2-12 解毒剤の開発を

「ソユーズ……」


 エイダルなどは、エーレの逆鱗に触れて複数の貴族が家ごと取り潰されたとて今更なのだが、ファヴィルには、予備の皇統である〝ギィ公爵家〟当主としての隠された責務もある分、時折エイダルの横から何かしらの牽制を、相手に対してかける事があった。


 今はこれ以上、ストライド一族が宮殿を引っ掻き回す事のないよう、当主ヤリス・ストライドに念を押したように、エイダルには見えた。


 あの夜会の一言だけでは、新皇帝エーレが本気だと思わない者も、一定数いるだろうからだ。


「ああ、すみませんリヒャルト様。こうもほぼ毎日だと、どこからツッコミを入れて良いものやらと思い……つい」


「つい、で本人と父親を追い込むな。まあ私としても、奥方と娘に振り回され

ているレアールを見るのは、新鮮で面白いが」


「――――」


 完全にこめかみに青筋が浮かんでいるデューイに、エイダルもファヴィルも、忍耐力がそろそろ限界だろうと、当たりをつけた。


「政略結婚で見向きもされなければ、それはそれで腹を立てるだろうに、父親と言うのも面倒な生物モノだな」


「……っ」


「私も可愛げのない息子しかいませんし、我々2人とも、その辺り察しきれませんね」


 巧妙にデューイの怒気を封じているのは、エイダルとファヴィルの年の功だろう。


「諦めろ、レアール。そもそも、お前の娘と知らずにエーレが私の所に『結婚したい娘がいるから養女にして欲しい』とに来た時点で、こうなる事は目に見えていたからな」


 エイダルは、デューイを通してストライドに、むしろそれを聞かせている。


 レアール家から、娘を皇室に献上した――など、勘違いも甚だしい流言飛語を、ストライド自身が信じているかどうかは別にして、まずは訂正しておかねばならないからだ。


 この先の事は、ストライドの人脈と伝手つてが大きく物を言う。

 今更、背を向けられては困るのだ。


 だが、そこまで話したところでエイダルは、僅かに声色を厳しくした。


 グラン・ユーベル青年を残したまま、会話を続ける訳にはいかないからだ。


「……それで、そこの男の護衛の話だが」

「あ、はい」


 ようやく、キャロルもヨロヨロと、アームソファから顔を上げる。


「外遊が控えている以上、正規の護衛から人は出せん」


 皇族専属護衛〝黒の森〟シュヴァルツの名も、今は口に出来ない。


「どのみち、家族の安全も同時に確保しない事には意味がないだろう。さすがに〝迎賓館〟は使わせられんが、住み込みの使用人連中の住居なら、空きはある筈だ。お前がリューゲから戻るまでとの期限付で、宮殿から出ないよう言い含めて、国軍連中に下っ端は検挙させる。……そう言えば解毒剤の処方箋は、頭の中だと言ったな。宮殿内の施設を使って精製させた実物を、万一を考えて、お前が持っていければ一番良いんだがな……」


「ああ……でもそれを強要すると、ベルトラン領とやってる事が一緒になっちゃいますよ。当座の対処は心得てますから、とりあえず護衛だけお願いします」


 当座の対処は心得ていると言うキャロルに、その場の全員の視線が向いた。


「そりゃ、解毒剤があるにこした事はないですよ? ただ、一度味見してるんで、陛下の口に入る前に止める事くらいは出来ますよ」


「……味見ですか……」


 立場上、毒薬に関わる事がままあるファヴィルが、顔を痙攣ひきつらせている。


「あれはある意味、近衛と毒見係の汚点ですからね。二度とアデリシア殿下の口には入らないよう、押収した分をクライバー陛下と典医省の許可を頂いて、近衛と毒見係全員で飲んで、味と効果、どのくらいで治まるか等々人体実験したんです。容量さえ守れば、媚薬で死にはしませんからね。まあ……ちょっと、色々……地獄絵図ではありましたけど……」


 人差し指で頬を掻きながら、遠い目のキャロルに、エイダルですら「……二度とやるなよ」と、小声でうめくのが精一杯だった。


 皇族の下に届く前に止める――大前提として、間違ってはいないからだ。


「ああっ、あの!」


 そこで、それまで呆然と話の成り行きを伺っていたユーベルが、キャロルに走り寄った。


「その実験結果、諸々覚えておいでですか⁉︎」


「え? そりゃまぁ、当時、解毒剤もなかったし、今後の為にも早急に開発が必要だったから、頭に叩き込んだよ? だけど原材料の一部が、ルフトヴェークのワイアード辺境伯領からしか取れないんじゃ、それはカーヴィアル側の研究が、遅々として進まない筈だよね。言わば未知の植物なんだもの」


「そのデータ、下さい! そうすれば、圧倒的に洗練された解毒剤が作成出来る筈です!」


「……え。でも、貴方……」


「俺は、薬の功罪を正しく理解しない人間に強要されたくなかっただけであって、貴女のように、躊躇なく毒を身に慣らそうとする方に、協力を惜しむつもりはない! 貴女や仲間のかたの、貴い犠牲を無駄には出来ない!」


「……いや、死んでないし」


 どうやらユーベル青年、重度ガチの研究オタクらしい。


「……然るべき場所を与えれば、解毒剤の精製を手がける気があるんだな」


 こちらも若干、引き気味のエイダルが、再確認とばかりに問いかけたが、ユーベル青年の意気込みは変わらなかった。


「はい、妹の身の安全を保証して頂ければ、必ず!」


「……いいだろう。誰か住居の用意と、家族を迎えにやれ。ユーベル、だったな。この娘はまだ話が残っている。そのデータとやらは、後で本人を行かせるから、それから聞け」


「! は、はい、ありがとうございます‼︎」


 キャロルは、ユーベル本人には外政室で待っているように――手持ち無沙汰になったら翻訳に手を貸すように――言い、危険のあるユーベルではなく、フリードに、護衛付で妹を迎えに行かせるよう、指示した。


 その辺りはルスラン経由で、ヒューバートに任せておくしかない。


「……間に合えば、良いがな」


 エイダルの呟きに、期待はしないでおきますよと、キャロルは微笑わらった。


「それよりすみません、そもそも私が呼ばれた理由を、まだ伺っていませんでした」


「全くだな。まさか問題の媚薬の解毒剤を作れそうな男をとは思わなかった」


「人聞き悪いです、公爵! 今回に限って言えば、誰の采配でもなく、ひたすら幸運だったんですよ。彼は本来友人の推薦で、外政室の通訳の面接に来ただけだったんですから。面接の途中で、ボロボロ情報がこぼれ出てきたで」


「それもどうかと思うがな……まあ良い。本題はここからだ」


 エイダルの声色が再び厳しくなり、デューイが眉間の皺を更に深めた。


 キャロルが、そんなエイダルと父親を、不審そうに見比べる。


「お前は、実母の身分や育った環境は横に置いて、今は〝侯爵令嬢〟だ」

「……はい」


 何を言わんやと思ったが、周りの誰も、何も言わない為、仕方なくエイダルが言葉を続けるのを待つ。


「さっきも言ったが、一時期お前には、私の養女になると言う話が真面目に存在していた。実際は侯爵家長子、しかも実子であったのであれば、多少実母の身分が低かろうと問題はないと、養女の話はいったん立ち消えになった。――だが」


「……養女」


 身分の低い女性が、高位貴族の養子となり、身分の高い男性に嫁ぐ為の体裁を整えるのは、この世界、さほど珍しい話ではない。


 キャロルの父親がデューイでなければ、間違いなく、そうなった筈だった。


「だが、今回の事で事情が変わった。侯爵令嬢として結婚に困らないのは、公都から一歩も出ない場合だけだ。辺境伯領にリューゲとなると、侯爵令嬢の肩書は、どうしたって、下位に見られる」


 辺境伯は、国境と言う要所を担っている事もあり、国内では侯爵相当の権限を持っている。


 辺境伯自身からは、格下と見做される可能性があると、エイダルは告げた。

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