4-3 ストライド侯爵邸別邸(1)

(この女性ひと……)


 リューゲ出身だからなのか、ストライド侯爵夫人であるからなのか、かなり内政や貿易に関して知識も権限もある口ぶりだ。


 明らかに、普通のお茶会の様相を呈していない。

 いや、かえって有難くはあるのだが。


「有難い事に販路の拡大に関しては、本当に多くの照会を頂いております。ただ、母

は純粋な職人肌の人間でして、交渉事には全く向いておりませんので、ここ15年ほどは窓口を全て私の所に一本化させております。お時間さえ合うようでしたら、ドレスの件で私がリューゲに参ります際に、お話を伺う事は可能です」


「……15年」


 思わず、と言ったていで足が止まるジーンに、キャロルはにこやかに微笑んでみせた。


「5歳の頃から、託児所代わりとばかりに街の商業ギルドに出入りしておりましたものですから……多少の商売の原則と言いますか、経済の話など、そこで実地勉強に等しい形で仕込まれてしまって。それまで母が、売値と原価のバランスをあまり考えていなかったのが、ギルドの人達もよほど歯痒はがゆかったんでしょう。ギルドに属さない個人商店である限り、迂闊に口は挟めませんから」


 実際は、3歳から警備隊に出入りし、当時の警備隊長の紹介で、読み書きや計算などの基礎教育をギルド長ジルダールから学び始め、5歳になる頃、基礎は終わったとばかりに商業ギルドの実務部署に放り込まれたのだが、流石にそこまでは説明しない。


 現時点で充分に、ジーンが驚いていたからだ。


「……姉との結婚後、実務に携わり始めた義兄あにと、ほとんど変わらない商売しごと歴でいらっしゃいますわね。分かりました。社交辞令だったかどうか、私では判断がつきかねますので、姉経由で義兄あにに連絡を入れてみます。今回の事でもなければ、そうそうリューゲには行かれませんものね」


 会いたいのはキャロルではないので、今回はキャロルの方から頭を下げる必要はない。


 ジーンもそれは良く分かっていて、一瞬の動揺を静めるように身を翻して、再び先導をしだした。


「キャロル様。キャロル様は、カーヴィアル語がかなりお得意と伺いましたが……」


 温室のある庭に出る扉の前で、ジーンが再び足を止める。


「ええ……そうですね。長く滞在しておりましたので、むしろルフトヴェーク語よりも話せるかも知れません。あの、侯爵夫人。現時点での私に『様』付けは不要ですので……」


 軽く、固辞するように両の掌を見せるキャロルに、ジーンの表情もやや和む。


「夫が、ご自身を客観的に見る事が出来る稀有なご令嬢だとも申しておりましたが、本当に……」


「過分なお言葉、恐れ入ります」

「宜しければ、キャロル嬢とお呼びしても?」

「光栄です」


 もちろんです、と答えては上から目線だ。


 広げていたてのひらを胸にあて、軽く一礼するキャロルの立ち居振る舞いは文句のつけようがなく、恐らく明日から社交界に放り出されても、ソツなくこなす事が出来るだろう。


 他国女性をめとる事が義務付けられる10歳の長男も、色々な意味で対象外にはなるが、それと別にしても、彼女に釣り合う妙齢の男子が直系にいない事は残念だとジーンは思ったし、皇帝陛下が妃として選ぶのも、さもありなんと思えた。


「では私の事も、どうぞジーンと。どうか様付もなさらないで? 現時点では、私達は同じ『侯爵の庇護を受ける者』同士ですから。ね?」


 侯爵の娘。侯爵の妻。自分自身の、社会的な地位ではない。


 キャロルが「侯爵令嬢」である事をひけらかさない理由を、ジーンも正確に把握していた。


「……ではジーン夫人、と」


「今はそのあたりが妥協点ですかしらね。それでは話を戻させて頂きますわ。この先、温室の中は全てカーヴィアル語でお願いしたいのです」


 不意に表情を改めたジーンに、キャロルもそれが、真剣な願いである事を察する。


「お望みであれば、それは問題ありませんが……端的に理由を伺っても?」


 先代侯爵夫人をあまり待たせる訳にもいかないのだが、ジーンの意図が分からないと、突発事項が起きた際など対処に困る。


 その意味もこめてキャロルがジーンを見やると、一瞬痛ましげな感情が目に浮かんだように見えた。


「……他意はありませんのよ。長くお一人でこの屋敷で過ごされていたせいか、ルフトヴェーク語の大半をお忘れになってしまわれたようで……」


「ああ、そう言う事ですか……」


 それだけで、今回の茶会の背景まで全て察してしまったらしいキャロルに、ジーンが大きく目をみはった。


「もしやお心当たりがおありですか?」


「私は医師ではありませんから、治療法などをお教え出来る訳ではないのですが、症状自体は存じております」


「そんな……当家のお抱え医師さえ、分からないと申しておりましたものを……あの、キャロル嬢、カティア様とお話し頂いた後、サロンでもう少し、お時間を頂いても……?」


「本当に治療法までは存じませんが、それでも宜しければ……」


 変に期待を持たれたくないキャロルが念を押してみるが、ジーンの答えは変わらない。


「構いません。それでもぜひ」


「分かりました。では温室に入りましたら、何点かその点に関して、私の方でも確認をさせて頂きたいので、途中で脈絡のない話が出るかも知れない点、ご了承頂けますか?」


「もちろんです。正直申しますと、私も夫も、カティア様のルフトヴェーク語が覚束おぼつかなくなってきた辺りから、慌てて人を雇ってカーヴィアル語を学んでおりますので、まだ分からない単語も多いのです。ですので、どうか自由にお話しになって下さい。後ほどサロンで、詳細をお教え頂けましたら幸いですわ」


 キャロルは了解したように頷き、ジーンの先導で、温室へと足を踏み入れた。

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