事わたくしごとで……色々、理由を後付けしただけで……」


「―――」


 エーレの目が、ゆっくりと瞠られる。


「……ごめん……なさい……」


 その目を真っ直ぐ見る事は、今のキャロルには出来なかった。

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