3-13 貴方がいい
「待って……待って、エーレ‼︎」
婚約破棄も、止むを得ない――。
エーレは、何を言ったのか。
理解出来ない――したくないキャロルは、恐らくは無意識にエーレにしがみついていた。
「言わないで! それ以上は聞きたくない……っ‼︎」
「キャロル……」
呆然と、エーレがそれを受け止めている。
「父もそんな事を言ったけど……っ、何でっ、何でそんな話になるの⁉︎ 私がエーレを好きでいちゃいけないの⁉︎ ねえ、エーレの隣の席は、永遠に私の物じゃないの⁉︎ 私が……っ、私がどんな思いで
後は涙で、言葉が続かなかった。
「キャロル」
「いや、聞かない!」
エーレの腕の中で、キャロルは両耳を、手で塞いだ。
「絶対に、聞かない!」
「キャロル」
エーレの手が、キャロルの両手を掴んだ。
「いやっ! 離して――」
「それは、俺が聞けない」
掴まれた両手が、キャロルの背後のソファに押し付けられた。
いつの間にか体勢が逆転して、エーレが、ソファに横たわったキャロルの上に覆い被さっていた。
涙で滲むキャロルの視界に、エーレの整った顔が映る。
「キャロル」
もう一度、イヤだと言う風に首を横に振るキャロルの
瞼から、涙をなぞるように――唇に。
「んっ……」
そのまま、僅かに開いたキャロルの唇を、逃がさないとばかりに、エーレが深く、口づける。
舌を絡めとられ、息も出来なくなってきたキャロルの全身から力が抜けていき、それを感じたエーレが、ようやく唇を離した。
「……ごめん。君をこんな風に泣かせるつもりじゃなかった。聞き方を――間違えた」
「エーレ……」
エイダルこそが言っていたのだ。
キャロルがエーレに寄り添おうとする覚悟を、甘く見るなと。
「キャロル。大叔父上は、今更誰にも頭なんで下げて欲しいとは思っていないよ。40年は――長すぎた」
「……っ」
「だからと言って、憤りがない訳じゃないと思う。だから……俺はもし真実を知った大叔父上が、一人叛旗を翻すつもりでいるのなら――それを正面から受け止めようと思っていたんだ。過去の
実際のエイダルがどう思っているのかは、誰にも分からない。
恐らくもう、全て墓場まで持っていくだろう。
――それでも。
「だけど君はまだ、皇妃じゃない。もし引き返させるなら――これが最後だと、思った」
「私は……っ」
「うん。俺が、君の覚悟を甘く見ていたんだ。君はとっくに――俺と〝
ルフトヴェークでは、死の国は冥府、闇夜は地獄と、キャロルも認識している。
(――共に地獄まで)
キャロルは、そんなエーレの手を取ると決めたのだ。
それは決して、不幸じゃない。
両親にも、エイダルにも――ナタリーにも、前世の祖父母にも、胸を張れる。
「キャロル。俺は、死んでからも君を縛ろうとしているよ? だいぶ面倒な性格だと、周りにも思われているようだけど……本当に、それで――」
「エーレ『が』良い」
吐息のかかる距離、押し倒された姿勢で、果たして告げる言葉だっただろうか。
あの〝
余計な事は言わず、ただ「貴方が良い」と告げられたら、諦めて捕まれと――ならエーレにも、諦めて捕まって欲しいと、とっさに思ってしまった。
私に。
……自分でも、想定外だ。
「私はエーレが良いの。エーレじゃないとイヤなの。ルフトヴェークでも、どこか亡命しても……ううん、
「――っ!」
その瞬間、エーレは自分の理性が焼き切れる音を聞いたと思った。
分かった……と、熱をはらんだ声が、キャロルの鼓膜を揺さぶる。
「もう、君が俺の隣にいてくれる事を、疑うようは言葉は口にしない。一緒に――闇夜に堕ちてくれ、キャロル。……愛してるよ」
「ん……っ……」
今度は、落ち着かせる為じゃない、
息が出来ない――そう思っている内に、ふいに唇を離したエーレが、キャロルをソファから、抱え上げた。
「えっ……?」
「ちょうど湯浴みの用意が出来たみたいだ。先に、そっちに行こうか」
キスの嵐で呆然としていたところに、
湯浴み、と言われた時点で唖然と目を
「湯浴み……っ⁉︎ いつ、用意……って言うか、何で一緒に浴室に向かって……⁉」
「このまま君を抱いても、俺はいっこうに気にしないけど、君は気にするだろう?
「ちょうど良い……って、何……が……」
「大丈夫。リーアムに、侍女全員下がらせるように、指示をしておいたから」
「だから、何が『大丈夫』⁉︎」
この世界のお風呂事情は、当然、シャワーもなければ、蛇口を
あくまで人力で、貴族であれば猫足バスタブ、平民であれば、木桶に水やお湯が満たされる。
平民は濡らした布で身体を拭くだけ。
床に直置きのバスタブに腰までつかる程度とは言え、それが出来るのは、貴族階級や、大手の商会くらいのものだ。
……宮殿には当然、余裕で二人で入れそうな、猫足バスタブが置かれている訳だが。
隅にあるラタンのタオルバスケットには、しっかりと
「ふにゃあぁぁぁっ‼︎」
両手で顔を覆ってしまったキャロルは、もはや自分でも、何を言っているのか分からない。
エーレはそんなキャロルを、目を細めて見下ろした。
「……キャロル、真っ赤だね。可愛いよ。もしかして、俺を
「⁉︎」
「別に煽ってくれなくても、俺はいつだって、キャロルを抱きたいと思っているよ?」
「⁉︎」
色気のありすぎる笑顔は凶器だと思ったが、
配属されて日の浅い侍女や護衛の一部が、静かな夜更けに聞こえてきた、小さな、
――それが悲鳴でないと気が付く事に、さしたる時間がかからなかったと言う事も含めて。
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