28 椿 親友
高校二年の春まで、椿には、友達と呼べる人がいなかった。周りとは、孤立しない程度には仲良くしていたけれど、特定の誰かと親しくなることはなかった。というより、無意識に必要以上に親しくならないようにしていたのかもしれない。
他人を信用できない、と言えばそれまでだが、そもそも自分以外に興味が持てなかったから。
小さい頃は少し違った。
自分がどう見えるかなんて考えず、みんなが優しくしてくれるから自分も優しくする。ただそれだけの、平和で幸せな世界だった。
けれど、小学校も高学年になると、周りが次第に変わっていった。男子も女子も異性を意識し出したのだ。
もしかしたら、心の成長が遅かったのかもしれない。周りの変化に気付いてはいたものの、上手く足並みを揃えることが出来なかった。男子であろうと女子であろうと、友達に変わりはなく、接する態度を変えようとは思わなかったのだ。
それが、他の女子には目障りだったのかもしれない。日々女性らしくなっていく容姿のせいか男子からは特別な目で見られることが多くなり、女子から嫉妬され、陰でいじめられるようになった。
男女関係なくみんなと仲良くしたいと行動すればするほど、男子からは変に好かれ、女子からは嫌われ、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。
そんな椿を慰めてくれたのは母親だった。
椿の美貌は母親譲りであり、母親もまた、若い頃は同じように悩んだのだという。
全員と仲良くするのは無理だと母親は言った。その代わり、美人として生きていくためのアドバイスをくれた。
「悠依、あなたは、とても美しいの。それをちゃんと理解して。そして、自信を持つこと。自信が持てないなら、持てるようにたくさん努力すること。そうしていれば、あなたを分かってくれる人が必ず現れるから」
そこから椿は、周りを気にするのではなく、自分を見つめ直すようになった。見た目だけではなく、勉強も運動も習い事も自分を成長させるために全力で取り組んだ。
努力するとそれが結果となって表れることが楽しくて、気づけば同級生達と仲良くするということに固執しなくなっていた。
むしろ、幼い椿は、友達と仲良くしたいと強く願っていたわけではなく、ただ平和で温和な空間そのものを求めていただけのような気がしてきた。
その頃には、椿を悪く言う人はほとんどいなくなっていた。男子からは変わらず好意を向けられたが、女子からも一目置かれる存在となり、いじめられることはなくなった。
クラスメートとは適度な距離で、また平穏を取り戻すことができたのだ。
こんな日々がずっと続けば良い。そのための努力なら惜しまない。椿は本気でそう思っていた。
異様にフレンドリーな女、立花ゆい子と出会うまでは。
「…なんで、空き教室?」
教室に入ると、ゆい子は気だるそうにすぐそばの机に軽く腰掛けた。
「…ゆい子と、もう一度ちゃんと話したかったから」
向かい合って静かにそう言っても、ゆい子は淡いピンク色に塗られた艶やかな自分の爪を眺めるばかりで、視線が全く合わない。
椿は、ゆい子を華から助け出したつもりでいたが、それは自己満足だったのかもしれないと不安になった。
「話すって?」
退屈そうに、それだけ尋ねるゆい子に、椿は迷いながらも口を開いた。
「…手紙のこと、ごめん。本当は、ゆい子に言われた通りだった。私も自分宛だって勝手に思い込んで、馬鹿みたいだよね」
『私こそ』
椿はゆい子からそんな言葉が返ってくるはずだと思い込んでいた。というより、期待していたのかもしれない。
けれど、実際は予想とは全く異なる答えだった。
「それだけ?」
「え?」
「私のこと下に見てるとか、大してかわいくないとか、色々言ってたじゃん」
「あ…うん、それも、本当にごめん。なんていうか、私、ゆい子に――」
嫉妬してたんだと思う、言い淀みながらも椿はそう白状した。
「嫉妬?椿ちゃんが、私に?」
「…うん。みんなと仲良くなれるゆい子がずっと羨ましかった」
今までそれを認められなかったこと。どうして心がもやもやするのかが分からずに、ゆい子の粗探しばかりしてしまっていたこと。自分の方が上だと思い込みたかったことなどを正直に話した。
そうすれば、ゆい子も今までのことを素直に話してくれるかもしれない。
あだ名の根回しから始まって、椿の評判を落とすようなことを裏で言ったり、椿に好意のある人を横取りしようとしたり、他にも挙げればキリがないほどの、ちょっとした嫌がらせの積み重ね。
全てではないかもしれないけれど、椿は気づいていた。けれど、それらをずっと見逃して付き合っていくつもりは最早なかった。
椿は、ゆい子も同じように反省してくれるのなら、全てのことを水に流し、もう一度友情関係を構築し直しても良いと考えていた。
「ふーん、そっか。なんだ、そうだったんだ」
しかし、椿の懺悔を聞いても、ゆい子はそう満足そうに呟くだけだった。
「じゃあ、分かったよ」
そう言って、ゆい子は右手を目の前に差し出した。
戸惑っていると、ゆい子が一歩踏み出してその手で椿の右手をぎゅっと握り、勝ち誇ったような笑顔を向けた。
「えっと…握手?なんでいきなり?」
「これで仲直り。ね?」
その瞬間、何か得体の知れない壁にぶち当たったような感覚に陥った。
ここからは、一歩も先に進めない。そんな、絶望に似た感覚だ。
椿はとっさに、大人のように微笑む。
「あ」
すると、ゆい子がじっとこちらを見つめてから、今さら善人ぶってこんなことを言う。
「…何か他にも言いたいことあるなら、言ってね」
ゆい子がそう言っても、もう何も伝えるべき言葉は浮かんでこなかった。
何を言っても、目の前の怪物には、きっと言葉は通じない。ならば諦めよう。手放してしまった方がよっぽど楽だ。
「え、別にないよ?そろそろ教室戻ろう」
廊下に出ると外の冷たい風が吹き抜けて心地良かった。
身が引き締まるような新しい季節が、今はなんだかとても心強い。
歩きながら椿は、ゆい子と出会ったばかりの頃に行った、遠足を思い返していた。
遊園地のお土産ショップを他の班員が見て周っている中、椿は店の外で一人、佇んでいた。
どうしても、ゆい子のオレンジ色の唇が気に障ってしょうがない。
あれは、私が先に付けていたもので、私がゆい子に教えたものなのに。
今日は結局、青み掛かったピンクのリップを付けてきたけれど、出掛ける直前まで悩んでいた。だから、ゆい子と同じオレンジのリップも椿のバッグの中に潜んでいる。
悩んだ末に、遂に選べなかったのは、それを付けた時の自分が好きになれないから。
このアプリコットのようなオレンジ色は大好きなのに、自分の唇に乗せた瞬間にいつもなぜかその魅力を失う。
それなのに、ゆい子の唇に乗ったオレンジは椿が魅力を感じたままの生き生きとした発色をしていた。
ため息を吐いて視線を少し離れた所に移すと、自分と同じようにポツンと佇む金属の四角いゴミ箱が目に留まった。
あそこに、あのゴミ箱に、この心のモヤを捨ててしまえればいいのに。
その瞬間、椿はバッグから自分のオレンジリップを取り出した。
そして、それを握りしめてゴミ箱の前まで向かうと、本能のままにリップをゴミ箱の口に放り込んだ。
カンッ。
金属の鋭い音が、ゴミ箱の中で響いた。
その時、椿の心の中でも何かが弾けるような感覚がした。それと同時に、清々しい高揚感が込み上げて来る。
こんなことで良かったんだ。
例え、合わなくても自分が気に入っているならそれで良いと思っていた。
もちろん、それでも満足出来るならそのままでいい。
だけど、満足出来ないのなら、むしろそのせいで苦しい想いをするのなら、いつまでも持っていないで捨てたって良いんだ。
椿は、ゴミ箱を後にしながら微笑んだ。
教室の後ろから二人でこっそり入室すると、すでに授業は始まっていた。
安田はすぐに気がついたが、特に咎めることもなくそのまま教科書を読み続ける。
椿が席に着くと、教室の入口近く、黒板の右横にあるゴミ箱に目が行った。
頭の中でゴミを丸めて、それをその箱目掛けて投げ入れるイメージをする。
さようなら、私の親友。
やっぱり、あなたではなかったみたい。
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