1-5 宰相室の怒声(前)
「……初日から、随分と派手にやってくれたものだな」
日が暮れて、宮殿に出入りが出来る刻限の終わりを、まもなく迎えようかと言う頃。
「解雇通知に関しては、署名をしておいた。お前の言う通り、こんな馬鹿な案を寄越すような輩を雇っておけるような余裕は、国庫にはない。明確な根拠を、よくぞ仕立て上げた」
「……仕立て上げ……」
それでは、まるで自分の方が
不本意を絵に書いた表情で、キャロルは、目の前の宰相閣下を見やる。
「ただ、翻訳能力が低いだけでは、さすがに
リヒャルト・ブルーノ・エイダル。
ロマンスグレーの髪を持つ、公国随一の知性派公爵、新皇帝の大叔父。
キャロルの父、レアール侯デューイが「
「どうするかと思っていたら、まさか、言葉が分からないフリをして、ボロを出させるとは。まぁこれは、まんまと乗せられた方が悪いと言うべきだろうが」
くつくつと、低く笑うエイダルに、キャロの眉間の皺が寄る。
「……ボロは出させたかったんですね、やっぱり」
「それはそうだろう。私が、外交における情報鮮度の重要性を理解していないとでも思っていたか。むしろ、ミュールディヒ侯爵家一族にそれを気付かせないために、無能と有能をひとまとめにして、放り込んでおいたんだ。裏で情報を握り潰されでもしたら、それこそ国が滅ぶ。外政室だけに、
「あぁ……やっぱり、
エイダルの話し方は、淡々と事実を指摘する話し方、会話に表裏を混ぜる話し方が標準仕様であるために、周囲からは距離を置かれる事が多い。20年以上の付き合いがある、
だがキャロルは、カーヴィアルでアデリシアに鍛えられたせいなのか、エイダルに対してさえ、怯みも
エイダルの下に付き、長年エイダルを見てきた、ファヴィル・ソユーズなどからすれば、驚天動地に等しい事態なのだ。
いや、息子ルスランを「暗器をいっぱい持った人」で片付けられる精神からすれば、さもありなん……なのか。
複数の貴族
片手で顔を覆い、天井を見上げるキャロルからは、エイダルへの
「……外政室の書類の中に、何を見た。私に、残って待っていろとまで伝言を残すからには、生半可な情報ではない筈だな?」
「……放っておいてもこの時間になる筈なのに、無茶苦茶恩着せがましいですね」
「無駄口はいらん。要点を話せ」
キャロルの嫌味を、返す刀で切って捨てるエイダルに、僅かに顔を
「ソユーズ宰相書記官」
視線を向けられたファヴィルが、キャロルの言いたい事を察して、微笑を浮かべる。
「ファヴィルで構いませんよ、キャロル様。いずれ
表向きは宰相書記官、実際は、皇族専属護衛組織
ファヴィル、エイダル両名の視線を受け、忘れていたとばかりに、キャロルが、ポンと両手を叩いた。
「あ、処分に文句があったっぽい何人かが、徒党を組めば何とかなると思ったのか、そこで襲いかかって来たんで、返り討ちにしておいたんでした。イオ……ラーソン卿に、用事を頼んだついでに、片付けておいて貰おうと思っていたのを、すっかり忘れてました」
「……おい」
「えぇまぁ、普通は忘れませんね」
エイダルの言いたい事を察したファヴィルが、同意するように肯く。
エイダルやファヴィルは、キャロルの地頭の良さに、後継としての資質を見ているが、息子であり、次期
確かに、そう聞けば、実戦経験皆無の貴族の息子達など、歯牙にもかからないに違いないし、即位式典でフレーテ・ミュールディヒの
「分かりました。それは、手の者に片付けさせておきますから、キャロル様はまず、話を進めて下さい。もうお分かりと思いますが、リヒャルト様は、あまり気が長い
「……一言余計だぞ、ソユーズ」
「あ、ホントだ」
「…………」
段々と表情が険しくなるエイダルに、さすがにキャロルも、それ以上を混ぜ返さなかった。
ファヴィルが太鼓判を押すからには、もう良いだろうと判断して、それまで小脇に抱えていた、書類の束をエイダルに差し出した。
「本当に、大きな外枠だけをまず語るなら、カーヴィアル帝国内で、アデリシア皇太子殿下が、失脚の危機にあります」
「……何?」
「一度、殿下によって失脚させられた筈の公爵家が、息を吹き返しかけていて……そこまでなら、帝国内のお家騒動で済ませられたのかも知れませんが、誰が瀕死の公爵家に手を貸したのかと言う部分で、話が帝国内では片付かなくなっています」
キャロルが差し出した書類は、見るからに、ちょっとした束になっている。
エイダルはいったん、キャロルに最後まで話すよう、続きを促した。
「黒幕個人にまでは、この資料だけでは、辿り着く事が出来ない。だけど、国と家の特定だけなら、この資料で充分です」
「……国と家、だと?」
「はい。リューゲ自治領の領主会合において、主導権を握れる人間と、ワイアード辺境伯領において、商業取引を担えるだけの知識がある人間――ですね。ワイアード辺境伯の事は、私はよく知りませんので、辺境伯自身が関与しているのか、場所と名前だけを利用されて、後々身代わりにされようとしているのかは、ここからは読み取れないんですが」
「…………」
書類を受け取ったエイダルは、完全に無言になり、書類に視線を落とした。
束になっているとは言え、エイダルも、公国内で天才の名を欲しいままにしてきた男である。元々書類を読むスピードは、早い。
あっと言う間に机の上に、各国の言語ごとの書類が仕分けられた。
「説明が足りないな」
トントンと、カーヴィアル語の書類を人差し指で叩きながら、やがてエイダルが顔を上げた。
「この書類から読み取れるのは、今、カーヴィアル帝国内では、アデリシア皇太子の側妃立后される筈だった、キャロル・ローレンス近衛隊長が、娘を後宮に送り込みたい、クラッシィ公爵家の刺客に
「リヒャルト様」
しかしキャロルが答えるよりも先に、珍しく、ファヴィルが硬い声で、エイダルを遮った。
「私も、全てを把握している訳では、もちろんありませんが、それでもひとつ、申し上げられる事がございます」
「……何だ、ソユーズ」
「その、
「何?」
眉を
「キャロル・ローレンス……キャロル?」
「私の記憶違いでなければ、レアール侯爵夫人の
「………何?」
どちらかと言えば、柔和よりも冷徹が勝るエイダルが
慣れているファヴィルは苦笑いだが、キャロルはエイダルと視線を合わせようとせず、明後日の方向を向いていた。
「……っ、
冷静に相手を追い込む事が多いエイダルにしては珍しい怒鳴り声が、宰相室から響き渡り、たまたま廊下でそれを耳にした、文官や侍従達は、一瞬、耳を疑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます