3-16 逆らってはいけない

煉薬ねりぐすりは少し置いていく。解毒剤の後で構わない。だからもう少しこの薬を進化させる事が出来ないか、他国に効能が高い類似品とかはないか、研究してみてくれないかな。公国ここの典薬部は、今ある薬の量産で手いっぱいなところがあるから、貴方を典薬部つきにしてしまうと、国内の現存薬の調剤にかかりきりになってしまう可能性があって。もし外政室より典薬部がよくなったら、編纂作業終了後に希望は聞くから。だから当面はここで、翻訳と並行しながらお願い出来るかな……?」


「室長……」


「ごめん、そこは職権濫用で。その代わりいじめられたら、返り討ちにしてあげるから。もちろん、妹さんも! 何なら、好きな人が出来たら、宮殿内なら、橋渡しもしちゃう!」


「なっ……にを言ってるんですか⁉︎」


「あれ? 余計なお世話? あ、もしかして重度のシスコンとか⁉︎」


「真面目に尊敬しかけていた気分を、台無しにしないで下さい! 大体、今のが職権濫用だとか思ってませんからっ!」


 刀傷は、怪我の原因としても上位に入る。


 最初の実験台が、近未来の皇妃で良いのかと言う部分を除けば、薬の研究は権力の濫用には当てはまらない筈だ。


「その典薬部と言う部署が、作る側であって、研究する場ではないのなら、今のまま、この書庫に場所を与えて頂く方が本望です。翻訳は、研究をさせて頂く対価として、きちんとお引き受け受けしますので」


「そう?」


 ユーベル青年には、研究者気質があると、思ってはいたが、やはりなかなかに、こじれた一家言を持っているようだった。


「じゃあ、解毒剤の方から早速宜しくね。編纂の方は、フリード文官中心に、取りかかって貰うつもりだから、ゆくゆくは、2人で相談しながら進めてくれれば、良いし」


 通常業務の方は、貴族諸氏と接する事もままあるため、そちらは貴族文官達にメ

インにやって貰う方が良いと思ったのだ。


 もちろん近い将来、そんな区分けをせずにすむようになれば、理想的なのだが。


「フリードに……」


「彼、案外自分の意見をちゃんと口に出来るでしょ。そもそも外政室は今、結構、風

通し良いよ? だいぶクビ飛ばしたし、人手足りない分、結束力もあるし何より実力主義。あ、もちろんいずれ、もうちょっと人手増やすつもりだから。今だけ耐えて――って皆にも言ってある」


 と言うか、仕事をしない貴族が5人、いようがいまいが、違いは部屋が広くなって、無駄なお家自慢もなく、静かになった事くらいの筈だ。


 キャロルはあっけらかんと、笑った。


「キャロル様、そろそろ〝迎賓館〟に戻ってお着替えになられませんと……」


 こっそり耳元で囁くイオに、キャロルの表情が、僅かに歪む。


「あー……お茶会……」

「まさか、その格好とは、仰いませんね?」

「…………」


 ひやりと、書庫の空気が冷えたように、ユーベルには感じられた。


「あー……ちょっとまだ、体調が……ドレスとかは……」


「往生際が悪いですね。まあ、どうしてもと仰るなら、構いませんが。寝かせて貰えないわ、足腰が立たないわで、着替えるのが億劫おっくうでしたと、ご夫人方にキチンとお詫びと自己申告なさるのであれば、お好きになさって下さい」


「――っ!」


 ソファに突っ伏してしまったキャロルに、ユーベルはうっかり口笛を吹いてしまい、目線でイオにたしなめられた。


 しまった。つい、からかうような仕種をとってしまったが、相手は皇帝と、次期皇妃だった……と、今更ながらにユーベルは思い出したのだが、イオはとりあえず、今回は不問に伏す事にしたようだった。


「メイフェス侍女長様が、お手伝いに来て下さるそうですよ。亡きセレナ皇妃のドレスは、まだあるそうですから」


「……それ、選択の余地ないじゃん……」


 弱々しく呟いたキャロルは、両の太腿の内側を、何度か厳しめに叩くと、膝に手を置いて、かなりの気合いを入れたように、立ち上がった。


 ……が、やっぱりよろけていて、イオの手を借りざるを得ないあたり、いったい、昨夜ゆうべは……と、無粋な事をユーベルも考えてしまう。


は、ほぼ、標準仕様デフォルトだ。ユーベル文官」


 表情で、ユーベルの言いたい事を察したらしいイオが、冷ややかに答える。


「今後、書庫付近で居眠っていたり、足腰立たずに座り込んでいる室長を見かけても、またか……で、無視スルーして大丈夫だ。むしろ我が公国くにの皇帝陛下の、底無しの体力でもたたえながら、見守ってくれ」


「⁉︎」


「……イオ……トゲありまくり……仮にも陛下……」


「言いましたよね。結婚前から、はどうかと思う、と。不敬罪上等です。愛されてますね、良かった――で済むのにも、限度ってモノがありますよ」


「…………」


 キャロルは、ぐぅの音も出ず、黙り込んでいるが、エーレの独占欲とは異なる、イオの保護者欲にも、拍車がかかっているような気が、最近はしている。


「…………」


 ユーベルは初めて――『目が笑っていない笑顔』に遭遇し、思わずおびえて、身を震わせていた。


 ラーソンは外政室で最も逆らってはいけない男だと、真摯に助言をくれた同僚達に、心から感謝をしようと――この時、身に染みた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る