2-2 ストライド侯爵の訪問(中)

「まずは、外政室における我が侯爵家に連なる者たちの一連の無礼を、この通りお詫び申し上げます。もちろん、この後レアール侯にも謝罪させて頂き、陛下にも別途機会をいただくつもりです。決してこの地位を楯に、貴女様からのとりなしを願うような事はしません。これは、当代ストライド侯爵ヤリスから、キャロル・レアール侯爵令嬢への、正式な謝罪として、どうかお受け頂きたい」


 カーヴィアル語で書かれた、翻訳と称した告げ口の書面は、もちろん写しがストライドの下にも届いていた。


 内容が、キャロル個人への侮辱だけではなく、任命者であるエイダル公爵やエーレと言った、皇族への批判に直結していると、一瞥した段階で悟ったストライドは、一族を路頭に迷わせるつもるかと、当事者達を怒鳴りつけた後、可及的速やかに、キャロルへの訪問の約束アポを取った。


 ――まさかその半日後に、国軍の方でも似た事態が起きようとは、思いもしなかったのだが。


 これでは、ストライド家そのものが、レアール侯爵家に対抗する家として、反主流派の象徴のように担ぎ上げられてしまっても不思議ではなくなる。


 もしかすると、ヤリスが当主である事を快く思わない一族の誰かが、敢えて当主失格の烙印を押すべく、トラブルの種を巻いた可能性さえ考えられる。


 だがストライド家の本来の役割から言って、反主流の立場に置かれる事だけは、あってはならなかった。


 5か国全てに一族が散り、有事の際はいずれかを頼れるように、徹底した危機管理の体制を敷く一族、と言うのが、表向きのストライド家だが、実は有事の際の拠り所としているのは、一族ではなく――皇族だ。


 歴代当主と皇帝しか知らない、その事実がそこに横たわる以上、間違っても、反主流派などと、見做みなされる訳にはいかない。


 目の前のテーブルに、頭をつけんばかりの勢いで謝罪の言葉を口にするストライドに、キャロルは意外さを隠し切れないでいる。


 皇妃となった段階で、皇帝代理として、いずれ知る可能性はあるのだが、今はただ、ストライドも頭を下げるのみである。


「ストライド侯爵閣下、ともかくも、まずはお顔を――」


 顔を上げて欲しい、とたまりかねたように、キャロルがストライドに声をかけたそこで、応接室のドアがノックされ、イオに案内を受けたデューイが、室内へと入ってきた。


「……キャロル」


 両膝の上に手を置いて、深々と頭を下げているストライドに、デューイの目がすがめられる。


「えっ、いえ、誤解です! これは私が無理に、侯爵閣下に謝罪を強要している訳ではなくて――」


 慌てたように両手を振るキャロルの言葉に、ふと顔を上げたストライドは、そこに、レアール家当主の姿を認めて、すっと立ち上がった。


「ご息女の仰る通りです、レアール侯爵。ご無沙汰しておりました。ストライド侯爵ヤリスです。軍での一件をお詫びさせて頂く前に、まずは外政室での一件をご息女にお詫びすべきと、先に謝罪をさせて頂いておりましたが、問題ございましたでしょうか」


 立場は同じ侯爵だが、年齢が7歳ほど離れている事もあり、ストライドはデューイに対し、へりくだった物言いをしている。


 デューイとしても、これまでさほど友誼的だった訳ではないので、それは自然な事として受け入れている。


「……いや。問題の根幹を、正しく理解頂いているようで、何よりだ」


 キャロルへの侮辱と、レアール侯爵家への侮辱をそれぞれに理解し、頭を下げたと言うストライドに、デューイも満足気に頷いて、ストライドにも再度、腰を下ろすように促す。


「侯にも改めて、一族の者の愚行、伏してお詫び申し上げます。――誠に申し訳ございませんでした」


「何、あれがストライド侯の本心でないと仰るなら、重畳ちょうじょう。侯爵家の数も随分と減った。共にこれから、陛下をお支えしていけるのであれば、私がそれ以上の口を挟む事でもない。どうか一族の手綱は、今一度しっかりとお持ち頂きたい。私から言えるのは、それだけだ」


 共に陛下を支える――昨晩、いつ侯爵領に引き上げても良いと言ったデューイの口から、まるで相反する、そんな言葉を聞くと、背筋が凍るような気さえする、キャロルとイオだったが、ストライドはもちろん、そんな事には気が付かない。


 ご厚情に感謝致します、と腰を下ろしたテーブルに向かって再度深々と頭を下げると、背後に合図を送り、分厚い束になった目録をテーブルの上に置いた。


「要不要の話は、この際脇に置いて下さいますか。ストライド侯爵家のとして、お納め頂きたい。一族を納得させる意味で言えば、更に要望を重ねて頂きたいほどなのですが」


「――――」


 もちろん、それを手に取るのは、レアール侯爵家当主たるデューイだ。


 傍からチラリと視線を投げれば、リューゲのツェルト織やら、マルメラーデの革製品やら、大陸全土の名産品が、ずらりと書き記されている。


「これはまた、随分と……」


「我がストライド家が、レアール家と反目、ましてや陛下に反旗を翻す勢力だ、などと思われる訳にはいきませんから。それでなくとも、本家分家当主が、正室を国の外から迎えている慣習に、あらぬ疑いや野望を抱く者も少なくありません。今回の様に、鹿が出ないようにするためにも、インパクトのある、が必要――つまるところは、当家の事情ですね。申し訳ありません」


 いっそ清々しいくらいに、ストライドは、一族の内情をデューイに対して、ぶっちゃけて見せる。


 ただ、それは、キャロルにもデューイにも、納得の出来る「事情」だった。


「確かに、個人的な事を言えば、妻や娘へのいわれなき侮辱を、品物に置き換えられていては、目録ごと叩き返したい心情ではある。これが我が領で受けている謝罪であれば、間違いなくそうしただろう」


「……ええ」


「ただ、今は私にも軍務大臣の地位と、それに伴う責任がある。我々が反目していると思われ、アルバート陛下のこれからの治世にいきなり冷や水を浴びせかけるような真似を、よりによって私が、率先して行う訳にもいかない。この目録は、有り難く預かるとしよう。――ラーソン」


 デューイが片手をあげたため、意外さを隠しきれない表情のまま、イオが無言で、テーブルの目録を手に取り、後ろに下がった。


「キャロル。レアール家として、軍での非礼に対する対応は、ここまでだ。そもそも、お前が手合わせで、完膚なきまでに、連中を叩きのめしているからな。これ以上は、言うまいよ。後はお前が、外政室室長として、あるいはキャロル・レアール個人として、どうするかだけだ」


「……えっ⁉︎」


 父の判断に従うつもりでいたキャロルは、その父が自ら、両案件を切り離してきた事に、驚いた。


「ストライド侯爵はこの目録では不足だと言う。だが私は、この目録以上を受け取ったところで、不愉快さは露ほども軽減されん。馬鹿どもの首を差し出せと言いたいところだが、から小言が飛んでくるの

は、目に見えている。なら、後はお前に委ねるしかないだろう。私なりの妥協だな。我ながら、丸くなったものだ」


「……なるほど……?」


「キャロル様、うっかり納得なさらないで下さい。ロータス執事長さまがいらっしゃいません。確実に、裏で何か動いていらっしゃる筈です」


 クソオヤジ、などとこの場で言わないだけ、まだマシなのかとキャロルが小首を傾げていると、ストライドまで届かない程の小声で、イオがそんな事を囁く。


 そう言えば……と、軽く目をみはるキャロルの向かいで、ストライド自身は、デューイの言い分に納得したのか、大きく頷いていた。


「首を差し出せと言われたところで、もちろんいなとは申しませんが、確かに、いたずらに宰相閣下を刺激したくはありませんね。私はそれで構いませんよ。どうぞ外政室室長として、目録とは別に、何なりとご要望を仰って下さい。何でしたら、目録内のツェルト織、こちらで夜会服に仕立てさせていただきましょうか。リューゲには妻の生家があり、専属の仕立て屋もありますので、婚姻の儀の後のお披露目に相応しい衣装をお届けする事が出来ると思いますよ? もちろん費用は全て、当家の負担で」


 あまりにさりげない、ストライドの提案に、キャロルは最初、うっかりそれを辞退しかけた。


 だが、リューゲの一言が、小さな棘のように、キャロルに続く言葉を思い止まらせた。


「……リューゲ。奥様……が……」


「ええ。妻の生家は、リューゲ四領主の一角を担う、トルソー家の分家の一つです。もしかすると、ヘタに国内の仕立て屋を頼るよりも良いかも知れませんよ? 衣装を巡るトラブルは、残念ながら私でさえ、時折耳にしますので」


「……っ」


「キャロル?珍しいな、お前が衣装に興味を持つとは――」


 特に深い意味なく、そう声をかけたデューイだったが、隣に腰掛ける娘の、厳し過ぎる横顔に、思わず口を閉ざす。


「ストライド侯爵閣下」


 デューイを見ないまま、キャロルが、軽さを抜いた口調で声を発した。


「その前に一つ。先程、先代侯爵夫人が、カーヴィアルの公爵家にゆかりのある方と伺いました。どの公爵家の事か、先にお聞かせ頂く事は可能ですか……?」


 もちろん、と答えるストライドの笑みが、深くなったように、キャロルには見えた。

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