第5話 憂鬱な来訪者①


 子供の声が聞こえた。

 数人で賑やかに話しながら歩いている。

 朝早くから元気な事だ。

 そう思いながら目蓋を開けるも、どこか違和感。

 窓から差し込む陽光の角度。

 明らかに日の出はとうに過ぎ去り、太陽は頂点に差し掛かっていた。


 大きく深呼吸。

 覚悟を決め、自分の身を確認。

 やはり同じか。

 小さな手の平、細い指先。

 胸元には、乳房の膨らみが二つ。

 俺の身体は未だ、うら若き乙女のまま。

 あの日、座椅子に炬燵で寝たのが原因かも。そう思いダメ元で試したが、やはり駄目だった。

 とはいえ無意味ではない。

 トラブルの原因が不明な時は、可能性が疑わしい箇所を一つ一つ潰して行くのがセオリー。

 これで問題解決にまた一歩近付いた。

 誠に喜ばしい。

 憂いが有るとすれば、今の段階で出来る事を全てやり尽くしてしまった。

 見逃しがあるかもしれないが………。


「喉が、乾いたな」


 ペットボトルの封を開け、昨夜に飲み残した炭酸飲料に口を付けた。

 あの日の再現を忠実に行うとしたら、日本酒の四号瓶を一本空ける事になるのだが。

 どっから見ても未成年という、この体。

 急性アルコール中毒で倒れるのが目に見えていた。

 そもそも酒で性別が反転するのなら、世の中はもっと愉快な事になっているだろう。


 溜息。

 僅かに白かった。

 今日は、少し寒い。

 暖冬らしいが、室内はヒンヤリした空気に満ちていた。

 冬至は数日前に過ぎたばかり。炬燵に潜っているとはいえ、厚手の毛布を持ち込んで正解だった。


「おとん、入るよ」


 背後から娘の声。

 振り返ると同時に扉が開いた。


「どんな感じ?」

「見ての通りさ」


 両手を広げながら首を左右に振った。


「昨日、何時まで起きてたの?」

「夜明け前には寝た」

「原稿、進んだ?」

「まぁね」


 年末に開催される同人誌即売会。配布予定の新刊小説を、昨夜一気に書き進めた。今の調子なら充分間に合うだろ。

 サークル参加出来るのか、微妙な状況ではあるが。


「お母さんがねぇ。お昼どうするって」

「俺は何でも良いけど」

「食べに行く?」


 今日は休日。

 先日と違い、時間を気にする必要はないのだが。


「靴がなぁ」

「わたしのじゃ、合わない?」

「微妙に大きい」


 何度か借りているが、歩行中、油断すると脱げそうになる。


「新しいの買えば?」

「わざわざ?」


 いつ元に戻るか判らないのに?


「春佳が高校の時に履いてたバスケットシューズ。あれ、まだ持ってるよな?」

「有るけど、学校の指定靴だよ?」

「この際だから気にしない」


 靴紐であれば調整が利くだろう。


「ん?」


 リビングから響く電子の呼び出し音。

 妻が出たのか、すぐに途切れた。

 マンションの正面玄関より、誰かが我が家へ御用らしい。

 この時間となると。


「春佳、通販で何か買った?」


 来たのは荷物の配達だろう。


「ううん」


 私じゃないと左右へ揺れる髪。


「すると、陽子かな」


 そう思うも束の間。

 リビングから足音がコチラへ。

 俺、ネットで注文してたっけ?

 思い返すも記憶になく。すると、お歳暮だろうか。


「あなた大変っ!?」


 普段のんびり屋の妻が、珍しく血相を変え声を荒げた。


「井上さん達が今、下に来てる」

「はっ!? 美妙恵達が?」


 なぜ妹夫婦が、ここへ?


「とりあえず、正面玄関のオートロックは開けたけど。あなた何か聞いてる?」

「いや、特には……」


 待てよ?

 もしかしすると。

 指を伸ばし、充電器からスマートフォンを外した。


「コッチか」


 ショートメールの着信表示が点滅していた。

 通信関連は全部パソコンで済ませていたから、うっかり見落としていた。


「どうするの?」

「どうするって……」


 考えが纏まらぬうちに、玄関の呼び出しベルが鳴った。


「早いな」


 流石は義弟。体育会系公務員。さては階段を駆け上って来たな。


「追い返すわけにも、いかんだろ」


 買い物ついでに、ウチへ寄っただけだと思うが。


「俺は急用で外出中。そう伝えてくれないか?」

「私が?」

「頼むよ」


 手を合わせ頭を下げた。


「朝起きたら、少女になっていました………などと、あの二人に言えるか? 信じると思うか?」

「………判った」


 妻は小さく頷きながら、深々と息を吐き出した。


「春佳もサポートよろしく」

「まぁ、良いけど」


 義弟の事だから、お昼を一緒にという展開になるだろう。


「おとんは?」

「この部屋で籠城するしかあるまい」


 内側から施錠が出来たら楽なのだが、生憎とそんな備えはなく。

 制限時間一杯ですと、二度目のドアベルが鳴り響いた。

 妹が義弟に追いついたのだろう。


「もし外食という話になったら、後で請求してくれ」

「焼き肉とかでも?」

「構わない。俺の分まで食べろ」

「りょ~か~い」


 声をはずませながら扉を閉める娘。

 万に一つのために、内側からドアノブを硬く握った。


「失礼しますっ!」


 玄関の金属扉が軋むと同時に、元気はつらつな第一声。


「お邪魔します」

「おじゃましますぅ~」


 義弟に続き、妹と姪の元気な挨拶。一家仲良くご訪問。


義兄上あにうえは、まだ就寝中ですか?」

「それが急用みたいで、朝早く出掛けたの」

「あらま、それは残念至極」


 扉越しに耳を澄ませ、会話を盗み聞き。

 今のところは妻が無難に対応中。


義姉おねえさん。良かったら一緒にご飯を食べません?」

「良いけど。着替えるまで待っててくれる?」


 妹による昼食の提案。ここまで想定内。


「春ちゃん、リビングへ案内して」

「了解」


 遠ざかる足音。

 この分なら大丈夫だろう。

 まずはホッと一息。

 後は皆が出て行くまで、この場で待機なのだが。

 パソコンが起動したままだと危険か? メールの着信音が鳴ると目立つな。

 人気が遠ざかった今のウチにと、ドアノブから手を離し、終了ボタンを…………。


 背後の物音。

 ハッと振り向く。

 扉が僅かに開いていた。

 その隙間から、内部を伺う小さな瞳。


「こら花美。勝手に開けるのは、いけない事ですよっ!」


 声を上げながら近付いて来る大きな足音。

 やばっ!?

 慌てて手を伸ばす。

 だが、一秒遅かった。


「しらない、おねぇちゃんがいるよ?」


 指がドアノブに掛かる寸前、扉が大きく開かれた。

 駆け付けた義弟と見事に鉢合わせ。

 交差する視線。


「こ、こんにちわぁ~」


 咄嗟に笑顔で挨拶した。

 さわやかな明るい声で。怪しい者では、ありませんよとばかりに。


「ねぇ。おねぇちゃん、だぁれ?」


 姪っ子が、おっとりした口調で最も困る質問をストレートに投げて来た。


「えっとぉ。なんて言えば良いのかなぁ」


 えへへと照れ笑いを装うも、内心では恐慌状態。取りつくろう言葉が容易に浮かばない。


「春佳ちゃんの、お友達ですか?」

「えぇ、そんな感じです」


 義弟の勘違いに乗りかかる形で、コクコクと頷いた。

 よし、よし。

 何とかこの調子で、やり過ごせそう………。


「ちょっと待って」


 淡い期待を打ち砕くが如く、義弟の背後から一声飛んで来た。


「成義さん。その子、お兄ちゃんにソックリなんだけど」


 そう言うなり妹の美妙恵が、ずずいと割って入った。


「もしかしたら、春ちゃんよりも似てない? お兄ちゃんに」


 美妙恵ぇっ!?

 余計な事を言うんじゃねぇえええええええええっ!!

 妹へ怒鳴りたい気分をグッと堪えながら、辛うじて笑顔を継続。


「あ、確かに。どう見ても栗田家の血筋ですね。この顔は」


 納得するように何度も頷く義弟。

 奥では妻と娘が、アチャァとばかりに苦い表情を浮かべていた。


「陽子さん。この子は一体、どこの、どなたですか?」

「あの、その子は……」


 鋭い追求に、あたふたと答えに窮する妻。


「まさか、お兄ちゃんの子供?」


 畳みかける妹の美妙恵。


「それは、その…」


 なんて答えたら良いの? すがるような視線を妻は俺へと向けた。

 仕方ない。

 これ以上、負担を掛けるのは気が引けた。


「私は、栗田健介の隠し子です。そう言えば、納得して戴けますか?」


「なんとぉっ!? あの義兄上あにうえの?」

「マジで? 本当にっ!?」


 夫婦揃っての絶叫。

 仲睦なかむつまじい事で。

 この後の展開は容易に察しがつくのだが………。

 困ったな。

 奇異の視線にさらされながら、数分後に始まるであろう質疑応答に頭を悩ませた。

 小説を書く上で、多種多様なキャラクターを構築して来たけれど。

 隠し子なんて設定は、一度も考えた事がなかったから。


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