4-5 ストライド侯爵邸別邸(3)

 カティアの言葉自体を完全に理解しているのは、ジーンにも見てとれた。


『まあ……ふふ、そうね。私が本家でお目にかかっていた頃も、お庭でよく側仕えの方と手合わせをされていらっしゃったから、成長されてもさぞや活発でいらっしゃるのでしょうね』


 だが時系列的に、会話が噛み合っていないと思われる部分があるにせよ、ジーンが知る限り、昨今ここまでカティアとの会話が成立した事はなかった。


 自分達が知らない単語が複数ある点を差し引いても、だ。


 本当に、キャロルにはカティアの「症状」に心当たりがあるのだろうと、この時ジーンは確信した。


『貴女が、お若いうちからカーヴィアルにいらっしゃったと言うのは……やはり、エイダル公爵様のお血筋でいらっしゃるところに、ご関係が?』


『……っ』


 こてん、と少女のように可愛らしく首を傾げたカティアの口から放たれる爆弾発言に、キャロルが弾かれたように顔を上げた。


『ご……存じで……』


『本来、わたくしが聞いて良い話ではなかったようなのですけれど、旦那様の行く末と言いますか、当主としての資質にいささか不安を覚えていらっしゃったお義父とう様から、万一の際には、私から息子ヤリスに引き継いで貰いたい――と、耳にしておりますわ』


『なるほど……』


 カティアの言う「旦那様」様は、既に追放されている先代当主、そして「お義父様」は、既に亡くなっている先々代当主の事だろう。


 ――間違いなく、先代侯爵夫人カティアの記憶は、現在に近付けば近付く程欠落している。


 病気と言うよりは、加齢からくる認知機能障害アルツハイマーとみて、間違いはないと思えた。


 それは、そんな概念はまだないだろうし、原因不明とされてしまうのも当たり前だ。


 そして秘された〝皇帝の箱庭〟を管理するストライド家先々代当主なら、当時の皇帝はアズワン帝であっただろうし、エイダルとナタリーの事は、尚更知っているとみるべきだった。


 先代当主が頼りないと判断した先々代が、その妻にも知識を授けたようだが、ことここに至れば、慧眼だったと言わざるを得ないのだろう。


 思わぬ事を聞かされたキャロルは、動揺を静めようと、軽く深呼吸した。


『お察しの通りです、カティア様。私は、おうていリヒャルト・ブルーノ・エイダル公爵と、ナタリー・スフェノス公女の血を引く者です。諸々の憂いが取り除かれました為、最近ルフトヴェークに戻って参りましたが、この事はまだ、おおやけになってはいないのです』


 ストライド家先々代当主から頼られる程だ、元は頭の回転の早い女性だった筈――。


 探るように、キャロルがカティアを伺えば、カティアは分かっていると言うように、口元に微笑を浮かべた。


で、陛下がエイダル公爵様にご助力を請われに行かれた際に、お二人の事は伺いましたのよ。陛下はその際、お義父とう様に「私が箱庭に閉じ込められるか、あるいは叔父上に箱庭の存在を説明して貰わなくてはならない事態になるかも知れない」と仰られたと。その時は、結局どちらにも転びませんでしたけれど、状況が変わったのかと思い、伺ったまでですわ。このストライド家が〝皇帝の箱庭〟の管理者である限り、滅多な事は口に致しませんから、どうかご安心なさって? ――エイダル公爵令嬢』


『ありがとうございます、カティア様。心からの感謝を』


 カティアの中では、30年以上前の飢饉はつい最近の事であり、カティアの言う「陛下」は、先帝オルガノだ。


 それさえ理解していれば、会話を成り立たせる事は可能だと、キャロルは気が付いた。


『私は近いうちに、エーレ殿下の元に嫁ぐ事になります。この先はルフトヴェークに根を下ろす事になりますので、どうかまたお話しが出来れば、嬉しく思います』


『まあ、そうですの! 道理で〝皇帝の箱庭〟の事もご存知なのね……ええ、もちろん、喜んで! カーヴィアルにいらっしゃった頃は、ご苦労をされておいでのところもあったやも知れませんが、陛下は、先帝アズワン陛下よりも、エイダル公爵様を慕っていらしたようですし、貴女の事も、本来のお立場に戻して下さった上で、きっと実の娘のように可愛がっ下さると思いますわ。どうか今からでも、殿下と幸

せになって下さいませ。私も、こうしてカーヴィアルの言葉で忌憚なく話せるのは、とても嬉しく思っておりますの。本当に、ぜひまた、いらして下さいね』


 本来、カティアの時系列ではエーレはまだ生まれてもいないのだが、恐らくその辺りの整合性は、もうとれていないだろう。


 キャロルは、ジーンに僅かに目配せをすると、屈託のない笑みを浮かべるカティアの元を、自らは騎士礼と共に辞した。


『気を付けて公都こうとまでお戻りになって。陛下に宜しくお伝え下さいませね』


 

 それが決して、先月即位したばかりの「アルバート陛下」の事ではないと――ジーンもさすがに理解をしたのだった。

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