2-9 採用面接(後)

 ――カーヴィアル帝国の東の外れにあるベルトラン領は、クラッシィ公爵家直轄領の中でも一、ニを争う規模の所領であり、領主ベルトラン侯爵は筋金入りのクラッシィ公爵家当主の腰巾着だ。


『そ・れ・で』


 声は柔らかいが、目が拒絶を許さない冷たさで、部屋の中を吹雪かせる。

 冗談抜きで室内の温度が低下したように、全員が感じたのだ。


『薬師と調剤師、貴方はどっち?』


 逃げを許さない口調で、再びキャロルが問いかけた。


 これはカーヴィアル独特の棲み分けなのだが、主に地方にあって、医学と薬学を兼学しながら、独りで診療を切り盛りしている者を薬師、主に大都市において、薬の研究や調剤に特化して働く者を、調剤師と呼んでいるのだ。


 当然、大都市を中心に医術に特化した者もいる為、カーヴィアルの現代医学は、医師、薬師、調剤師の三権分立状態に、今はあった。


 だがルフトヴェークでは、医師と薬師の二通りの分類となるため、フリードにとっては薬を扱う者=薬師なのだ。


 普段であればそれほど気にしなくても良い、些細な文化の違いだが――今回はそう言う訳にはいかなかった。


 男は観念したように、再びソファに座り込んだ。


『……調……剤師……です』

『―――そう』

「⁉︎」


 この時のキャロルの微笑は、魔王ならぬ魔女降臨と、後々まで外政室で囁かれた。


「フリード文官」

「はっ、はい!」

「良い人紹介してくれてありがとう。彼、採用するわ」

「本当ですか! え、でも翻訳は――」


「彼が書いて来てくれた身上書なんだけど、これカーヴィアル帝国の宮廷公用語なの。もはや私が何かを訳させなくても、これ自体が翻訳回答みたいなものなのね? それに……かなり薬の調剤の腕がありそうだから、二刀流で働いて欲しいって言うのもある」


 ほぉ、へぇ……と言う呟きが、部屋のあちこちからあがる。


「いや、だからと言って朝から晩まで寝食削って働けとか、断ったら家族に類が及ぶぞとか……あと例えば病気の妹さんに良い治療を受けさせたくないのかとか? 安直ベタな娯楽小説の悪役ヒールみたいな台詞セリフは吐かないよ? 目指せ定時退社、脱仕事中毒ワーカホリック、みんなの憧れ外政室……が私の目標なのに――って、どうしたの、何人か床に崩れ落ちてるけど」


「……今現在、早朝あるいは深夜にこっそりと書類仕事をしている人の台詞ですか、それ? ――と言う話ですね」


 こう言う時に冷静にツッコミを入れてくるのが、イオである。


「そこはしょうがないでしょ! 今までが酷すぎるんだから、さっさと負の連鎖をぶっちぎって、ちゃんと軌道に乗せてしまわないと!」


「それと今おっしゃった、安直な娯楽小説の台本シナリオみたいな話……ですか? 多分どれかが、そこの彼に当てはまっていますよ」


「嘘っ⁉︎」


 ふとキャロルがイオから視線を戻せば、頭を抱えている男の肩に、近寄ったフリードがそっと手を乗せたところだった。


「どれか……と言うよりは全部、ですね」


 フリードの表情には、ほろ苦い微笑が浮かんでいる。


「彼――グラン・ユーベルは、先祖返りでこんな髪色をしていますが、根っからのル

フトヴェークの下町育ちです。年の離れた病弱な妹がいて、彼自身、日雇いの仕事と薬の調合を常時複数掛け持ちしながら、その治療費を稼いでいたんですが……ある日、採掘労働者として行ったマルメラーデの鉱山で、ケガ人の傷なんかを治していたところを鉱山の管理者に見込まれて、カーヴィアル帝国の、とある侯爵領まで出張をしてくる……と、何年か前にルフトヴェークを離れたんです。今までと比較にならない給金だから、貰う都度私宛に送るから、妹を頼むと。そんな手紙を受け取って……実際、一定の間隔でまとまったお金が、この前までは私宛に届いていたんです」


 幼なじみだとは言うが、実際に受け取ったお金には一切手を付けずに、ユーベルの妹の治療に全額充てていたと言うのだから、フリード自身も相当に人が良い。


「ところが、ある日を境にピタリとお金が届かなくなり、ユーベルとも連絡が取れなくなった。とは言え、庶民には何も動きようがなく、悶々としていたところに、衣服も体調もボロボロになったユーベルが戻って来たんです。……それが、2ヶ月ちょっと前の話なんですが」


「……2ヶ月……」


「何があったのかは、教えてはくれませんでしたが、退職金だと言って、彼が持っていたお金が、今日まで何とか、彼の家族を持ちこたえさせて来たんです。だけど、そのお金には当然、限りがある訳で……」


「なるほど。だからこその、勤め先探し」


「申し訳ありません。背景を隠したまま、勤務出来ないだろうかと考えた私が、浅はかでした」


 フリードがそう言って頭を下げた為、隣で頭を抱えていた男――ユーベルも、慌ててそれにならう。


 キャロルは苦笑しながら、片手を振った。


 舞台を、伊豆や佐渡ヶ島の金山に置き換えれば、何なくお江戸の将軍サマが無双する時代劇を一本作れる。

 話の鍵は単純。

 恐らく、彼はその侯爵領で、見てはならない何かを見た。そう言う事だ。


「もしかして今、ちょっと周囲も物騒だったりするかな?」


 何気にキャロルが問いかければ、案の定ユーベルの肩がピクリと震える。


「ちょっとやそっとの薬の作り手がいなくなったところで、あの領の関係者にしてみれば使い捨てでしかないと思うけど、今になって追いかけてくるからには――」


「失礼します! キャロル室長様は、ご在席でいらっしゃいますでしょうか!」


 その時、外政室の扉が、大きな声と共に勢いよく開け放たれた。

 見ると若い職員が、身体を硬直させた状態で、入口に直立している。


「……二重敬語」

「はっ……えっ⁉︎」


「ああ……いい、いい。何かこっちがいじめてるみたいになっちゃう。外政室室長キャロル・レアールは、私です。用件は?」


 この宮殿には、レアール姓が2人いる。一方が侯爵家当主であるからには、もう一方は名前の方を呼ばれる事になる。


 ソユーズ家と同じだ。


「はっ! エイダル宰相閣下がお呼びです!」

「――――」


 思わず眉をひそめてしまったのは、もはや条件反射だろう。


 キャロル様、眉間に皺……と、冷静なイオからの指摘を受け、慌ててかぶりを振る。


「そうだ。ちょうど良いからユーベルさんにも一緒に来て貰って、その周囲が物騒な件に関して、何とかして貰おう」


「えっ」

「室長! そんな、我々は平民です!」

「だから?」


 あまりにも素でキャロルが即答し、フリードもユーベルも、声を詰まらせた。


「社会的職務の相違に、人間価値の上下・貴賤は起因しない――何語だったか、昔、私が読んだ本に、そんな事が書いてあったんだけど」


石門心学せきもんしんがくです、キャロル様。公国ここではもう手に入りませんから、恐らく希少書庫で、ご覧になったのではないですか」


 石門心学は、江戸時代を基点とする、倫理、哲学のはしりのような学問だ。


 元・進学校の高校教師としては口を挟まずにはいられなかったのだろうが、そんな自分自身に苛立ったのか、イオから軽い舌打ちが聞こえて、周囲を戦慄させている。


 そうだっけ? と首を傾げるキャロルも、不敬罪をどうこう言うつもりもなかったから、とりたててそれを咎める事をしない。


 ついこの間まで、この部屋のほとんどを占有していた貴族達とは全く対応の異なるこの主従が、今の外政室を取り仕切っているのだと、外政室で働く面々は改めて実感していた。


「まあとにかく、現実の身分差を振りかざして、鮮度の高い情報を腐らせるとか、本末転倒だから。ユーベルさんには、必要があるから、一緒に来て貰う。それだけの事だよ」


「――――」


「大丈夫、大丈夫。話の内容を聞けば、いくらエイダル公爵でも、とって食いはしないから」


 多分……と言う言葉は、賢明にもキャロルは呑み込んだ。


 不安そうなフリードを残して、ユーベル青年は、キャロルに連れられて、外政室を後にしたのだった。

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