2-3 ストライド侯爵の訪問(後)

「母自体は本家筋ではありませんでしたが、家名としてはお聞き及びかも知れませんね――バレット公爵家ですよ」


「――――」


 噂のクラッシィ公爵家ではないのか……と、内心で思っていたデューイやイオとは対照的に、深いため息をついたキャロルはガックリと項垂うなだれた。


 いぶかしみつつも、デューイが軽くキャロルの背を叩く。


「キャロル?」

「……レアール侯爵閣下」

「ああ」


「私は私の責任において、ストライド侯爵閣下をかたと判断します。少し私に話をさせて頂いても?」


「……後はお前に委ねると言った事を、舌の根も乾かない内から撤回はしない。に説明が出来ないような事をしようとしているのでなければ、思う通りにやれば良い」


「ありがとうございます」


 ストライドの知る貴族の父娘おやこは、どこももう少し、くだけたやりとりをしているように思うが、それだけ公私の線引きが明確なのだろうと、素直に感心もしていた。


 顔を上げたキャロルの真っ直ぐな視線が、ストライドを射抜く。


「ツェルト織の衣装、仕立てて頂けますか――ストライド侯爵閣下」


「ええ、もちろん喜んで。当代最高級、婚姻の儀にこそ相応しい衣装も、夜会服と共にご用意させて頂きますよ。我が一族の誠意の証としてこれほど相応しい物はないと、内外に広く知らしめる事が出来る程に」


「そうなると……は必須ですよね」

「――――」


 紅茶を持つストライドの手、持とうとしていたデューイの手、両方がピタリと止まった。


「……そうですね。それほど衣装への造詣が深い訳ではありませんが、オートクチュールですし、そうなるでしょうね。今からリューゲに遣いをやって何人か来させれば、ギリギリ間に合うと思いますが」


「これはまだおおやけにはなっていませんが、近日の内にワイアード辺境泊領方面へのが予定されてます。ちょうどリューゲは行程の先にあります。紹介状を頂いて、こちらから伺わせて頂く形でも構いませんか?」


 ここまでくれば、デューイのみならずイオにも分かった。


 ドレスはただのきっかけに過ぎず、キャロルは合法的に、リューゲ自治領に入国する口実として衣装の仕立てを利用しようとしている――と。


 くだんのサウル・ジンド青年は、リューゲ四領主の一角、ウェルディ家の縁者とされており、そこまで都合良くはいかなかったが、それでもいきなりウェルディ家を訪ねたり忍び込んだりするよりは、余程安全で確実に入国が出来る事は間違いない。


「ええ、もちろん。では、レアール家がお使いの仕立て屋から、過去に作られたドレスのデザイン画をお預かりしても?先にそれをリューゲの仕立て屋に送って、仮縫いで候補をいくつか作らせておきますよ。向こうに到着されたら、本決定と、微調整だけで済むように」


「それなら、過去に作らせた物ではなく、デザインの中で、娘が採用物をいくつかお渡ししよう。そうすれば娘が、どう言う物をか、より明確になるのでは?まして採用しなかったデザインなら、後をリューゲでどう転用しようとも自由だ。それは彼らにとっての褒賞にも値するだろう」 


 過去に作ったドレスがないキャロルは、どうしようかと思わずデューイに視線を投げていたが、デューイのフォローはお見事と言うべきだった。


 ストライドも「そうですね」と、とりたてて疑問を覚える事なく頷いていて、キャロルもホッと胸を撫で下ろす。


 だからそのまま、この日最大の疑問をストライドへとぶつける事が出来た。


「結局……どこからが殿なんでしょうか、閣下?」


 ストライドの、テーブルに戻されかけていた紅茶のカップ、ソーサーが、マナーに反した音を立てた。


「……と、仰いますと?」


「カーヴィアル帝国のバレット公爵家と言えば、過去に遡れば皇族の降嫁もある、帝国最大の貴族。クラッシィ公爵家最大の政敵です。次期公爵を約束されたエルフレード・バレット卿は、アデリシア殿下の士官学校の同期で、次期軍務のちょう。一度同じ任務についた事がありますけど、あまり裏表のない、腕の立つ方です。ルフトヴェーク語がお出来になるのを、士官学校で習った中でたまたま相性が良かったような事を仰ってましたけど……間違いなく先代侯爵夫人の事がありますよね。交流がおありなんですね?」


 デューイやイオからも凝視されたストライドは、居心地が悪そうに身動みじろぎした。


「私が当主の地位に就いた時に一度、バレット家の名代として祝辞を述べに来られた事はありますよ。交流と呼べるのか否かは、正直判断が出来ませんが」


「それでも、私にコンタクトをとるようにと、の指示はあった訳ですよね?」


「……誤解のないように申し上げさせて頂くなら、一族の者が貴女様やレアール侯に暴言を吐いた件については、完全に私のコントロールの外にありました。私は本来、母が貴女様からカーヴィアルの話を聞きたがっている、と言う名目で茶会にお誘いする筈だったんです。ツェルト織のドレスも、そのお礼としてお渡しをする筈でした。ですから目録自体は間違まごうことなきストライド家からの謝罪と誠意のあかしだと、思って下さって構いません。その点は、何度でも、必要ならば衆人監視の中でも、頭を下げさせて頂きます」


 キャロルとの接触コンタクトを望んでいた事を暗にほのめかしつつも、軍と外政室の件は、不幸な偶然に過ぎないとストライドは言った。


「皇妃は皇帝を守る最後の砦――そう仰ったと、伺っております。ならばこのストライド家は、皇族の方々にとっての最後の砦であると、どうかご理解頂きたい。今はまだ申し上げられませんが、いずれその意味は、皇帝陛下からお話があるかと存じます」


 本来ならば、当代皇帝と当主しか知る事のない話だが、夜伽とぎでなく、全身全霊で皇帝に仕える覚悟の皇妃キャロルならば、きっと皇帝エーレは、全てを話して聞かせるだろう。


「失礼致しました。話が逸れました。私はエルフレード殿から、貴女様の快気祝いにツェルト織のドレスを用意して貰いたい。出来れば私自らが、貴女様と話をして、デザインの好みは確認して貰いたい――そう言う言伝ことづてを受け取ったのみです。問われるまでは、自分の名は出さずとも良い。ただし、問われれば伏せる必要はなく、また、貴女様が望む事には、無条件で手を貸す事。それがストライド家で負いきれない程の負担であれば、バレット家も助力を惜しまない、と」


「……殿下……」

「殿下?」


 今のストライドの会話に出てきた名前は、エルフレード・バレットではなかったか。


 いぶかしむように眉をひそめたデューイに、キャロルはを浮かべた。


「決しておとしめている訳ではないんですけど、バレットきょうは良くも悪くも軍事一辺倒の方で、間違ってもツェルト織のドレスなどと、口にされる方ではないんです。ヒューバート将軍を想像して頂ければ、分かりやすいかも知れませんが」


「……なるほど」


「そして、アデリシア殿下とバレット卿との間には、士官学校の同期と言う点を差し引いたとしても、信頼と友誼は確実に残ります。最後にお会いした時バレット卿は、自分が武力以外に殿下の役に立てない事を、とても憤っていらっしゃった。むしろ今回、喜んで矢面にお立ちなんだと思います。自分の家名で出来る事があるなら、いくらでも使え――そう仰っているのが、目に見えるようですね」


 何とも言えない笑みを見せているキャロルに、デューイもストライドも、僅かに頬を痙攣ひきつらせている。


 何と言うか、実際に血の繋がりがあるストライドよりも、キャロルの方が余程バレット本家に近い。


「殿下は、最善の策と次善の策を同時に用意が出来る方です。私がどうやってリューゲに向かうかは、殿下から出された、言わば復帰試験の様なものですね」


「復帰だと? いったいどこへ――」


 思わず声が厳しくなるデューイに、キャロルは片手を振る。


「しいて言うなら国政の中枢――でしょうか。多分殿下の頭の中には、、復帰が出来る道筋があるんだと思います。私が迷う都度、何を選択するかで結論が変わるように……ふふっ、試されてますね私、殿下に。本当に公国ここで良いのかって」


「……っ」


 デューイの顔色が変わる、と言う珍しい光景を目にしたストライドも、意外さを隠し切れないままだ。


 留学経験があるとは聞いていたが、まさか当代皇太子の知遇を得る程中枢にいたなどと、いったい何人が知るのだろうか。


「……キャロル」


 硬い声のデューイを安心させるように、キャロルは微笑わらった。


「大丈夫です。今のところは正しい選択肢で進んでいると思います」

「今のところは、か」


「私が公都ザーフィアを出た後、正しく進めているのかどうかはエイダル公爵にお尋ね下さい。何しろ、辿れば公爵と血縁関係にあるんじゃないかと思えるくらいに、思考回路がおんなじですから。公爵と殿下」


「…………ろくでもないな」



 ストライドとキャロルは、敢えて聞かなかった事にした。

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