10月7日(木)

15 山﨑 節穴を疑う

五限目の授業が終わると、机の上に乗っている物全てをスポーツバッグに詰め込んで、山崎は後ろを振り返る。が、耀太の姿は見当たらなかった。

そのまま教室の中央に視線を移すと、席に座ったまま帰り支度をしているゆい子の姿が目に留まる。人をかき分けてその席に向かうと途中で目が合った。と思ったのだが、そのまませっせと支度を続けるのを見ると、気のせいだったのかもしれない。


「ゆい子ぉー、今日も行くっしょ?」


ラブレターのことは内密にと耀太に釘を刺されたので、すぐそばまで来てから、一応声を落として聞く。

周りの奴がチラッと振り向いた。これでも声がデカかったのだろうか。そわそわしていると、ゆい子が、うん、と弾けるような笑顔で大きく頷いた。

小さな手で鞄をぎゅっと握って華奢な肩に掛け、山崎を促しながら教室の出口に向かう。

山崎はてっきり、椿の席に向かうのかと思っていたが、彼女の姿も見つからない。

教室をぐるっと見回すと、視界の端で華が自分達を睨んでいるように見えたが、そんなことはどうでも良かった。


「椿ちゃんは?」


「今日は面談だって」


「えーそうなの?」


面談なら仕方がないが、今日は一度も喋っていない。肩を落としながら廊下に出ると、ロッカーの前に耀太の姿があった。


「あ!耀太いた!行こーぜーい」


他のクラスメートと話していた耀太は、迷惑そうに眉を歪めるが口は笑っている。分かってる、オレのこと嫌いじゃないんだよな。


「…本当、お前はうるせーな」


ほら、愛のあるツッコミだ。友達と別れた耀太がこちらに合流したので、肩を組もうとしたが拒まれた。ツンデレってやつだ。

その時ふと、耀太のリュックに違和感を覚えた。


「あ…れぇ?耀太、ストラップどーした?」


それは、今年、三年生が引退する時にサッカー部のメンバーでお揃いで作った物だ。それぞれの名前と背番号がプリントされたユニフォーム型の小さなぬいぐるみが付いている物で、耀太と山崎はそれを結構気に入っていた。山崎の物はこのスポーツバッグにしっかり付いている。


「え?うわ…マジか。なくしたかな?」


気に入ってたけどしょうがない、と耀太はすぐに諦めた。こういう所が、友人の山崎としては、なんだか寂しく感じる。

自分だったら、こんなに大事な物なら騒いで探し回って絶対に見つけ出す。耀太が、悲しんでいるけど感情を出せないだけなのか、本当に大したことないと思っているのか、どちらなのだろう。耀太とは中学の時から一緒だが、山崎からすると未だに謎が多い。


三階にあるこの教室から三人でだらだらと廊下を抜けて階段で一階まで下り、下駄箱のある玄関に着く。

その頃には、今日ファミレスでする予定だった内容のほとんどが話し終わっていた。


「やっぱ、結果は同じだよねー」


ゆい子は、山崎の隣の列で自分の下駄箱を開けながら声を投げた。山崎は、高岡と話した感じで、彼が差出人である可能性は低いと感じていた。それは、東尾に当たった耀太も同じだったようだ。

そして、椿とゆい子の話を聞いて、その可能性がさらにゼロに近づいたことが分かった。


「まあ、二人とも、多少立花と接点あるってだけで根拠があったわけではないし」


「そうだよねぇー。推理しようにもヒントが少なすぎるよ」


上履きからスニーカーに素早く履き替えて隣の列に顔を出すと、焦げ茶色の小さなローファーを床に置きながら、ゆい子はため息を吐いている。その奥から、同じく靴を履き終えた耀太がゆっくり歩いて来た。


「つーかさ、本当にゆい子にラブレター出した奴とかいんの?」


するとゆい子は少し驚いて山崎を見上げると、頬がぷーっと膨らんだ。


「ひっどい!それはさすがの私でも傷つくよ!」


すると、後ろにいた耀太が吹き出すのが聞こえる。


「さすがってなんだよ。立花ってそんな強心臓で有名とかだっけ?」


「え!?違うよ、誰が言ったのそんなこと!」


「誰も言ってねぇから!」


ゆい子は、天然なところがある。山崎が突っ込むと耀太がさらに冷静に追い込みを掛ける。


「強いて言えば立花かな」


「えー言ってないってば!」


男子二人はケラケラと笑い、ゆい子はもー、と言いながら否定するが、段々釣られて笑い始める。


やはり、高岡先輩が盛って話していたのだろう。山崎は少し安心した。あの人が語ったゆい子は、目の前で無邪気に笑っている純粋なゆい子とは違いすぎる。






――でもさ、あれは普通、勘違いするって。


山崎は、ふいに高岡先輩の言葉を思い出した。昨日、偶然を装って一緒に帰ることに成功したのだ。

そういえばゆい子と仲良いんでしたよね、と一言尋ねただけなのに、この男はゆい子との関係について饒舌に語り出した。何も怪しむ素振りはない。耀太が考えた彼氏の設定など不要だった。


「それは高岡サンがモテないからでしょ」


「おいこら!超お世話になってる先輩に向かって言うセリフじゃないぞ!」


「こっちがお世話してるの間違いじゃ…。で?何があったんですか?」


普段ならこの人の話なんて聞き流しているところだけど、今日はちゃんと聞いてやろう。山崎は冷静を装う。なぜなら、使命があるから。


「俺とゆい子ちゃんが去年の体育祭の応援団で一緒だったのは、知ってるだろ?」


「あれっすよね。学年縦割りのクラス対抗ですよね?つーか、高岡先輩、部活で忙しいのによく援団やりましたね」


「いやそれは…思い出だよ」


「思い出…ね。モテたかったんすよね」


「…まあ、それは、今はいいだろ?あのー、ほら、ペアダンス!な、一緒になったのをきっかけに結構仲良くなれたわけよ」


山崎がどうしても追い討ちを掛けたくなるのは、すぐにしどろもどろになる高岡先輩くらいだった。


「まあ、ペアとか、仲良くしとかないとしんどいっすもんね」


「いやいや、普通に意気投合したのよ。練習中も和気あいあいって感じでさ、かわいいねとか、めちゃくちゃ言っちゃったりして。あ、冗談ぽくだけどな」


「きもいっすね」


「…さっきから、何!?お前、聞く気あんの!?」


「あります、あります。はい、続けて」


たまに入るキレ芸も昔から変わらないな、と懐かしさすら覚える。


「はぁ、どこまでいったっけ。あ、そうそう。だから、普通に周りから見ても仲良い先輩後輩…というか友達?みたいな感じだったんだよね。でも本番前にさ、彼女、本性出してきたのよ」


高岡先輩は少女漫画の女子みたいに、わざとらしくきゃっと言いながら両手で顔を覆った。


「はあ」


「前のチームの演目を後ろから見てて、もうすぐ出番だなって時に、俺かなり緊張してきちゃって。隣にいたゆい子ちゃんに、心臓飛び出そうなんだけどって言ったわけよ。そしたら、あの子どうしたと思う?」


「どうって、ゆい子なら普通に…励ましてくれたんじゃないですか?」


「…はあ、ザキヤマよ。君は相変わらず若造だな。ゆい子ちゃんはさ、なんと、俺の左胸にそっと手を当てたんだよ。そして、上目遣いで俺を見つめて、『本当だ、ドキドキしてる』って」


高岡先輩がオカマ声で演じる女はとてつもなく気持ちが悪かった。


「は?それって、先輩の妄想入ってんじゃ…」


「事実だよ!事実!しかもここで終わりじゃないんだぜ。その後、彼女、何て言ったと思う?」


「またクイズ?分かんないっすよ」


「ふっふっふ。正解は、『私のも触ってみます?』だよ。きゃーーー!」


「は!?それ本当にゆい子!?」


思わず大声が出て、山崎は自分の口をとっさに押さえた。


「間違えるはずないだろ」


「…つーか、胸、触ったんですか?」


軽蔑の目を向けると、高岡先輩は残念そうに首を振った。


「それが…言われてすぐ本番始まって。でも、ゆい子ちゃんが、行こって俺の手を取ってさ、手繋ぎながら入場したんだぜ!?」


「あの、ゆい子が?」


「もー俺、違う意味で本番ずっとドキドキだったわ!それなのに…後日告白したらあっさり振るんだもんな。女心、全然分かんねー」


ゆい子はそういうことには疎いと勝手に思っていた。男女問わず好かれてみんなのかわいい妹みたいな存在で、高岡先輩が今話した小悪魔のような人物とは対極にいる気がしていた。


「ま、俺はすでに次の恋をしているから全然良い思い出なんだけどね!」


親指を立て、黒い肌に無駄に白い歯でにっこり笑う顔がうざい。だけど、それを見ることで、本来の目的を思い出すことが出来た。


「…ちなみに、ゆい子にラブレターとか出してませんよね?」


「ラブレター?なんで今更。わざわざもう一度振られたくねぇよ」


さすがの高岡先輩でも、それはそうだろう、と納得する。


「逆にゆい子ちゃんのことを教訓に、今度の恋は慎重にいくんだ。お前も頑張れよ!」




あの時、あの人がなぜか先輩風を吹かせてきたことを思い出したら、なんだかまた腹が立ってきた。

山崎は悔しいような苦しいような表情を浮かべていた。




「山崎?」


「…あ、ごめん。なんだっけ?」


「珍しいね、たっくんがぼーっとするなんて。まさか、睡眠不足?」


ゆい子が茶化すように、にやっと笑った。この子供みたいな表情に、山崎は安心感を覚える。


「山崎が睡眠不足なんてあり得ねー。部活と食事の時以外ほとんど寝てるくせに」


「は?今起きてんじゃん。ほら、目ぇ開いてますけどぉ?」


耀太とゆい子に、うぜーとか来んなとか言われるほど、山崎はふざけたくなる。二人が笑うから余計だ。このまま、なんてことない話を喋りにいつものファミレスに行くのだろう。そう思っていた矢先だった。


「耀太!」


それは、ちょうど正門から出たところだった。声のした方へ三人が一斉に顔を向けると、明らかに他校の、キャメル色をしたブレザーの制服を着た女子が立っていた。

いかにもお嬢様っぽい雰囲気の、華奢ですらっとしたスタイルの女の子。椿とはまた違う、もっとなんと言うか、女っぽい感じの美人だ、と山崎は感じた。

その子が、耀太の方ににじり寄ってくると、ゆい子はこちらにだけ聞こえるくらいの声で呟いた。


「え、ストーカー?」


山崎はゆい子の発した穏やかでない言葉に一瞬ドキッとしたが、その子に返した耀太の言葉に安堵する。


「…美咲。どうしたの?」


「耀太の知り合い?」


「あ、うん、友達。ごめん、先に帰って」


耀太のこの顔は明らかに作り笑いだ。何か訳ありなのだということを山崎は察する。


「おう、じゃあ、また明日!」


「え?だって、あのゆるふわセミロング…ちょっと、たっくん押さないでよ」


ゆい子には気になることがあるみたいだが、山崎が半ば無理やり駅の方向へ連れて行く。

これ以上詮索するな。耀太のあの笑顔はそういうことを意味している。

山崎は少し離れてから振り返ったが、耀太とあの子の姿はもう見えなかった。


「大丈夫かな、耀太くん」


「大丈夫っしょ。知り合いっつってたし」


「知り合いだからって、ストーカーじゃないとは限らないよ?」


「まあ、確かに。友達って感じではなかったよな」


「絶対元カノだよ。それがストーカーになったって不思議じゃないもん」


そんなもんかね、と考える。女子はすぐに恋愛と絡めたがるから。

山崎は、さほど多くない恋愛経験から、過去の女達の言動を思い返そうとしたが嫌気がさしてやめた。


「まあアイツ、女の子に優しいもんな」


「そうだよ、きっと優しさに付け込まれてるんだよ」


「……そっか、もしかしたら、耀太は突き離せないのかもな」


「え?」


「…耀太ってさ、小さい頃色々あったらしいんだよ。母親が出て行って色んな人が揉めたのは全部自分のせいだと思ってたって。耀太は当時の記憶があいまいらしくて、オレも薫さんから聞いただけだけど。でも、それがどっか引っかかってて、みんなに優しいし自分からは手放せないのかなって。…今、ちょっと、思った」


そんな話を耀太から聞いたことは当然なかったのだが、あんなに完璧に見える耀太がいつも謙虚…というより何かを諦めたように感じるのは、そういう生い立ちのせいだったのかもしれない、と山崎は思った。

と同時に、ずっと一緒にいるにも関わらず、耀太のことを何も分かっていない、何もしてあげられていない自分に無力さを感じた。

それを埋め合わせるように、耀太について知っていることをポツリポツリと思わず呟いていた。隣にいるゆい子に向けてというよりは、自分への戒めのように。

それが、ただの自己満足だと分かっていても。




その時、ふいに左手に柔らかい何かが滑り込んできた。


「は!?何!?」


驚いて、手に触れたものをとっさに振り払う。


ゆい子が、少し戸惑ったような憐れみを含んだ上目遣いで山崎を見つめている。今、触れたもの、というより握ってきたのは、隣にいるこの子の右手だ。


「え…なんで手!?」


「え、ダメだった?なんか、たっくん淋しそうだったから」


これは、ゆい子か?

さっき耀太に会いに来た女の子らしい女の子。山崎の脳裏には、なぜかあの子の姿が浮かんだ。


「はあ?なんで?」


「なんでって、なんで?」


ゆい子は純真無垢な表情で山崎の目を真っ直ぐ見つめる。


「いや、だから…。こういうのは好きな奴とかにするもんだろ」


「でも、たっくん、耳赤いよ」


「びっくりしただけだよ!お前、まさか誰にでもこういうことやってんの?」


誰というか、高岡先輩とか。もしかして他にも?


「そっか、たっくんは、椿ちゃんだもんね」


質問には答えずにそう淡々と述べた後に、ゆい子は山崎の様子を伺うように見上げて、にいっと口角を持ち上げた。

山崎は、少し怒ったように目を逸らす。


「ねー、椿ちゃんのどこがそんなに良いの?」


「は?いきなり何」


「えー、だって、集まっても、二人、そんなに話してないじゃん」


「…そんなの、一緒にいるだけで十分なんだよ。椿ちゃんと一緒にいて好きにならない奴なんていないだろ。あんなに綺麗で可愛いんだぞ?それに、めちゃくちゃ優しくて純粋で思いやりがあって友達想いで…しかも、料理上手だし!」


山崎が自信満々にそう言うと、ゆい子は吹き出した。

お腹を抱えて馬鹿にしたように笑う。


「なんだよ」


ゆい子が笑う理由が分からずに、山崎はまたムッとした。


「だって、たっくん、全然分かってないから。椿ちゃんって別に優しくないし、付き合ったら絶対面倒くさいよ?実は気分屋なとこあるし」


そう言った後で、ゆい子はまた、堪えきれないという感じで、ふふっと笑った。

普段使わない部分の脳が必死に稼働しているようで、山崎はほんの少しめまいがした。

いたずらっぽく首を傾げて笑ういつものゆい子の表情を、素直に受け取れない。


「…そんなこと、言う奴だと思わなかった」


「え?」


「なんでもない。オレ、こっちだから。じゃーな」


駅の改札を抜ける直前、ゆい子とは違う行き先のホームを告げて別れる。

階段を登りきって電車が来るのを待っていると、反対のホームの階段からゆい子が現れた。場所は少しずれているとはいえ、線路を隔てて向かい合った山崎には全く気づかず、伏し目でつまらなそうに携帯電話をいじり始める。

悪い意味であんなに大人びた表情のゆい子を目の当たりにしたことは、山崎の記憶にはなかった。


山崎は高岡先輩の言っていたことはもしかしたら本当なのかもしれない、と考え始めていた。

そして、ゆい子に纏わる今までの違和感が同時に押し寄せる。


ゆい子のことは、軽いノリで名前で呼び始めた。でも、それはオレだけじゃない。

クラスの女子だけでなく男子のほぼ全員がゆい子を、ゆい子だけを名前で呼んでいる。カーストとか関係なく、不良っぽいあいつらも、オタクっぽいあいつらも、普段無口なあいつも。

途中まで、確かに立花さんとか立花と呼んでいたはずなのにいつの間にか。思いつく限り、名字で呼び続けているのは、耀太と数人しかいない。

これは、『みんなの妹』がもたらす自然現象なのか、それとも。

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