17 ゆい子 費用対効果

山崎と別れた後、携帯でSNS上の情報を次々に指でスワイプしながら、駅のホームで電車を待つ。

はあ。無意識の内に自分の口から吐息が漏れる。


「…つまんな」


ため息に続けて、言葉もポツりと零れた。


そう、つまらない。

その言葉が今、一番自分の気持ちにしっくりくる、とゆい子は感じた。


山崎は椿に気がある。そのことに、前々から勘付いてはいたが、先程の反応でゆい子は確信した。

ゆい子には別に、山崎のことが気になるとか付き合いたいなどという気持ちは全くない。

けれど、山崎との仲の良さでいったら、椿よりも自分の方が上だという自負があった。


それなのに、山崎が未だに椿を気にする理由が分からなかった。

山崎の好意なんて簡単に自分に向けられると考えていた。

数週間前、あの時の、芦屋先輩の時のように。





「あ、ちょっと、そこの子!」


階段から降りてきて下駄箱に向かおうと、今まさに玄関ホールを小走りで横断しようするゆい子の後方から声がした。

一緒に帰る予定の椿を玄関で待たせているのでそのまま駆け抜けようかとも考えたが、周りには自分以外に誰もいないので渋々振り返る。


すると、中庭と校舎を隔てる透明なガラスの引戸の前に、三年生と思われる男の先輩が五人、座り込んで談笑していた。

その中で一番派手なオレンジ掛かった髪色をした先輩が手招きをしている。


「私…ですか?」


「うんうん、キミ!君さ、あの椿って子とよく一緒にいるよね?あ、名前なに?」


「はあ…立花ゆい子です」


「そっか、ゆい子ちゃんね。俺、三年の芦屋、よろしくね。あ、コイツらは俺のダチね」


芦屋がそう言うと、周りの先輩達が話すのを中断してゆい子に軽く会釈した。


「そんでさ、これ、あそこにいる椿ちゃんに渡してくんね?誕生日って聞いたから。なんか最近話題になってるパン屋のなんだけど」


半ば強制的に、ラッピングされた小さくて不透明な薄ピンク色をした袋をゆい子に手渡す。


「いや、自分で渡せよ」

「その見た目の奴だいたい行けるだろ」

「ごめんねー、こいつ意外とビビりで」

「ちょっと俺が渡してこよっかな」


「いいーから!外野うるせーな!そんでお前は出てこなくていいから」


笑いながら茶化す周りの声を一蹴してから、芦屋は、お願い、とゆい子に手を合わせた。

その必死さに、思わず了承してしまったゆい子は、すぐに椿の元に向かった。


「椿ちゃん、お待たせ」


正面玄関出てすぐのところで、椿はしゃがんで頬杖を付き、ぼんやり空を眺めていた。

その憂いと色気に満ちた横顔は、中庭の方から見たら絵画のように綺麗なのかもしれない。


ゆい子に気付くと、椿はパッと少女らしい笑顔に変化してすぐに立ち上がった。

おそらく無意識でガラッと変わるその表情はどれも美しくて、ゆい子にとっては凶器にすら感じられる。


一瞬で身長を追い越した椿を、ゆい子は潤ませた瞳で困ったように見上げた。それが今、自分に出来る精一杯の武装であるかのように。

そして、ラッピングされた何かを椿に渡そうとして、閃いた。


「これ…もらっちゃった」


「何これ?どーしたの?」


「今…あそこの先輩からプレゼント?されたんだけど…中身が…なんかね…」


言い淀みながら少し俯いたが、ゆい子はまた様子を窺うようにゆっくり上目遣いで椿を見上げる。


「…パン…ツ…かも?」


「え?下着?どの人?ゆい子の彼氏…とかじゃないんだよね?初対面?」


訝しい顔で遠くを睨む椿に、ゆい子は頷いて、あのオレンジの、と小さく呟いた。


「なんで受け取ったの?知らない人から下着なんて気持ち悪いじゃん」


「…でも、先輩だし。せっかくくれたし」


「…貸して。私が返してくる」


「え!?ちょっと、椿ちゃん?」


椿は校内に引き返して玄関で靴を脱ぐと、靴下のままホールに上がり先輩達の元に直進した。ゆい子は、その後ろから慌てて付いて行く。


「あの、こういうのやめて下さい。迷惑です」


あぐらをかいて仲間と笑っていた芦屋の目の前に辿り着くと、強い口調と冷めた表情で短い言葉を吐き捨てた。

戸惑って何も反応出来ずにいる芦屋の足元に、プレゼントを置くと、行こ、とゆい子の手を引いて校舎を後にした。


「ゆい子、もうもらっちゃダメだよ?一度もらったらまた来るから」


正門から出て少し経ってから、椿はゆい子にそう釘を刺した。


「そういうもん?」


「そういうもん!私も似たようなことされるから。駅とかで知らない人に」


「…ふーん」


「あの人は、一応身元は知れてるし、ストーカーとかにはならないだろうけど。でも、危ない人って本当にいるから。ゆい子は知らないだろうけど」


ゆい子は知らない。知る由もない。分かるはずがない。そんな経験がないから。そんなに言い寄られないから。そんなにモテないから。

椿の言葉の意図を汲み取る卑屈な連想ゲームを、ゆい子は早めに切り上げることにした。


「あ!私、教室に忘れ物しちゃった!先帰って」


私も行こうか、という椿の申出を断って、ゆい子は明るく手を振って今来た道を小走りに戻る。


ゆい子が学校に着くと、芦屋とその仲間がちょうど玄関から出るところだった。

芦屋は友達に肩を抱かれながら明らかにテンションの下がった表情をしている。


「あ、良かった!まだいた!」


「…あー、あれ?さっきの子だ」


ゆい子が駆け寄ると、芦屋は無理矢理笑おうと力なく口角を上げた。


「…芦屋先輩、さっきは椿ちゃんが…ごめんなさい。あの、椿ちゃんちょっと、別のことで機嫌悪かったみたいで。でも普段は良い子なんです。誤解してほしくなくて…えっと、本当にごめんなさい」


「え、別にキミが謝ることないよ。つーか、それ言いにわざわざ走って来たの?」


「あ…はい。先輩が心配だったので」


「えー…ありがと。つっても、オレら喋ったの初めてじゃね?」


「そんなの、関係ないです。好きな人に、あんな風に言われたら辛いって、私にも分かるから」


「あー…はは、なんか恥ずいな、オレ」


「先輩、手、出してください」


戸惑いながら芦屋が出した右手を、ゆい子は左手でそっと引き寄せる。

そして、その手のひらにパッケージに包まれた小さなチョコを1つ置いた。


「あげます。こんなんで傷は癒えないと思うけど…ちょっとでも元気、出してほしいです」


ゆい子が見上げると、芦屋は驚きつつも嬉しそうに、ありがと、と笑った。


「それじゃ、私はこれで」


満面の笑みで、芦屋と他の人達に会釈をしてから踵を返す。


―あの子やばくね。

―良い子すぎ。

―かわいい。

―天使。

―あの子にしちゃえよ。


そういった賞賛の言葉を背中に浴びながら、ゆい子は羽が生えたように軽い足取りで学校を後にした。

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