第7話 憂鬱な即売会①


「おとん。サークル入場、間に合う?」

「この時間なら余裕だろ」


 キンと冷え切った真冬の空気。

 娘と二人、街灯の光を頼りに歩く。

 小型トランクケースから鳴る車輪の音が、キシキシと黎明の住宅街に鳴り響いた。

 頭上には雲一つなく、白銀の月ときらめく満点の星々。

 どうりで冷えるわけだ。

 風がそよぐ度、剥き出しの耳が凍えて痛い。

 もっとも雪が降らないだけ天に感謝すべきか。

 数年前の即売会、見事に降り積もったからなぁ。


「春佳、ちょっとストップ」


 先を行く娘に声を掛けると、立ち止まり両手を擦り合わせた。


「わたしの手袋、使う?」

「いや」


 それを俺に渡したら、今度はお前が困るだろ。

 気持ちだけ、ありがたく受け取った。

 家から駅まで歩いて十分の筈が、今日はやたら遠く感じる。

 背が低くなった分、歩幅が短いのだろう。


「お父さん。それ、わたしが引こうか?」

「ん…………頼む」


 少し悩むも素直に甘える事にした。

 背負ったリュックサックの重さで肩も痛い。

 いつもなら平気なのに、つくづくこの体が恨めしい。


「春佳。この先、俺の事は由喜と呼んで欲しい。お父さんだと不自然だろ?」

「判った」


 俺からトランクケースを引き継ぎながら、コクリと頷いた。


「じゃぁ行こうか、由喜ちゃん」

「うん。少し急ごう、春佳姉さん」


 新しい呼称で互いを呼び合いながら、再び足を前へと踏み出した。

 予定より数分遅れで駅に到着。

 跨線橋こせんきょうからホームへ降りると同時に、電車が構内へと滑り込んだ。

 ここまでは順調か。

 安堵しながら車内へ。早朝にもかかわらず、それなりに人が乗っていた。

 二人並んでシートに座る。発車合図。流れゆく車窓。いつの間にか東の空がオレンジ色に染まっていた。


「おと……じゃなくて、由喜ちゃん」

「春佳……姉さん。何でしょうか?」


 娘に引きずられ、うっかり呼び捨てしそうになった。


「降りるのは終点だっけ?」

「その二つ手前で乗り換え」


 今から約一時間の鉄道旅行。乗り換えや歩きも含めると約二時間。毎度、億劫おっくうな気分になるが、宿泊必須な地方参加者を思うと、あまり文句は言えない。


「わたしが起きているから、由喜ちゃんは寝てても良いよ?」

「いや、する事がある」


 そう答えながら欠伸を一つ。


「昨日、何時に寝た?」

「二時過ぎかな」


 値段表や看板の制作など、準備作業に思いのほか手間取った。


「まだ、サークルチェック、してないんだよ」


 知人への挨拶周り。一般入場の開始前に済ませたく。会場入りの前に、大体の目星を付けておきたかった。


「その格好で行くの?」


 怪訝そうに眉をひそめる娘。


「由喜ちゃん。どこのジャンルを回るつもり?」

「主に成人向け………」


 口に出して、ようやく春佳の意図に気付いた。

 どうやら睡眠不足で、思考が半分寝ているらしい。


「本当に行くの?」

「無理だな」


 今の姿は、どっからみても未成年の女子中学生。

 一般向けサークルにも知人はいるが、顔を合わせたところで相手が俺と気付くわけがなく。


「寝る。着いたら起こして」

「あいよ」


 妻から借りた帽子で顔を覆い、仮設した暗闇の中で目蓋を閉じる。

 車輪の軋む音を聞きながら、娘へ寄り添うに体重を預けた。

 即売会の楽しみ、半分くらい減ったなと思いながら。

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