4-4 ストライド侯爵邸別邸(2)

「わぁ……」


 小さな鉢植えがいくつも並んで、それぞれにピンクの多弁の花を咲かせている。


 そこから漏れ出でる香りもまた素晴らしく、温室自体、もはや別世界と言っても良い。


 ルクリアだけなら、母が扱っていた量よりも多いように見えた。


「よく……ここまでの数が揃いましたね」


「夫がカティア様の生家であるバレット家のかたにお願いをしたようです」


 感心したように呟くキャロルに、ジーンが何気なく出所を答えたが、それに対するキャロルの返しは、ジーンの想定を遥かに超えていた。


「……そう言えば、主要産地であるレイトン地方の北麓地区は、バレット家の領地でしたね。あの地域の紅茶もまた独特で、バレッ家を支える主要貿易品の一つと言っても良い――あ、もしやそれも、このお屋敷に置かれていたりしますか?」


「……レイトン産の紅茶は今、用意をさせておりますわ……」


「それは嬉しいです! まだ収穫シーズンではありませんし、公国こちらでは手に入りづらかったものですから」


「――――」


 レイトン産の紅茶はアッサムティーに近い味わいと認識していて、カレル、キャロル、実は二人とものお気に入りだった。


 そもそもはキャロルが当時の宮廷料理長から、たまたまバレット家が王家に献上した茶葉の、毒見の残りを貰ったところに端を発しているのだが、その後クーディアの商業ギルド長に頼みこんで、牛乳やらスパイスを常時入手出来る伝手も、茶葉と併せて開拓した上で〝チャイティー〟を作り出した挙句、いつの間にかそれがクーディア名物となってしまったのは――全くの余談だ。


(あれこそ、異世界補正の最たるかも知れないなぁ……)


 今でもレシピの特許料は、クーディアのギルドから定期的にカレルの手元に届いている筈だ。


 そしてチャイはともかく、全体的特徴として「ミルクに合う」と判断されたこの地方の茶葉は、またたく間に大陸全土の富裕層の間を席巻した。


 もちろんルフトヴェーク国内でも、紅茶産地がない訳ではないのだが、圧倒的に流通量が少なく、濃さも違う。


 紅茶を取り扱う商会のブランド性ではなく、産地そのものを把握しているキャロルに、ジーンはとっさに続ける言葉を失っていた。


 自分達よりもバレット家本家に近いかも知れない――と言っていたヤリスの言葉が頭をよぎる。


『……ジーンさん、お客様ですか?』


 その時温室の奥から近付いてくる人影と、聞こえてくる穏やかかつ上品なカーヴィアル宮廷公用語に、二人がハッと話を中断させた。


「では宜しくお願い致しますね、キャロル嬢」

「承りました、ジーン夫人」


 ルフトヴェーク語でそう言葉を交わした後は、目の前の老婦人のため、まずジーンが言葉をカーヴィアル語に切り替えた。


『ええ、カティア様。こちらキャロル様。カーヴィアルからお戻りになられたので、カティア様とお話しが合うのではと、お招きしました』


 恐らくジーンは、それ以上をカーヴィアル語では説明出来なかったのだろう。


 バトンを受け取る形で、一歩前に進み出たキャロルが、カーテシーではなく、騎士礼の為に、片膝をつく。


 軍人家系のバレット家には、例え分家と言えど、カーテシーよりも騎士礼の方が、敬意が伝わりやすいからだ。


 ジーンの方はギョッとしているが、案の定カティア・ストライド、旧姓カティア・バレットの笑顔は揺らがなかった。


『貴女、本家のルパート様の部下の方?ご当主ソンベルト様付にしては、お若いですものね』


『――――』


 キャロルは一瞬、記憶を辿たどるように目を細め、やがて違和感の正体に思い至ったように、顔を上げてカティアを見た。


『私はルパート様ではなく、その息子エルフレード様と同じ戦場を駆けた者にございます、カティア様。申し遅れましたが、私の名は、キャロル・レアール・。ルフトヴェーク公国、エイダル公爵の家に連なる者にございます』


 途中で口出しをしないよう、キャロルが遠回しにお願いをした事をジーンはよく分かっていて口を閉ざしてはいるが、表情は驚愕の色に満ち溢れている。


 それはキャロルの言葉の時系列が、そもそもおかしいからに他ならない。


 バレット家の現当主がソンベルト・バレットでない事や、エイダルは現在「皇弟おうてい」ではない事は、ジーンでも分かる。


 それにこの家に来た当初、キャロルは「エイダル」姓を名乗ってはいなかったのだ。明らかに、ここでは何らかの意図があると見て良かった。


 その上で、完璧に過ぎるカーヴィアル語に、驚きを隠せずにいる。


 温室の隅にある椅子とティーテーブルに腰を下ろし、侍女にお茶を運ぶよう指示しつつも、ジーンはそれ以上は何も言わずに、キャロルの名乗りに対するカティアの言葉を待った。


『あら、ルパート様にはもうご子息がいらっしゃるのね。それならバレット家も

しばらくは安泰ね。皆さま息災でいらっしゃるかしら。私、早くに公国こちらへ輿入れしてしまったから、少し情報が古いのかも知れないわ』


『……ルパート様もお元気です。お元気過ぎて、エルフレード様が後を継がれるのには、もう少し時間がかかりそうです』


 ルパートこそが、バレット家現当主であり、次期当主予定であるエルフレードは、ヤリスの当主就任の際公都ザーフィアに来ていた事を、カティアは覚えていないのだろうか。


 それはキャロル、ジーン共通の疑問だったが、キャロルはその事には触れず、言葉も選んでいるようだった。

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