第11話 年の始めのためしとて


 神社の拝殿に鳴り響く柏手の音。

 お辞儀を二回し、手を合わせ祈る。

 その間も頭上高く設置された真鍮しんちゅうの大鈴が、麻縄で揺すられる度にガラガラと、せわしなく参拝者をはらい清めた。


「先に行くよ」


 娘に一声掛け階段を下ろうとするも、初詣客の雑踏に飲み込まれ遅々として歩めず。

 非力な体格を嫌というほど思い知りながら、石畳の参道へ到達。

 息を整えながら周囲を見渡すと、後ろにいた筈の春佳がすぐ目の前に立っていた。コンコンと咳き込みながら。


「大丈夫か?」


 俺の言葉に娘はコクリと頷くも、やはり顔色はよろしくない。


「喉が……ね」


 一言呟くと、再び小さく咳きをした。


 年末の宴会後。

 俺と娘は高熱で寝込んだ。

 タチの悪い風邪を即売会にて貰ったらしい。春佳は二日酔いも上乗せで酷い有様。

 正月を寝て過ごし、ようやく起き上がれる状態まで回復した。

 俺の場合、病院へ行こうにも、いつもの保険証が使えるわけもなく。熱が引いた時は心の底から胸を撫で下ろした。


「由喜ちゃんは、何を神様へお祈りしたの?」

「そりゃ元へ戻る事。あと、お前の国家試験、合格祈願さ」

「祈ってくれたんだ♪」


 気恥ずかしそうに帽子へ手を当て、はにかんだ。


「ちゃんと資格取って、就職してくれないと困る」

「学費のローン、たくさんあるしね」

「俺、新年から無職だしな」

「はい?」


 マジですかと、娘は目を見開いた。


「そっか。あの件まだ話してなかったか」

「何があったの?」

「義弟が、俺の職場に電撃訪問した」


 ヤレヤレと溜息を交えながら、顔を左右へ振った。


「俺は自宅でテレワーク……の筈が、所在不明という事になり、会社で大問題になった」

「それで、クビ?」

「業務用ノートパソコンを持ち出していたからさ。会社のデータ・サーバーに直接繋がるから」


 情報セキュリティを考えたら、当然の結末ではあるが。


「出社して説明しろとメールが飛んで来たので、仕方なく業務パソコンと一緒に辞表を宅配で送りつけた」

「ありゃま」


 せめて三月まではと目論もくろんでいたのだが………。


「まぁ、遅かれ早かれ退職確定だったから、予定が早まっただけさ」


 この件に関して義弟を責める気はない。俺の身や家族を案じての行動には違いないから。

 ただし、恨みがましくは思う。


「春佳。お守り買って行くかい?」


 参道の脇、臨時の社務所内には、巫女服姿の女性がはなやかに詰めていた。


「いらない。お母さんから正月に貰ったもん」

「そっか」


 妻の事だから学問系の神社まで足を伸ばしたのだろう。


「わたしとしては、おみくじが引きたいかな」


 腕を引き、せがむような上目使い。


「俺は、やめとく」

「どうして? 一緒に引こうよぉ」


 娘はあからさまに口を尖らせた。

 年の始めの、ためしとて………か。

 毎年、妻と二人で一喜一憂していたからな。

 出掛ける時、今年も三人でと陽子を誘ってみたが、正月に参拝したからと素っ気なく袖にされた。

 多分、この人混みを嫌ったのだろう。


「なぁ春佳。今おみくじを引いて、大吉とか出ると思うか?」


 前途多難か女難の相か、読むだけで気分が滅入る内容だろう。


「判んないよ? 良いのが出るかもしれないじゃん」

「その時は金輪際こんりんざい、おみくじを信じないよ」


 天気予報の方がよほど当てになる。

 それほど信仰深い方ではないが、神仏の御加護を疑うような状況を招きたくはなかった。

 いざという時に祈る対象がないと困るから。


「これで二人分、引いて来い」


 財布を取り出し、ションボリとする春佳にお札を一枚手渡した。


「お前と、お母さんの分だ。お釣りはいらない」

「判った♪」


 にぱっと笑うなり、玉砂利を踏み鳴らしながらお使いへ。

 小学生の頃から何も変わっていないというか。本当に今年、成人式なのか?

 それが良いのか悪いのか判断に迷う。


 娘が帰るまで温かい飲み物をと考えるも、目の前には立ちはだかる人の壁。

 正月は過ぎたとはいえ、まだ三箇日。表参道の列は門の先まで伸びていた。

 多数の参拝客に混じるあでやかな振り袖の数々。

 どうせこのような見目姿みめすがた、一度くらいは羽織ってみようかと考えもする。

 実際に着たとしても、数分で飽きそうではあるが。


「買って来たよ」

「へ?」


 いつの間にか隣に娘が立っていた。


「早かったな」


 列が見えたから軽く十分くらい掛かると踏んでいたのだが。


「おみくじだけ並ぶ所が違ってた」

「それは新年早々、縁起の良い事で」


 昼間とはいえ寒空の下で待つ身としても僥倖ぎょうこうではある。


「春佳。何か食べて行くかい?」


 先ほどから出店の甘酒が気になっていた。


「ん~……。今日は、いいや。調子あんまり良くないし」


 そう言い終えるなり、ホラねと咳きを二回。


「じゃ、帰るか」


 あまり遅くなると妻が心配するだろう。

 二人手を繋ぎ家路についた。仲の良い姉妹のように。


「由喜ちゃんは、どこか寄り道したいの?」

一旦いったん、家に帰るよ」


 途中で別れるのは心配だから、とは敢えて口にしなかった。


「その後は?」

「新年会へ行く」


 そう口にした途端、娘から笑顔消失。


「マジで行くの?」


 露骨に嫌そうな声を上げた。絶対拒否とばかりに。


「お前は来なくても良いよ。一人で行くから」


 義弟から届いた新年会のお誘い。是非ご参加くださいと丁寧な文面のメールが昨日着信。


「四時始まりの夕方六時締めだから、時間的には問題なかろう」


 その後に続く二次会、三次会まで付き合う義理はない。


「別に無理しなくても良いんじゃない?」


 再考をうながすという事は、娘にとってあの宴会はトラウマ案件になったらしい。

 あれだけ騒いで、あれだけトイレに籠もっていたら、そうなるわな。


「あの二人が参加する。今回は少人数だから色々と話す機会もあるさ」

「前回、聞かなかったの?」

「始める前から出来上がっていた。今回は昼間の開始。流石に素面しらふだろう」


 正月三箇日なので、朝から飲んでいる可能性も否定しきれないが。


「元に戻らないと、再就職も難しいだろ?」


 夢の作家生活というのもアリではあるが、三人分の食い扶持ぶちとなるといささか自信がなかった。

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