第2章 誘導と幸運の交差点

2-1 ストライド侯爵の訪問(前)

「……どうして、昨日の今日で、開門時刻より二時間も前から外政室にいらっしゃるんでしょうか、キャロル様」


 登殿早々、こめかみを痙攣ひきつらせるイオに、しれっとキャロルは答えた。


「お父様に合わせたら、こうなっただけだけど?」

「どの口が仰いますか、それ」


「お互い様じゃない? 公都内貴族地区の屋敷に帰った筈の人が、何で、開門時刻より前から宮殿に入れてるのかな」


 ふふふ……と、お互いに、純粋さからはかけ離れた笑みが浮かぶ。


「さしずめ、お二人共ストライド侯爵のご訪問に合わて――と言うところですよね。何となくそんな気がして、昨夜の警護担当に確認をとってみれば、案の定、もう居住区を出ていると言われたもので、慌てて駆けつけましたよ」


「うん、とにかく時間がないからね。かと言って、今後の事を考えたら、ストライド侯爵と面識を得ておくのは、悪い事じゃないと思うし……両立させようとしたら、こうなった。ある程度、今のうちに仕分けておいて、開門時刻になったら〝迎賓館〟にまた戻るよ」


「……今回ばかりは仕方がありませんね。滅私奉公も、程々に願いますよ」

「はーい」


 一見、軽々しく答えてはいるが、声はどこか上滑りだ。


 どうやらあれから、皇帝陛下エーレとは顔を合わせていないと見たが、イオは敢えてそこは黙殺しておいた。


 やがて宮殿雇用の人間向けの開門時刻となり、一人二人と外政室に顔を出し始めた頃を見計らって、キャロルは各国別に選り分けておいた情報の翻訳を指示し、自分は〝迎賓館〟に来客があり、席を外す旨を告げる。


「……これ、いったい今朝、いつから……」


「仕事をしていなかった5人分なら、補えると仰ったのは、誇張ではなかったんですね……」


「あぁあの、室長! 本当に今度、一人、面接をお願いしても……?」


 思い切ったように、キャロルに声をかける平民文官の一人に、足を止めたキャロルは、ニッコリと微笑んだ。


「もちろん。昨日みたいな翻訳をちょっとやって貰って、後は直接話をして、為人ひととなりを見させて貰う感じかな? まぁ基本的に、丁寧に冷静に話をしてくれるなら、そこまで礼儀作法の強要もしないし。ただ、無意味に廊下で絡まれたくなければ、覚えた方が良いかも……? って、忠告くらいはすると思うけど。お給料は、翻訳の正確さと、今の貴方達の金額とのバランスを考えて判断させて貰うから、そこはあまり、期待を持たせるような事は言わないで? 貴方達もそうだけど、頑張れば次年度の昇給に直結するようには出来るから」


 そこまで、ペラペラと一気に言い切ったキャロルは、目を白黒させている文官の顔を、じっと覗き込んだ。


「それでその人、いつ面接に来れるかな? 色々都合があって、出来たら明後日くらいまでに、一度来て欲しいところではあるけど」


「あのっ、では、明日のこの時間では……」


「ん、分かった。宮殿正門の一時通行許可証は、この後の来客との話が終わったら出すから、今は先に、自分の仕事していてくれる?」


「は、はい!」


「あと、が、もしまた乗りこんでくれば、まとめて〝迎賓館〟に回してくれて良いから。心配しないで、自分の仕事続けて?」


 決断も、指示も早いキャロルとの仕事が、スムーズ過ぎて、部屋の住人達も唖然としている。


 気がつけば、当人の姿は、既に廊下の向こうだった。


「申し訳ない。私も一応護衛を兼ねているので、共に席を外させて貰う。基本的に、昨日室長が馘首かくしゅした者については、既に解雇通知がエイダル公爵名で承認されて、正門も、雇用者用の門も、出入り差し止めになっている筈なので、それでも現れる人間がいるようなら、誰か〝迎賓館〟まで、我々を呼びに来て貰えると有り難い」


「は……ええっ⁉︎」


 そう言って、軽く頭を下げたイオルグ・ラーソンも、あっと言う間にキャロルを追いかけて、行ってしまう。


「き……昨日の今日で、出入り差し止め……」

「やる事が早すぎる……」


 外政室は今日も、波乱の1日になりそうだった。




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「お待たせして申し訳ございません。私が、レアール侯爵家長子ちょうしキャロルにございます。ストライド侯爵閣下におかれましては、早朝よりのご足労、深謝申し上げます。当主デューイも、まもなく参るかと存じますので、恐れ入りますが、もう少々お待ち頂けますと、幸いにございます」


 宮殿でのキャロルは、カーヴィアルで着慣れた騎士服を、紋章を外して、色を染め変えるなど、マイナーチェンジを施した上で、着用している。


 ルフトヴェークには、国軍はあれど近衛はなく、その代わりが〝黒の森〟シュヴァルツだが、表舞台に出ない〝黒の森〟シュヴァルツには隊服がないため、彼らの服装は、自由フリーだ。


 どのみち、オートクチュールのドレスの製作には、3〜4ヶ月かかるのが一般的で、今、先日の夜会で採寸されたサイズを元に、エーレが皇妃用の衣装を複数、衣装係に作成を指示――している筈だったのだが、どうやら何かしらトラブルがあったらしく、キャロルは一度、父親から叱られている。


「興味がないにしろ、恥をかかない程度の基礎知識と流行は把握しろ。製作業者が衣装の質を落としたり、わざと製縫を雑にしたり、マナーに反するデザインのドレスをそのまま納品してきたりしてみろ。恥をかくのは本人だけでは済まないんだ」


 敵対する一族からの嫌がらせが、本人への直接攻撃ではなく、そう言った搦手からめてになる事も、よくあるらしい。


 デューイも、カレルの為にドレスを贈ろうとして、何度かその手のトラブルに遭遇していたため、影からこっそりロータスに確認に行かせたところ、まさに宮殿の衣装係の1人が、買収をされたところだったと言う。


 そんなこんなで、キャロルの服は現在、騎士服のままだ。


 最も、ルスランほどではないにせよ、暗器がいくつか仕込めるよう、改良をしてある服なので、キャロルとしては、この服を手放すつもりはない。むしろデューイには、こちらの服の追加発注をお願いしてある。


 片膝をついて、片手を胸にやるのも、騎士としての、貴人に対するカーヴィアル発祥の作法だ。


 ある意味、カーテシーよりも重い挨拶を受けた訪問者の方は、立ち上がってハッキリと顔色を変えた。


 まさか、近未来の皇妃殿下から、未だ自分の方が格下であると理解した挨拶を向けられるとは、思わなかったに違いない。


「いや、確かに私が、ストライド侯爵家当主ヤリス・ストライド――ですが、今日の私は、謝罪に来た立場。まして貴女様は、間もなく皇妃殿下となられる方。どうか、その様な礼は――」


「それでも、今の私はまだ、レアール侯爵家の長子に過ぎませんので。宜しければ、当主が参りますまでは、このまま――」


「いや、本当におめ頂きたい!そもそも、外政室の件と、軍の件と、こちらは別々に頭を下げなくてはならないのですから!宜しければ、このまま先に、外政室の件をお話しさせて頂きたい程です!」


 若い、とデューイは言っていたが、ルスランやヒューバートより若干年上……と言った風に、キャロルには見えた。


 何より、この侯爵の外見は――。


 キャロルの視線に気付いてか、ストライドの口元が、やや緩んだ。


「その近衛礼から察するに、私の事もすぐにお気付きだろうとは、思いましたがね。ストライド侯爵家自体は、国内から正室を娶らず、有事ゆうじの際のり所として、5ヶ国全てに一族が散る、少し特殊な家なのですが……。私の母が、カーヴィアル帝国の出身になります」


 黒みを帯びた赤――蘇芳色の髪は、純血あるいは、それに近いカーヴィアルの血を引く民の特徴だ。


「長くカーヴィアルにをされていたと言うのは、本当だったようですね。機会があれば、ぜひ別邸の方にお越し頂き、母と話をして下さいませんか。現在いまのカーヴィアルの話を、きっと母は聞きたいと思いますので」


「……それは……」


 それぞれの立ち位置が不明瞭な段階では、例え社交辞令にせよ、迂闊に頷けない話にキャロルが躊躇をしていると、ストライドの方でも、自分が話を急いていると言う事に思い至ったらしかった。


「大変失礼致しました。現状、レアール侯爵家ひいては皇帝陛下の敵か味方かも判断出来ないところに、頷けよう筈もありませんでしたね。……実に慎重な方でいらっしゃる。まずは私の方の筋を通させて頂かない事には、話も進みませんね。どうか、お立ち下さいませんか」


 ストライドの許可を得た、と言う表向きの筋は通した形でキャロルが立ち上がると、ストライドはそのまま、自分の向かい側のソファをキャロルに勧めた。

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