第6話 憂鬱な来訪者②


「君は今まで、どこにいたのですか?」

「初対面の人に話す気はありません」

「私は君の事を心配しているのですよ?」

「気持ちだけで結構です」


 リビングへ場所を移しての家族会議。

 義弟の話振りは、まるで校長先生のようだった。そういや以前、職務で教官をしていたと聞いた気がする。


「陽子さん。義兄上あにうえは今、一体どこにいるんです?」

「それが、私にも判らなくて」


 返答にきゅうする妻。すまんなと心の中でびた。


「判らんじゃ、困るでしょう」


 携帯を取り出し操作する義弟。

 数秒後、廊下の奥にて呼び出し音が鳴り響いた。


義兄上あにうえ、スマホ置き去りですか?」

「財布も置き去りみたいですよ」


 聞かれるであろう事を、先取りして答えた。


「お兄ちゃん、失踪、蒸発って事?」

「世俗を捨て、仏門にでも入ったのでは」

「あなた、難しい事を知っているのね」

「どうも」


 妹に頭を下げながら内心で冷や汗をかいた。

 そうだった。今は女子中学生、という事になっていた。うっかり地が出そうになる。

 小説やシナリオを長年書いて来たが、役者や演技については一度も経験した事がなかった。


「これはもう義兄上あにうえが一番悪いっ! いわば諸悪の根源です。もともと責任感に薄い人でしたが、ここまで適当で人間的に劣るとはっ!」


 好き放題言ってくれる。

 舌打ちしそうになった。


「あの、ダメなのは判っていますが。実の父親をそこまで酷く言われるのは、嬉しくありません」

「これは失礼。私つい興奮してしまいました」


 まぁ、義弟の反応は当然ではあるし、正論ではあるのだが。


「すみません。トイレに行ってきます」


 一人逃げ出すように座を離れ、廊下へと抜け出した。

 そこにいるのが嫌……というわけではなく、目覚めてから一度も用を足していなかった。

 個室に入り、鍵を掛け、溜息一つ。

 下着を下ろし便座へと腰掛けた。


「まいったな」


 用を済ませながら頭を掻いた。

 情に厚い人ではあるが、ここまで義弟がヒートアップするとは。

 何となく理由は判る。元々、黒髪で、ロングで、儚い感じの………。


「……ん? えっとぉ。黒髪で、ロングで、背が低くて、知性的で、憂いを感じる儚い少女と。満貫確定か」


 指折り数えて納得。

 更にここへ、親に捨てられたを加えると、跳ねるなコレは。


「つまり、性癖に直撃したのか」


 トイレットペーパーを取り寄せながら一人納得した。

 いずれにせよ早く戻らねば。妻と娘がボロを出す前に。

 トイレを流し服装を整えた。


「面倒だなぁ、もう」


 最後に盛大な溜息を吐き出し鍵を開けた。


「あの……」


 扉の外に、小さな待ち人あり。

 姪の花美だった。


「ごめんね、待ってた?」


 ふるふると、お下げの髪が左右に揺れた。


「ハナはね。アニメがみたいの」

「そか」


 いつも遊びに来た時、姪に見せていた。

 この子にとって、大人同士の会話がツマンナイという理由もあるだろう。


「良いよ。コッチへおいで」


 自分の部屋へ案内した。

 先ほど、この子が扉を開けたのは、コレが目的だったのかも。

 そう思いながら、パソコンを立ち上げ動画サイトをクリック。


「花美ちゃんが見たいのは、この作品かな?」

「うんっ! これこれ。わたし、このつづきが、とってもみたかったの」

「そっかぁ」

「おねぇちゃん。どうして、わかったの?」


 不思議とばかりに上目使い。


「それは………。この動画を見た跡が、あったからだよ」


 普段おっとりしてるのに勘が鋭い。母親である妹にソックリだった。


「じゃぁ良い子にしててね」

「うんっ!」


 もう子供の目は画面に釘付け。

 では急いで部屋へ。

 そう思った矢先に、コチラへと近付く足音。


「お父さん、叔父様が呼んでる」


 娘が扉を開けるなり、そう言い放った。


「お前なぁ~」

「あ………」


 やべぇと口元を抑える春佳。


「おとうさん?」


 姪っ子が、耳に入った言葉をそのまま復唱した。


「春佳お姉ちゃんが、うっかり間違えただけだよ」


 頭を撫で、膝を立てた。

 部屋の扉を閉め、リビングへとって返した。肘で娘を小突きながら。


「私、一つ重要な事を聞き忘れておりました」


 部屋に入るなり、義弟からの問い合わせ。


「お名前を教えて戴けますか?」

「名前?」

「陽子さんや春佳さんも知らないそうで」


 そりゃ、そうだろうな。二人にとっては夫や父親のままだから。


「私の名前は、ゆき、です。名字は栗田です」


「え?」


 途端、義弟は目を丸くした。


「あなたのお名前。漢字は、喜ぶ由来と書いて、由喜ですか?」


「はい。そうですけど」

「なるほど」


 勢い良く義弟が膝を打った。


義兄上あにうえが書かれる小説に、同じ名前のヒロインがいたもので。そうですか、実の娘がモデルでしたか」


 感慨深く何度も頷いた。


 つい、名前を考えるのが面倒で、過去に書き上げた作品から名前を流用したのだが。

 まさか義弟がキャラ名を憶えていたとは。

 幹部学校、上席で卒業していた事を、今更ながらに思い出した。


「しかし困りましたな。義兄上あにうえには幾つかお願いしていた事がありましたので」

「うちの主人に、ですか?」


 もしよろしければと、妻が続きをうながした。


「実は年末に同人誌即売会がありまして。そのサークルチケットを本日受け取る予定でした」

「チケット?」


 ハッとするあまり、つい声が漏れた。


「はい。入場券代わりのチケットです」


 おぅ………

 そういや、そうだった。

 渡すと言って、すっかり今まで忘れていた。


「サークル入場用のチケットですよね。それなら、父の部屋で見ましたよ」

「なんとっ! 由喜ちゃんは即売会をご存知で?」

「えぇ、まぁ。今お持ちしますね」


 再びリビングから自室へ。本日、二往復目。


「お邪魔して、ごめんね」


 部屋で動画を視聴中の姪に謝りながら、モニター横の書類束へと指を伸ばした。

 この中に準備会の封筒が……あった。

 抜き取り、ミシン線から一枚切り出した。

 この際だ。

 あの件も義弟に押し付けよう。


「花美ちゃん、ちょっと良いかな」


 詫びながら再生中の動画を停止させ、ディスクトップ上のフォルダを叩いた。


「なにしてるの?」

「お仕事」


 目当てのテキストファイルを開き、内容を今一度確認。うん、これで良し。

 印刷ボタンを押し、プリンターの前へ。


「おねぇちゃん、すごいね。おじさんみたい」


 目を輝かせる幼子の頭を撫でながら、元通り動画を再生。

 二つの紙片を片手に、バタバタとリビングへ舞い戻った。


「必要なのは、このチケットですよね?」


 先ずは青色のサークルチケットを義弟に。


「はい。これです。日付も間違いありません」

「あと、コレも父の部屋にありました」


 出力したての用紙を、うやうやしく差し出した。


「日付から多分、大事な内容だと思ったので」

「あっ!? ベネットさんとこの宴会。今回は義兄上あにうえが幹事でしたか」


 即売会後、サークル恒例の打ち上げ。

 ベネットこと、米内さんから依頼されていた。


「恐らく父は、しばらく帰って来ないかと」

「ですね。今の状況では、不在を想定し動いた方が良いでしょう」


 そう呟きつつ、指差しながら紙面を一巡。


「流石は義兄上あにうえ。参加者名簿と、予約したお店の名前、時間、金額、電話番号………。これ、戴いてもよろしいでしょうか?」


 俺、妻、娘、三人揃って首を縦に振った。


「では、ベネットさんには、私から連絡しておきます」


 やれやれ。

 これで一つ肩の荷が下りた。

 今の姿では、どう考えても幹事役なんか出来っこないから。


「では皆さん。そろそろお腹も空いて来ましたので、一旦お開きとしましょうか」


 義弟が一本締めよろしく、両手をパンと鳴らした。


 お昼か。

 いつの間にか時計の針は、正午を大きく越えていた。


「由喜ちゃんは、何がお好きですか?」

「へ?」

「こうして出会えたのも何かのご縁です。一緒に美味しい物を食べに行きましょうっ!」


 ついでに話しを伺うパターンだ、これ。


「お誘いは嬉しいのですが、そんなに食欲がなくて」


 ここは全力で逃げたい所存なのだが。


「あら、遠慮しなくても良いのよ? みんなで食べた方が美味しいし」


 すかさず妹の美妙恵が、逃げ道を塞ぎに動いた。


「でも、人が多いのは少し苦手でして」

「由喜ちゃん。たまには外へお出掛けしても良いんじゃない?」


 よもや、妻が声を上げた。


「私と春ちゃんだけだと………ほら、答えられない事もあるし」


 そういう理由かよっ!

 気持ちは判るけどさぁ。


「事情は察しました。人混みが苦手でしたら個室を予約しましょう。何でもリクエストしてくださいっ! 焼き肉ですか? お寿司ですか? 本日の支払いは全て私が持ちます。ボーナスが出たばかりなので、何も問題はございませんっ!!」


 清々しい笑顔で義弟は宣言した。絶対に逃がしませんと意気込みを含めて。


「由喜ちゃん。諦めて行こ? わたし達も一緒だから」


 ポンと娘が肩を叩いた。同情心に満ちた眼差まなざしをコチラへ向けながら。


「じゃぁ、焼き肉で」


 厳重な包囲網の中、俺は渋々白旗を掲げた。






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