10月18日(月)
27 ゆい子 親友
小学生の頃、ゆい子は唐突にこの世が理不尽なことを知った。
その時まで、素直で明るくて活発でリーダーシップもあったため、ゆい子は間違いなくクラスの中心にいた。
毎年の学芸会では、常に主役を演じていた。ゆい子が立候補すれば、反対する子はいなかった。
周りの子は、ゆい子ちゃん以外に適任はいないと言ってくれていたし、両親もゆい子が一番かわいいから当然だと笑ってくれた。
しかし、小五の夏、風向きが変わり出した。
ベルギー人とのハーフの女の子が転校してきたのだ。
ふわふわの金髪に真っ白な肌、ほんのりピンクのほっぺ。メイクをしていないのにしているかのような、はっきりとした目元が印象的な美少女だった。
その子は見た目の派手さとは反対に、少し恥ずかしがり屋で優しく女の子らしい性格をしていたが、すぐにみんなと打ち解けた。
その子自身は控えめで目立つことを避けているように見えたが、女子は常に羨望の眼差しでその子を持てはやしたし、男子はたまにその子をからかうこともあってもその子が笑うと釣られて笑顔になった。
そして、その年の秋、学芸会の演目が決まると、主役のシンデレラはあっけなくハーフのその子に決まった。ゆい子はもちろん立候補し、その子は他の子による推薦だったが、クラスの投票による人気の差は歴然だった。
その子は、毎年主役のゆい子が適任だと最後まで訴えたが、周りはゆい子ではなくその子がいいとはっきり主張した。
実際、その子の演技は全く上手くなかったのに、本番の周りの評価はものすごく高かった。
その子の見た目は、あまりにもプリンセスだったのだ。
その学芸会をきっかけに、その子は自信を付けたのか表情が前より明るくなり一層輝いて見えた。
そして、あっという間に名実共にクラスの中心人物となった。
ただ、見た目が美しいと言うだけで、大した努力もせずに、日常生活でさえもゆい子から主役の座を掻っ攫っていったのだ。
そこからの小学校生活はゆい子にとって地獄のようだった。
ゆい子の周りにいた子たちは、手のひらを返したようにその子に纏わりつくようになった。多少傲慢なところがあったゆい子の、陰口さえも叩くようになった。
素直で明るくて活発な凡人が何をしても、自信を手にした美少女には敵わなかった。
だから、中学からはやり方を変えることにした。容姿の研究は言うまでもなく、周りが何をされたら嬉しいか心に残るかを常に考えて、懐にうまく入って愛されるように全てを計算して行動した。
幸い、ハーフの子ほどの美女に出会うことはなく、ゆい子には平穏の日々が続いた。
そして、高校でも同じようにうまくやれていたのに、二年の春、出会ってしまった。
ただただ、見た目が良すぎる女、椿悠依と。
また主役を奪われる。そんなことは、絶対に嫌だった。絶対に。
薫の偽物がいると判明した数日後、校内に不審者が侵入したという情報が入り、生徒達にも緊張が走った。
ある夕方、長年勤めているベテラン警備員が、見たことのない顔だと怪しんで声をかけると、逃げようとして取り押さえられた女がいたのだ。
その不審者は、他校のOBで、サッカー部のマネージャーをしていた女だった。
卒業してからも、時折、出身校のサッカー部の手伝いをしていた女は、練習試合で訪れたこの高校で具合が悪くなったところをたまたま耀太に助けられた。
その一度の接触だけで耀太に一目惚れをし、次第にストーカーに成り果てたのだった。
ゆい子と椿の証言で、あの雨の日に出会った女と、不審者のその女は同一人物だと分かった。さらに、女はこれまでに何度か在校生を装って校内に侵入していたことが、複数の生徒の目撃証言から明らかとなった。
耀太は、この女のことをうっすらとしか記憶していなかった。
女は、校内やバイト先で耀太を盗撮をしたことは認めたが、あの手紙への関与はなぜか否定したようだ。
「つーか、ストーカーとかさ、マジ恐くない?」
華がトイレの鏡で前髪を直しながら、隣りで化粧直しをする奈緒子に話しかけた。
「いや、ホラーでしょ。学校まで入ってくるとかガチ過ぎ。耀太、大丈夫かな?」
「だーいじょうぶっしょ!耀太だもん、ストーカーとか慣れてるわ」
まあね、と奈緒子は心配そうに頷いた。
「あ、それよりさ、ゆい子と椿、何か知ってるっぽくなかった?警察に聞かれたらしいし」
「それ!ゆい子に聞いたのよ。そしたら、関係者以外には言えないだってさ」
関係者って、と言いながら、奈緒子は眉を寄せて乾いた笑いを浮かべた。
「ガチ?つーか、あいつ、最近うざくない?」
「分かる、マジうざい」
「前からうざいけど、何か最近特によな。椿にでもなった気でいんの?」
「分かる!急にモテ女みたいな雰囲気出してきたよね」
華が、ブスはブスなのに、と付け加えると二人は声に出して笑った。
「ゆい子ってさ、いろんな子と仲良くしてるつもりなんだろうけど、実際、嫌われてない?」
奈緒子が笑いすぎて滲み出た涙を拭いながら、華に同意を求めた。
「マジで?やっぱ、あたしらだけじゃなかったんじゃん」
「結構色んなとこでゆい子のことディスってんの聞くよ。佐伯千尋とか」
「そりゃそうだろ。あんな作ったキャラの女、信用できんわ」
「あとさー、地味系の女子に話しかけるのもわざとだよね」
「あー、片岡とか?『地味子にも優しい私』を男の前でアピるやつね」
ふいに、二人の後ろで、トイレの個室のドアが開いた。
「でも男はなぜかそういうの見抜けない――」
奈緒子が鏡越しに、個室から出てきた女子になんとなく視線を移した。
そこにいたのは、ゆっくりと向かってくるゆい子だった。
「あー本当、男ってバカだよね。でも、あんな女に近づく男とか大した男じゃないでしょ」
奈緒子は、ゆい子の存在を視線で知らせようとしたが、華は自分の化粧ポーチに視線を落としていて口は止まらない。
「それにさ、もらったとかいうラブレターも結局――」
色付きリップを取り出して顔を上げた華に、奈緒子が改めてゆい子がいる方向を知らせる。
すると、やっと異変に気付いた華が後ろを振り返った。
ゆい子は、華と奈緒子のすぐそばの洗面台まで来ると、無表情で手を洗い、ポケットから取り出したタオルで手を拭っている。
華は気まずい顔でその様子を眺めていたが、思い直したようにゆい子に声を掛けた。
「なんだー、ゆい子いたんだ。もしかして、うんこ?」
ゆい子は、そのままトイレから廊下に出た。
「は?シカトかよ」
華は呟きながら早足で後を追うと、ゆい子の肩を掴んだ。
「ねぇ!!聞こえてんでしょ?」
反動で後ろへ向き直ったゆい子は、黙って華を見上げる。華の後ろから、奈緒子も顔を出した。
廊下を通る同級生達は、向かい合う女子のただならぬ雰囲気に、振り返って様子を窺った。
視線を落としながら、ゆい子がか細い声で、何?と聞くと、華はにやにやと笑った。
「あの“Y.T”ってさ、“立花ゆい子”だったりして。自作自演なんでしょ?」
「…違うよ」
「えーだってー、最近、耀太にめっちゃ付き纏ってたじゃん。あのラブレターってストーカーからだったんでしょ?ってことはお前じゃね?」
否定したゆい子の小さな声をかき消すように、華が言い放った。後ろにいる奈緒子がくすくすと笑う。
「…違うってば」
ゆい子は、たったそれだけの言葉を言うだけなのに、なぜか声が震えて大きな声が出ない。
「は?聞こえないんだけど」
華は、黙っているゆい子に追い打ちをかける。
「あんたさ、あたしの元カレにもちょっかい出してたよね?知らないとでも思った?全部聞いてたから。あいつ、裏であんたのことブスビッチって呼んでたからね」
周囲がざわざわし始める。
ねえ、やばくない?先生呼ぶ?
そんな声が華の耳にも届いていたはずだが、話をやめようとはしなかった。
「別れたの、あんたに全く関係ないから。あいつがあんたみたいなブスになびくとかあり得ないっしょ。あたしが別れたって言った時、あんた哀れむような顔してたよね。あたし笑いこらえるの必死だったんだからね」
ゆい子の瞳には自然と涙が込み上げてきた。溢れそうになるのを必死にこらえる。遠巻きに集まっている同級生の中には、ゆい子に最近告白して来た男子もいる。けれど、止めに入ってくる様子はなく、携帯のカメラをこちらに向けて、周りの男子と笑っている。
「どうしたの?得意のぶりっ子で、その辺の男に泣きつけば?」
その時、誰かが人並みを掻き分けて近づいて来た。中庭側の窓から入った風で長い髪をなびかせて、ランウェイのようにゆっくりゆい子の元へ歩いていく。その場に居合わせた生徒が次々に振り向いて、その様子を目で追う。
「ゆい子」
驚いて振り返ると、そこには椿が立っていた。すると、椿はゆい子の手を引いて、二人は階段の方へ消えていった。華でさえも、それを止めることはできなかった。
「…なんで、空き教室?」
四階まで上がると、授業で使う予定のなさそうな教室に着いた。
室内に入ると、ゆい子は手持ち無沙汰にすぐそばの机に軽く寄り掛かる。椿は扉を閉めてから振り返ると、静かに質問の返事をした。
「…ゆい子と、もう一度ちゃんと話したかったから」
椿とは一度口論になったが、耀太やストーカーの一件があって冷戦状態だった。
その後も話さない訳ではないものの、関係はギクシャクしたままだったのだ。
だから、話というのはそのことを言っているのだと、ゆい子にはすぐに分かった。
けれど、華に詰められた直後の惨めさと恥ずかしさが、ゆい子を素直にさせるのを阻害した。
「話すって?」
「…手紙のこと、ごめん。本当は、ゆい子に言われた通りだった。私も自分宛だって勝手に思い込んで、馬鹿みたいだよね」
ゆい子と向かい合って立ったままの椿は俯いてそう言った。
「…それだけ?」
「え?」
「私のこと下に見てるとか、大してかわいくないとか、色々言ってたじゃん」
結局、椿も華も周りの女子も男子もみんな同じだ。
容姿で軽んじて、都合の良い時だけ利用してすぐに去っていく。
でも、例えそうだとしても、椿が華達から助けてくれたのは事実だ。素の自分でいても離れないでいてくれるかもしれない。
椿だけは信じてみても良いかもしれない。だから、ちゃんと信じさせてくれるようなことを言ってほしい。
「あ…うん、それも、本当にごめん。なんていうか、私、ゆい子に……嫉妬、してたんだと思う」
言い淀みながらも椿はそう言った。嫉妬していたのだと、確かにそう聞こえたが、理解が追いつかない。
「嫉妬?椿ちゃんが?私に?」
「…うん。みんなと仲良くなれるゆい子がずっと羨ましかった。ゆい子の周りに人が集まってくるのは思いやりがあって愛嬌があって…かわいいからだって、本当は分かってたはずなのに。私にはしたくても真似できないことだから、それを認められない自分がいて。ゆい子の粗探しばかりして、見た目だけで判断して…自分が上だって思い込みたかったのかもしれない」
椿は、恥ずかしそうに、でも包み隠さずにそう話した。
元々、軽々しく嘘を付くようなタイプではないけれど、その言葉は心の底からの本心なのだという気がした。
「ふーん、そっか。なんだ、そうだったんだ」
ゆい子は、思わず笑みが溢れそうになって、下を向いて真顔に戻す。
今まで、椿のようになりたくて、でもなれなくて、嫉妬という言葉では表しきれないほどの煮えたぎる感情に振り回されていた。
けれど、当の椿も案外似たようなものだったのかもしれないと思ったら、急に肩の力が抜けていく。
「じゃあ、分かったよ」
そう言って、ゆい子は右手を目の前に差し出した。
椿が戸惑っているのもお構いなしに、ゆい子は立ち上がるとその手で椿の右手をぎゅっと握り、晴れやかな笑顔を向けた。
「えっと…握手?なんでいきなり?」
「これで仲直り。ね?」
すると、椿は大人みたいに微笑んだ。
「あ」
つい、ゆい子の口から言葉が漏れた。
以前から、椿がこうやって笑うことは度々あった。
それは、何か言いたいことがあるのに言わずに我慢している時なのだとゆい子は理解していた。
けれど、椿はその何かを簡単に明かしてくれるような性格ではないし、それを無理矢理言わせるのも違うと感じていた。そもそも、それが何であるかをそこまで知りたいとも思っていなかった。
けれど、ほんの少し踏み込んでみても良いのかもしれない。
首を傾げる椿に、ゆい子は言葉を投げかけた。
「何か他にも言いたいことあるなら、言ってね」
「え、別にないよ?そろそろ教室戻ろう」
「…そうだね」
椿と二人、廊下に出ると外の冷たい新鮮で無機質な風が身体をかすめてゆい子は身震いした。
その風の匂いで、やっと新しい季節に切り替わるような予感がする。
ゆい子は隣を歩く椿の横顔を見た。
相変わらず息を飲むほど美しい。けれど、これまでのような苛立ちは、不思議と感じなかった。
こんなことで良かったんだ。
本当の親友というのは、こういうふとしたタイミングで出来るものなのかもしれないとゆい子は思った。
しかし、この場で椿を問い詰めなかったことを、後々、ゆい子は後悔することとなる。
椿が大人っぽく笑う仕草、それが本当は何を意味しているのかを理解するには、この時のゆい子はあまりにも愛が重すぎた。
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