第12話 はじめましてと言いながら


 電車に揺られながら、ふと気付いた。

 この姿になってから、一人で乗るのは初めてだという事に。

 流れる車窓。きしむ金属音。久し振りだな、この感覚。

 毎朝、乗り継ぎを含め一時間近く乗っていたのが、遠い日のように思えた。

 ずっと、このままなのか?

 不安と諦観の念が交互に沸き起こる。一定間隔で鳴り響く、レールの通過音のように。

 だが。

 俺は諦めない。

 そうだろ?

 どんな時でも、前を向いて歩いて来た。

 昨日も、今日も、そして明日も明後日も。

 現に今この瞬間も、元へ戻るため列車に乗り、目的地へ向かっている。

 今回は長い旅になりそうだ。

 まぁ、それも良かろう。

 ゆっくり気ままに楽しめば良い。

 たまには、こんな日々も悪くないさ。

 思えば二十年近く、長い休暇を取った記憶がないのだから。


 急制動。

 低く轟くブレーキ音。着いたか。

 扉が開くと同時にホームへ、すぐ目の前の跨線橋こせんきょうを登る。

 この身体の利点を挙げるとするなら、体が軽くて動き易い事だろう。

 以前なら遠回りしてでも、エスカレーターを探していた。

 改札口で電子カードをかざす。

 液晶に表示された残金を思わず二度見した。

 随分と取られたな。チャージしないと帰れそうにない。

 まだ通勤定期の期限が数日残っていたが、性別が変わった現状、駅員に捕まり三倍料金というオチが目に見えていた。


「ここ、だっけ?」


 駅前のロータリーを彷徨さまよう事、数分。新年会の開催場所に到着。

 去年、飲みに来た筈だけど、久し振りだったので正確な場所を忘れていた。

 少し薄暗い地下への階段。

 コツコツと足音を立てながら下り、玄関マットへと降り立つ。

 扉越しに漏れ聞こえる歓声。

 深呼吸をして覚悟を決め、取っ手を掴んだ。


「いらっしゃいませっ!」


 開けると同時に、威勢の良い掛け声がお出迎え。扉のガラス越しに見えていましたとばかりに。

 カウンター席の客からは、容赦のない突き刺さるような視線。

 怯みそうになるも、バスケットシューズを板張りの床へと踏み入れた。

 予想はしていたが、この身なりは保護者がいないと浮きまくるらしい。


「井上の名前で、予約している者です」


 決して迷い込んだわけじゃないですよと周囲にアピール。

 こんな事なら面倒がらずに、店の前で電話連絡をしておけば良かった。


「お待ちしておりました、由喜ちゃんっ!」


 店の奥から幹事様のご登場。

 これで摘み出される心配はなくなった。


「明けまして、お目出度めでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます」


 対面早々、深々と義弟は頭を下げた。


「こちらこそ、新年明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いします」


 松の内って、いつまでだっけ?

 そんな事を思いながら新年の祝辞をのべた。


「ささ、奥へ。既に皆様お揃いです」

「もうですか?」


 先導する義弟の後をあゆみながら首を傾けた。

 開始予定、十分前なのに全員集合ですか。

 始まる前から飲んでいる不届き者が、数人いそうな気がした。


「由喜ちゃんの、ご到着ですっ!」


 わざわざ皆に言わなくても、ええっちゅうに。

 案内された個室には十人ほど詰めていたが、杯をあおっている者は見当たらず。今日は几帳面きちょうめんな方々ばかりらしい。


「あれ?」


 いつも輪の中心にいるべき人が見当たらない。


「井上さん、本日ベネットさんは?」

「残念ながら欠席です。原稿がお忙しいとの事で」


 うそんっ!?

 目論見もくろみが早くも瓦解がかい

 その場で盛大に溜息をついてしまった。


「私も非情に残念です。締め切りの都合上、どうしても抜けられないそうです」

「それは仕方ないですね」


 いつも正月三箇日だけは必ず休む人なので、珍しくはある。


「掘さんも、お休みですか?」


 視線を一巡させるも気配がない。


「いえ。欠席の連絡はないので、遅れているだけかと」


 辛うじて、ここまで出向いた意味はあったらしい。


「まずはお座りください。由喜ちゃんの席はコチラです」

「その前に、お渡ししたい物がありまして」


 あらかじめ用意した封筒を鞄の中から取り出した。


「今回のお食事代です」

「これはご丁寧に。由喜ちゃんはゲスト枠なので、参加費は不要です」


 お気持ちだけで充分ですと満面の笑顔。

 そうは言われても、只ほど怖いものはなし。


「気分的に心苦しいので、今回はお受け取り下さい。前回の宴会代も払っていませんし」


 しかも、よりによって二人分。

 娘から手渡す筈が、春佳が泥酔してしまい帰宅だけで精一杯だった。


「お気になさらず。私としてはご参加戴いただけで充分であります」

「そう言わずに、お受け取りください」

「いえいえ。未成年の方から戴けませんっ! 子供にお腹一杯食べさせるのは、大人の責務でありますからっ!」


 何とか渡そうと詰め寄るも、土俵際どひょうぎわでキッチリ打っちゃられた。

 ふところ的に問題がないのは判っているけど。

 大盤振る舞いが続くと、義弟の妻である、妹の心情の方が気がかりだった。


「あのぉ~。よろしいでしょうか?」


 不意に、背後から女性の声。


「あ、すみません」


 お邪魔だったかな。

 端に身を寄せ、通路を開ける。

 てっきり店員かと思ったら、視界に入ったのは眼鏡を掛けた一人の少女。

 背格好や年齢も、ほぼ同じくらい。

 このお店に不釣り合いな存在、二人目が微笑みながらたたずんでいた。


「はじめまして。わたくし、掘と言います。叔父様の代理でやって参りました。幹事の井上様はお見えでしょうか」

「へ?」


 今、何とおっしゃいました?


「はい。私が井上ですが」


 俺と同じく目をパチクリさせながら、義弟が名乗り出た。


「叔父様から伝言です。誠に申し訳ございませんが、本日は急な仕事が入り、家から出られなくなりました。代理として姪を派遣するので、よろしくお願いします………との事です」


 報告終わりとばかりに姿勢を正した。

 俺は椅子へと座り込みそうになった。

 欠席ですか。

 そうですか。

 本日の遠征任務は失敗した模様。

 もう、帰って良いかなぁ。


「あと叔父様から、こちらを渡すように言われました」


 うやうやしく差し出す紙封筒。


「コレは?」

「わたしは良く判りません。お預かりしただけなので」


 チラリと一見して驚愕。

 封書は赤蝋で封緘ふうかんされていた。それも刻印入り。

 あの人はどっから、こういう物を入手するのだろう。

 呆気あっけに取られるも、自分も真似してみたいと思ったり。


「それでは、お預かりします」


 首を捻りながら受け取る義弟。

 中身は参加費と思われるが、このやり方をされると断り辛いだろう。


「本当に、わたくしのような者が参加しても、よろしいのでしょうか?」


 恐縮しながら周囲の雰囲気をお伺い。


「叔父様からは、アニメの話をしながら美味しい物が食べられるとしか、聞いていないのですが」

「それは問題ございません。お店の年齢制限は特にないですし、黒髪長髪の麗しい眼鏡少女は大歓迎でありますっ!」


 少しは性癖隠せと、俺は心の中で突っ込みを入れた。


「もう時間ですので、まずはお座り下さい」


 同じ女性同士という事で、二人同じ席へ。てっきり紅一点かと思っていたので、少しだけ気が楽になった。


「由喜ちゃん、飲み物は何をご所望しょもうですか?」


 生ビールで、と言ったら義弟はどんな顔をするのだろう。


「私、烏龍茶」

「わたくしも、同じ物をお願いします」


 お辞儀しながらの柔らかな物言い。

 お上品というか、育ちが良さそうというか。着ているフリル付きのワンピースも、それなりに値が張りそうな気がした。


「あの、由喜ちゃんとお呼びしたら、よろしいでしょうか?」


 こちらの視線に気付いたのか、お隣からのファーストコンタクト。


「はい、それで良いですけど」

「はじめまして。掘と言います。本日はよろしくお願いしますね♪」


 笑顔での自己紹介。


「栗田由喜です。こちらこそ、よろしく♪」


 礼儀正しい分、面倒な気がしなくもない。


「このお肉、由喜ちゃんは何か判ります?」


 大皿に盛りつけられた品々。興味深げな眼差まなざし。


「全て馬肉だと思われ」

「それって、お馬さん?」

「うん。色が違うのは、赤身やハラミなど部位が違うから」


 以前に食べたけど、詳細までは失念した。


「この四角いチーズみたいのは?」

「馬のたてがみ。燻製だからクリーム色になっているけど」

「詳しいですねっ!」


 両手を合わせ目を輝かせた。


「きょ……いや、来る前にネットで見たから」


 去年と危うく口を滑らせる所だった。義弟の耳に入ったら根掘り葉掘り詮索されるだろう。


「それでは時間となりましたので、始めさせて戴きます」


 テーブルに飲み物が揃ったところで、幹事の義弟が声を上げた。


「皆様、明けまして、お目出度めでとうございます。本日は新年会、及び、由喜ちゃんを支援する会にお越し戴き、あつく御礼申し上げます」


 待って。

 支援する会って、なんぞや?

 目の前に置かれた飲み物を、危うく倒しそうになった。


「本年、ますますの発展と幸多からん事を祈願し 乾杯っ!」


 掲げられるグラス。ぶつけ合う杯の音。陽気な声が上がるなか、そそくさと席を抜け出し義弟の元へ。


「おぉっ! 由喜ちゃんから乾杯に来て戴けるとは。この井上、感激でありますっ!」


 そんな気は毛頭なかったのだが、慌てたはずみで右手には烏龍茶のグラス。

 そう思われても当然か。


「新年を祝って、乾杯」

「乾杯っ!」


 気付くと輪の中心で、皆と杯をかん高く鳴らし合っていた。

 やはり良いな。こういう雰囲気。

 ずっと家に籠もっていると………なんて思っている場合じゃなかった。


「井上さん、井上さん」


 談笑中ではあるが肩を叩き強引に振り向かせた。


「先ほどの、支援する会というのは何でしょうか?」

「読んで字の如く、由喜ちゃんを支援するための会であります」


 本当にそのままだな。


「行方不明の義兄上あにうえに成り代わり、学費や生活費など有志をつのり支援したく思いまして」


 マジか。

 世間的に見たら、義侠心ぎきょうしんあふれる行為と賞賛されてしかるべし、ではあるが。


「それ、陽子さんはご存じで?」

「発足したばかりなので、会の骨子がまとまり次第お話しに伺う所存です」


 困惑する妻の顔が、ありありと脳内に浮かんだ。


「誠に申し訳ございませんが、時が来るまで、どうかご内密にお願いします」

「了解であります」


 今まで気長に構えていたのだが。

 早く元の姿へ戻らないと、状況が加速度的に悪化しそうだな、これは。

 暗澹あんたんたる気分で自分の席へと引き返した。


「おかえりなさい。どれも良いお味ですよ?」


 掘さんの姪っ子が、ご満悦な表情でお出迎え。


「今、食べる」


 落ち込んでばかりいても仕方なし。

 こういう時は美味しい物で気分転換が一番。

 視野には大皿に盛られた料理の数々。やはり先ずはコレを食べねばなるまい。

 馬刺し一切れ、特製タレにつけてと。


「ん~っ!?」


 久し振りに食べるとうまいわぁ♪

 噛むほど溢れる濃厚な味と、タレの風味が絶妙………なのだが。


「これでビールが飲めたらなぁ~」


 熱燗の日本酒でも良い。


「由喜ちゃん、お酒を飲まれるのですか?」

「あ、いやっ!」


 うっかり言ってはならぬ事を口に出していた。


「大人の人達がさ、良く話しているから。そうなのかなぁって、想像してみただけ」


 内心で大量の冷や汗をかきながら、自然な言い訳をためしみた。


「ふ~ん。そうなのですか?」


 あからさまに不審ですねぇと、言わんばかりの視線。


「私のお父さん、お酒好きだったから♪」


 言葉を重ねるも、更なる深みへとハマリそうな気がした。


「奇遇ですね。わたくしも同じ事を思いました」

「そなの?」

「はい♪」


 口元に笑みを浮かべながら、小さく頷いた。


「例えば、このチーズの燻製。貴腐ワインにピッタリだと思いませんか?」

「きふ、ワイン?」


 トクリと胸が高鳴った。


「貴腐菌により糖度が増した葡萄で作られる、蜂蜜色でメープルシロップみたいな味のワイン。由喜ちゃんはご存じですか?」

「知識と、しては……」

「不思議ですよね。わたくし未成年ですから、ワインなんて口にする筈がないのに、とっても相性が良い気がするんです」


 目を見据えながら、おっとりとした口調で呟いた。

 こちらの反応を鑑賞して楽しむように。


「不思議と言えば、由喜ちゃんとは今日が初対面ですよねぇ? なのに以前にも、お会いした気がするんです」

「それって、どこで?」


 受け答えをする度に、上昇する心拍数。一口飲んだ烏龍茶が、酷く冷たく思えた。


「ハッキリとは憶えていないのですが、今日みたいな賑やかな場所で……」


 おもむろに腕を上げ、俺の頭の上に手を乗せると。


「こんなふうに、由喜ちゃんの頭を撫でた気がするんです」


 髪をクシャクシャと掻き回した。


 まさか。

 まさか、まさか、まさかっ!?


「由喜ちゃんはこの後、お暇です?」

「この、新年会の後?」

「はい。ご近所に、わたくしお気に入りの甘味屋がありまして。是非ご紹介したく思います♪」


 そう告げた後、彼女は耳元へ唇を寄せた。


「ボクと君の、二人だけで♪」


 つば嚥下えんかしながら、俺は小さく頷いた。

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