18 耀太 お決まりのピリオド
ガサガサと小波のような音を立てて、生い茂るイチョウの枝が揺れる。それとほぼ同時に冷たい風が乱暴に髪や制服をなびかせて去って行く。
耀太達を見下ろす無数の葉は、半数程が黄色く色付いていた。あと数日したら、今立っているこの辺りも一面黄色の絨毯になるのだろう。
公園の入口近くに木製のベンチがあった。
二人で座るには少し余裕があるくらいの、細長い板が少し隙間を空けて縦に何枚も連結されている。背もたれから座面に掛けて緩やかなカーブを描いて、それに沿って鉄製の肘置きと脚がしっかりと固定されている。
こういう、ベンチだった。
ふいに耀太は心の中でそう呟いた。
深緑色で渦を巻くようなデザインの冷たい肘置きに、しがみついて嘔吐した記憶。
薄暗い公園で、一人ぼっちで。冷たくて硬く、全く寄り添ってはくれない鉄の固まりくらいにしか、身を委ねることは出来なかった。
直前まで誰かといた気がするのにその人はどこへ行ったのか。
あれは、いつの、どういった記憶だったか。
「ベンチ…座る?」
振り返ると、舞い上がる栗色の髪を手で抑えながら、機嫌を伺うような美咲の疲弊した顔があった。
「いや、ここで話そう」
イチョウの木の下を指差すと、美咲の口元がほんの少しだけ綻んで、何かを言いたげに唇が開いた。
学校からすぐ近くのこの公園まで、おそらく五分もかかっていない。けれど、そのわずかな時間でも、美咲にとっては疲労を蓄積するに値する時間だったのだろう。
美咲がいくら話しかけても、耀太は振り返ることなく一言も発しなかったから。
美咲のまだ見ぬ言葉を塞ぐように耀太は冷たく言い放った。
「美咲なんでしょ?」
そう言われて、美咲は見つめるだけだった。
「手紙。あと、付け回したり。あ、ストラップもそう?」
「…何のこと?」
「まあいいけど。そういう女だと思ってたし」
どういう意味?と聞いても耀太の横顔は美咲の方へ向こうとはしなかった。
少し離れたところで、小学校高学年くらいの男子が楽しそうに走り回っている。四人でサッカーボールを蹴って取り合ってはふざけ合う。あのくらいの頃は、薫と同じように遊んでいたことを思い出す。
「…耀太って、よく分かんない。何度も連絡したのに、どうして返事くれないの?」
美咲の手が自分の腕に伸びてくるのが分かって、それが触れる前に耀太はうまくかわした。
「あのさ、俺ら、別れたよね?」
「…別れてないよ?耀太が一方的に言ってるだけでしょ?私は、別れたくない」
同情を誘うような潤んだ瞳にうんざりする。
「美咲には決める権利ないよ」
「え?」
「あいつとヤっただろ。知らないと思った?」
「違っ!あれは…イッチーが無理やり…」
「俺、『あいつ』としか言ってないんだけど。イッチーだって分かるんだ」
美咲は動揺して、頭を横に振りながら、違う、と言う言葉を繰り返した。
「イッチーは無理やりするような奴じゃないよ。あいつ、俺に謝ってきたくらいだし」
「…私じゃなくて、イッチーのことを信じるの?」
足元にサッカーボールが転がって来た。遠くに視線を送ると、少年達が、すいませーんと叫んでいる。
右手を挙げて笑顔で合図を送ると、耀太は勢いよくボールを蹴飛ばす。ボールは柔らかく弧を描いて浮上し、一番手前側にいた少年の目の前にストンと落ちて転がった。
少年はボールを胸に抱え、ありがとうございまーす、とこちらに向かってお辞儀して仲間の元へ走って行った。
「じゃ、もう会うことはないと思うけど」
「違うの!待って、ごめんなさい!あの日、耀太にドタキャンされて、それで寂しくてつい…」
耀太が公園の出口に向かおうとすると、今度こそ腕を掴まれた。
「なに、俺が悪いの?」
「…違う。私が悪いの!絶対もうしないから!お願い、別れるなんて言わないで」
「俺、お前みたいな女、無理なんだよね」
「待って!待って、じゃあ…最後に…最後でいいから、キスして」
美咲は耀太の両腕にすがって懇願した。耀太は無言でそれを見下ろす。
「お願い!どうして、キスだけダメなの?どうして、一度もしてくれないの?最後くらいしてよ」
美咲のピンク色をした小さな唇が歪む。中心にいくほど濃くなっていく赤が、耀太には危険を表しているように思えた。
掴まれた腕をとっさに振りほどくと、美咲の目からとうとう涙がこぼれ落ちた。
それを見ても、耀太には何の感情も生まれなかった。
そのまま無視して歩き始めると、美咲が耀太に後ろから抱きついた。
信じてとか別れたくないとかいうありふれたセリフを必死に訴えて、周りの目などどうでも良いみたいに泣きじゃくる。
気づけば、離れたところにいる少年達はボール遊びを終えて、自転車にまたがって駄菓子を食べながら二人の様子をチラチラと窺っていた。
はあ。
小さくため息を吐いて、腰に回された華奢な腕を無言で剥がすと、美咲はついにその場に崩れるように座り込んだ。涙でマスカラやファンデーションが落ちてぐしゃぐしゃになった顔を見ると、普段のナチュラルメイクが全く『自然』ではないことがよく分かる。
その姿はとても醜かった。女はなぜこんなにも醜くて汚いのだろう。
吐き気がする。だけど、きっと、これが見たいんだ。
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