2-10 斜め45度上の事態
「失礼しま……す?」
右手と右足が一緒に出そうな勢いの若い職員に続いて、キャロルが宰相室に足を踏み入れると、中にいたのは部屋の
「お……レアール侯爵閣下」
お父様、と言いかけて止めたのは、ここが宰相室である事もそうだが、父であるデューイ・レアールと、向かいにもう一人腰かけていたからである。
「ストライド侯爵閣下まで……」
こうなると、迂闊に背後で顔を
キャロルの一瞬の
「どうやら、お前も私に話があったようだな。ストライドに関しては、一連の詫びに来たついでに、話に
「えっ」
キャロルから視線を向けられたストライドは、それまでに何があったのか、かなり疲弊した力ない微笑を、キャロルへと向けた。
「貴女のその細い両肩に全てが乗ると言うのも
「…………」
デューイですら苦い顔で視線を逸らしているところを見ると、キャロルがここに来るまでに相当のやりとりがあった事が推測された。
後で
「では単刀直入に言いますけど、宰相閣下、彼を
「何だと?」
「彼には、例の〝ポンムヴェール〟を精製、あるいは解毒薬を精製出来る
「……っ」
キャロルを除く、この部屋の全員が息を呑んだ。
「何故……俺は、そこまで言った覚えは……」
ユーベル当人も、困惑を隠しきれない様子で、キャロルを凝視している。
既に面接は終わったと、キャロルも明言しているため、ユーベルもルフトヴェーク語だ。
「うふふー。さっき、周囲が物騒かどうか尋ねた時、随分と動揺してたじゃない。それに、助けて下さいとも言ってたし。おまけに、貴方が
「…………いえ」
「ちなみに、解毒薬っていつ頃出来たの? それも、もう流通しちゃってる?」
「流通はまだ……途中から、ベルトラン侯爵が給与を出し渋られるようになって……無事に
「あの、ハゲ侯爵――ゴホン、あれ⁉︎ じゃあまだ、解毒薬の完成品を誰も持ってないの⁉︎」
「……今はまだ、ここに」
前半は気のせいだと思う事にして、己の頭を指したユーベルに、キャロルも目を見開いた。
「……それは、狙われるって」
「おい」
こめかみを揉みほぐしながら、低い声を発したエイダルに、キャロルが慌てて振り返った。
「わあっ、すみません公爵閣下! そう言う訳でですね――」
「何が『そう言う訳』だ! 勝手にお前らだけで話を完結させるな! 毎回毎回、報告をすっ飛ばして、連絡か相談しか寄越さんから、こっちの予期しない
一応、早めの報告に来たつもりが、結局エイダルからは怒鳴りつけられ、キャロルは亀のように首を縮こまらせた。
「……今、生まれて初めて、
「レ、レアール侯……」
父親も結構な暴言を吐いていると思ったストライドだったが、エイダルの背後に立つ
「ソユーズ、貴様……」
「常に
「何が凡人だ! 存在自体が斜め45度上の貴様に言われる覚えはないわ!」
「……それで、キャロル」
長年、冷酷宰相とも鬼畜宰相とも言われるエイダルの補佐を、にこやかにこなし続けるこの書記官は、確かに感情が読めないところがある。
見た目以上の腕っぷしを持っている気がして仕方がないデューイだが、敢えて自ら関わる事はせず、この時も2人のやりとりは「無いモノ」として、娘に声をかけていた。
「……アレを無視出来るお父様が、凄いです」
キャロルの呟きは、本人やストライドに届く前に消える。
「この男は、
話を進めるきっかけとして、今の会話から想像が出来る最大限をまとめて、水を向けるデューイに、キャロルは僅かに小首を傾げた。
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