第10話 憂鬱な宴会
「この子が栗田さんの隠し子っ! マジで?」
俺を一目見るなり、掘さんは目を輝かせた。
「何この可愛いらしい生き物っ! 良いじゃない、いいじゃないっ! ねぇ、ちょっと撫でてみても良いかしらっ!?」
許可を求めておきながら、コチラが口を開くより早く手が伸びて来た。
吐く息が酒臭い。即売会後の打ち上げに遅れて到着したのは、他の店で飲んでいたからだろう。
「良いわぁ~この
お姉ぇ言葉を
掘さんは、そっち系の人ではない。趣味趣向は極めてノーマル。ただし話し方がコロコロ変わる。
本業は脚本や小説の執筆。主人公の台詞を没頭して考えるあまり、それが口調に反映。現在、書いている作品内容が何となく判ったりする。
「あの、掘さん……ですよね?」
「そうよ。なぜ君はボクの名前を知ってるのかしら? もしかして、お父さんから何か聞いてる?」
凄く気になるわぁ~と、首を
「ねぇ、ねぇ、あの男は何を言ってたのよぉ~。どうせ、あんな事や、こんな事や、酷い事をイッパイ聞いてるんでしょっ!?」
「そんな事ないです。とても素晴らしい文章を書く人だと、言っていました」
「嘘よぉ~っ! あの男がそんな事を言うわけないからっ!」
「いえ、本当です」
子供の頃から文筆業に憧れ
「イヤだわもぉ~っ! なんて良い子なのかしらっ!! ねぇ、チューしても良いっ!?」
「嫌です」
あと頭を撫でるの止めて欲しい。髪が痛いから。マジで。
「まぁ、まぁ、まぁ。掘さん、その辺にしときましょう」
ようやく宴会幹事の義弟が、大柄な体で二人の間に割って入った。
「由喜ちゃんとチューしたいのは私も一緒ですから。抜け駆けは許しませんっ!」
そっちかよっ!
危うく声を上げて突っ込みそうになった。
「やはり
「本当にダメな男よねぇ~っ! 帰って来たら吊しちゃおっ! 裸にして一晩中外に吊るしちゃえっ!!」
ビールのジャッキー片手に、怪気炎を上げて盛り上がる方々。
あかん。
これは話が出来る雰囲気じゃない。
そっとその場を離れ、自分の席へと戻った。
「由喜ちゃん、お帰りぃ~」
娘が銀フォークを振ってお出迎え。
「何か判った?」
俺は溜息を交えながら首を左右へ振った。
「完全に出来上がってた。ここへ来る前に、日本酒を一本くらい空けてると思う」
「じゃぁ、無駄足?」
「とりあえず元は取るさ」
目の前に置かれた前菜の品々。透けるくらい薄く切られた生ハムを口元へと運んだ。
「おっ! めっさ美味い」
絶妙の塩加減と、噛み締める度に広がる旨味。
「でしょっ!? 美味しいよねぇ~」
俺を真似るように木皿から最後の一枚をすくい上げた。
………待って。
これ、山盛りだった気がするんだけど。
「わたし、コレ大好き♪」
何度も頷きながらグラスの中身を飲み干した。
「すみませ~んっ! お代わりください。同じ物で♪」
陽気な声で空の容器を店員へと差し出す娘。
最初、あれだけ参加を渋っていたクセに………。
プレート上に辛うじて残るミラノサラミとスモークチーズを、自分の取り皿へと確保。
うん………。サラミ脂身と黒胡椒が絶妙。
チーズの燻製具合も申し分ない。
これでビールが飲めないって、どういう拷問だよっ!!
このお店は、エールビールが絶品なのになぁ。
悲嘆を込めて深々と息を吐き出した。
「どったの由喜ちゃん」
娘は店員からお代わりを受け取ると、俺の頬を人差し指でブニッと押した。
「ビールを飲める人が
「未成年だもんねぇ」
うんうんと同意しながら飲み物で喉を鳴らした。
「お前…じゃなくて、春佳姉さん。さっきから何を飲んでるの?」
「梅酒サワーだよ♪ でもね、お父さんが作るのより甘くないの」
「だろうね。家のは氷砂糖をレシピの倍量入れて作るから」
「へぇ~」
知らなかったという顔でチーズを口へ放り込むと、再びグラスを傾けた。
「ペース、速くない?」
お代わりを受け取ったばかりなのに、もう半分以上減っている。
「これ薄いから大丈夫♪ 家で毎日飲んでるのは、もっと濃いし」
「そりゃ、ウオッカベースで………って、今なんて言った?」
「あ、忘れて」
ヤべぇ、という表情で、あからさまに目を逸らした。
「去年の梅酒。ヤケに減りが早いんだけど」
「ごめん。犯人わたし♪」
「可愛い声で自白すんな」
てっきり妻が飲んでいるとばかり思っていた。
「どうせ来年も作るんでしょ? 今度は梅代くらい出すからさぁ」
「酒代もな。いつから飲んでた?」
「えっとぉ、内緒♪」
会話している間も、グラスの中身を更にグイッと。
「その飲み方マズイって」
チェイサーとして飲みかけの烏龍茶を差し出した。
「大丈夫。まだ全然、大丈夫だからぁ~」
その言葉を口する奴は、
「おや、おや。春ちゃんグラスが空ですよ?」
よろしくない状況で、よろしそうに見えない義弟が、真っ赤な顔で急速接近。
「お代わりをご
面倒な事にコチラもかなり、きこし召していらっしゃる。
「あの、もう春佳姉さんは限界みたいで」
「わたし甘いお酒が良いなぁ~」
「かしこまっ!!」
待てやぁあああああっ!!
「井上さん、先にお水をお願いします。出来ればジョッキで二杯分」
「由喜ちゃんも、お水を?」
もう一つは、あなたの分です。
喉元まで出掛けた言葉を、グッと飲み込んだ。
「よろしければ、由喜ちゃんの分もお持ちしますよ? 春ちゃんと同じく甘い飲み物をご希望ですか?」
「適当に炭酸入り…をぉっ!?」
突然、伸びて来た二本の腕が、瞬時に俺の体を
「ダメですよぉっ! ウチの妹を誘惑したら」
保護者ですからと、人目から覆い隠すように抱き締められた。
「チューとかしたら、グラスで脳天を叩き割りますからっ!!」
先ほどの会話、しっかり娘に聞こえていたらしい。
「あぁっ! なんと美しき姉妹愛。この井上とても感動しておりますっ! 百合なだけにっ!!」
ダメだこの義弟。
福眼とばかりに目をキラキラ輝かせていやがる。
「では不肖ながら
クルリと回れ右をすると、義弟は千鳥足でフラフラと人の波間へ消え去った。
「由喜ちゃん。悪い大人はいなくなったから、もう安心して良いよぉ」
幼子へ語り掛けるように、優しく俺の耳元へ
「春佳姉さん。教えて欲しい事があるんだけど」
「どんな事?」
「今のお酒、何杯目?」
娘の顔色は普段と変わらぬように見えるのだが。
「ん~。そんなにお代わりしてないよ?」
この感じだと、三回くらいしてるな。
最初の一杯も換算すると最低でも四杯。そりゃ酔いも回るわな。
「はい、これ飲んで」
先ほど飲ませ損ねた烏龍茶を、強引に唇へと押し当てた。
「これ?」
「全部、飲むの」
「多くない?」
「しのごを言わず、飲め」
めんどいなぁと口元歪めながら、娘は渋々飲み干した。
だが、これじゃ足りない。元々半分くらい減っていたから。
水を取りに行きたいけど、席を離れるのは不安この上ない。
「ただいま戻りましたっ!」
振り向くと、テーブルの間を
助かった。これで何とか……。
「ご注文の甘いお酒、お持ちしましたっ!」
脱力のあまり、椅子からズリ落ちそうになった。
「井上さん、お水は?」
「あ………。スッカリ忘れておりました。誠に申し訳ございません。あとコチラが由喜ちゃん用の炭酸です」
「どうも、ありがとうございます」
憮然とした態度で義弟に礼をのべた。
「これ、甘くて美味しい♪」
隣では娘がご満悦。
「オレンジジュースのお酒、初めて飲んだ気がする」
はい? オレンジ?
それって、スクリュードライバーでは?
「春佳姉さん、あまり飲まない方が……」
「そう? すごく飲みやすいよ?」
だから危険なんだよっ!
半分くらいで強引に取り上げるべきだろうか。
「あら、あら、あら。春佳ちゃんって、お酒が飲める歳になったのね?」
更にご機嫌な人が、小振りのワインボトル片手に参戦。
「じゃぁ、このお酒も
「飲みますっ!」
目をキラキラさせながら、掘さんより受け取るワイングラス。
「大人になった春佳ちゃんに、乾杯♪」
「ありがとうございますっ! カンパイ♪」
娘の成人を祝ってくれるのは、素直に嬉しい事ではあるけれど。
「掘さん。その、蜂蜜みたいな飲み物って何ですか?」
「トロッケンベーレンというお酒なの。とろけるくらい甘くてボクの超お気に入り♪」
やはり貴腐ワインかぁ。
「めっちゃ甘ぁ~っ! 何これ、メープルシロップ? 信じらんないっ!!」
「あら良い飲みっぷり♪ どんどん飲んで良いのよ? これはボクの自腹だから」
「わぁ~い。遠慮なく、いただきますっ!」
お代わりと差し出す娘の右手。
「姉さん、それワインだから。ビール以上に度数が高いから」
それでお終いと、両手で腕を掴み押し下げた。
「あら? この子ったら、どうして知ってるのかしら?」
興味津々とばかりに首を捻る掘さん。
「耳年増なもので」
「実は隠れて、お酒を飲んでいるんじゃないの?」
先月まで堂々と飲んでいましたが何か。
「由喜ちゃぁ~ん。もうイッパイだけ飲ませてよぉ~」
娘の
「じゃぁ春佳ちゃんに、もう一杯だけ。これでお終いよ♪」
「わぁ~いっ!」
本当にこれで最後だよなぁ。
目の前で注がれる、トロリとした黄金色の液体。
本音を言えば、一口で良いから舐めたかった。
「それでは、春佳ちゃんの幸せを祈り、乾杯っ!」
「かんぱい~っ!」
「はい、乾杯」
皆が酒杯を掲げるなか、俺もノンアル炭酸で娘の前途を祝した。
「ちょい待ってやぁっ! 乾杯するなら俺も混ぜなアカンてぇっ!!」
異議ありとばかりに、主催の米内さんが酒瓶片手に笑顔で見参。
「もう打ち止め、打ち止めでぇ~っす!!」
声を張り上げるも、当然の事ながら効果はなく。
乾杯はこの後も延々と続いた。
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