1-4 謀略の残滓

「三日分……ホント、ギリギリだなぁ……」


 とりあえず、各言語の実質の主担務者に、まだ、エイダルの目を通っていない情報を、全て持って来るよう命じてみたところ、最長三日分の報告書が、目の前に積み上がった。


 情報は、鮮度が命だ。今とりたてて、どの国も戦争状態となっていないからこそ、三日間報告書が手付かずになっていても回ってはいるが、有事であれば、これは致命傷だ。


 言語担当者の質に左右された結果、最も現状把握が滞っていたのは――カーヴィアルだった。


 主要国で唯一、ルフトヴェークと国境を接していないところにも、要因はあるのかも知れない。


 そして、一度大使館職員を、全て失っているところにも。


 新たに、カーヴィアル語が出来る担当者を大使館職員として赴任させた結果、公国側の人材が枯渇したのだろう。


 そう考えれば、ミュールディヒ侯爵家が、フェアラート、ルッセ、両公爵家を動かしてまで皇位を狙い、他国を巻き込んで仕掛けた謀略は、やはり許されるものではなかったのだと、改めてキャロルも実感してしまう。


「……あ、ダメだ。この報告、前述まえがある」


 周囲が唖然とするスピードで書類をめくっていたキャロルだったが、ふいに手を止めると、中身を読んでいないと言えない言葉をこぼして、更に周囲を――特にカーヴィアル語担当班を、凍りつかせた。


「さっきは、各自、通常業務に戻って良いと言いましたけど、前言撤回しますので、はい、注目! まず、さっき帰って良いって言った以外のカーヴィアル担当の人、手分けして、宮廷情報に関する報告書だけを、2か月分抜いて、持って来て! 悪いけど、最優先業務!」


 キャロルがルフトヴェーク公国に来る前のカーヴィアル帝国の宮廷情報など、不要だ。


 何しろ、キャロル自身が、近衛隊隊長として、中枢にいたのだから、現在いまの大使館職員達よりも、遥かに詳しい自負がある。


 また、大使館職員が新たに派遣されたのが、ここ1か月半くらいの事である以上、情報には空白がある筈で、2か月分の情報を要求したところで、恐らくはひと月程がせいぜいだろうと思われた。


 逆を言えば、その確認もこめての、2か月指定である。


 カーヴィアル帝国の現状を把握するなら、商業や農業のまわりくどい報告書を読むよりも、皇太子アデリシア・リファール・カーヴィアルの動向を確認するのが、一番だ。


 ルフトヴェーク程ではなかったにせよ、皇帝の体調が思わしくない以上は、宰相も兼務するアデリシアの動向で、全ての判断が出来ると言っても過言ではない。


 それと並行するように、キャロルは他の国の報告書にもざっと目を通して――いたのだが、やがてリューゲ自治領の報告書を読み終わったところで、眉間に深くしわを寄せた。


「……のに」

「……キャロル様?」


 気付いたイオが、ゆっくりと、静かに声をかける。


 それほどまでに表情は厳しく、ほぼ初対面である外政室の面々を、オーラだけで威圧したのだ。


「私はただ、アデリシア殿下と近衛隊の近況を知りたかっただけなのに……」


 手にしているのはリューゲ自治領に関する報告書だが、口に出ているのは、カーヴィアル帝国の最重要人物の名前だ。


 その矛盾の先を、キャロルはここでは語らなかった。


「悪いけど、次、リューゲ担当の皆も、資料の追加お願い。領主会合の定例報告書を――こちらも2か月分。ラーソン卿も、さっきの書類をエイダル公爵に届け次第、ヘルプに入って」


 もはや、出て行けと告げた貴族の子息達を、キャロルは一顧だにしていなかった。


 それどころではなく、この、ほぼ放置されていた書類に大きな問題があったらしい事を、外政室の全員に、無言で知らしめていたのだ。


「マルメラーデとディレクトアの担当班は、ここひと月ほどの間に用途不明な闇取引の噂が出ていないかどうかだけ、ざっとチェックをお願い。拾って欲しい単語と情報は、今、書き出すから。最後、国内担当者。貴方たちは、ワイアード辺境伯領に関する情報を、片っ端からピックアップ。何故なぜは後から! 時間が惜しい、急いで‼︎」


「はっ……はいっ!」


 それまで、各国大使館から奏上されてくる書類を、国ごとに淡々と訳して、宰相室に届けていただけの彼らにとって、5カ国間の情報を、俯瞰ふかんして纏めようとする、目の前の侯爵令嬢は、別世界の住人だ。


 彼女が何をしようとしているのか、現時点では誰も、まるで分からない。


「ラーソン卿、エイダル公爵に伝言の追加をお願い」

「……は」


「少し遅くなるかも知れませんが、外政室からの重要な報告があるので、宰相室でお待ち頂きたい、と」


 人の話を聞いていたのか、と言いたげに眉をひそめたイオを遮るように、キャロルは片手を上げた。


「恐らくそのまま、陛下にも話をしなくちゃいけなくなる事だから、今回ばかりは、大目にみて貰うから。私がいきなり陛下に奏上するのは、政務の在り方として、筋が違う。キチンと根拠を纏めた上で、まずは宰相であるエイダル公爵に話を通すのが、大前提。この部屋は、今、縦割り行政の弊害の象徴みたいになっているから、先にそこからメスを入れないと、この先も、何も出来ない」


 イオでない誰かが、筋が違う……と、驚愕を隠し切れない様子で、キャロルを凝視している。


 彼らの常識からすれば、皇帝の妃となる予定の立場なら、直接何を強請ねだっても許されれる立場の筈であり、現に先代皇帝の側室、フレーテ妃が皇帝に身内の任官やドレスの新調を強請っていたのを、彼らは何度も目撃している。


 だが、溺愛を噂される、目の前の少女は、それを根本から否定してのけた。

 正しい外政室の在り方を、行動で説こうとしている。


 家名と過去の栄光で、今日の食事はまかなえない――。


 のちに、皇妃を讃える名言の一つとして、平民や下級貴族達から、絶賛されたセリフだ。


「言っても、単に、あれこれ書類を揃えて貰うだけで、夕方になるんじゃないかと思っただけだし、陛下の不況を買うのが怖い――とかなら、頑張って、スピードアップして貰えれば、こっちは全然構わないんだけど」


「――――」


 外政室の面々は一瞬、キャロルとエイダルが重なって見えた気がした。

 声を荒げてはいないのに、言っている事はかなりの鬼畜、もとい無茶振りだ。


「……かしこまりました。諸々の書類をお届けした際に、そのように申し伝えさせていただきます」


「ありがと。よろしく」


 諦めて頭を下げたイオに、キャロルは嫌味でも何でもなく、そう答えて、再び手元の書類に意識を戻した。


 馘首クビを言い渡した貴族達を、一顧だにする気もないようで、イオは秘かに、今後のキャロルへの、護衛を増やす必要性を痛感しながら、宰相室へと向かった。

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