10月6日(水)

10 ゆい子① 光は集まる

『外で集まろうぜ』

 

その連絡にゆい子が気付いたのは、四限目の授業が終わる直前のことだった。

スカートのポケットに振動を感じて、先生の目を気にしながら机の下で携帯画面を覗く。そのメッセージは山崎からだった。送り主の席をこっそり振り返って見ると、右手で小さくVサインをしている。


耀太の方を見ると、ゆい子と同じように俯いている。気づいたっぽい。思わず口元がゆるむ。椿はというと、最後まで先生の授業を真剣に聞いて、ノートに何かを書き込んでいた。

 

先生が特別なことを言ったわけでもないはずなのに、必死にノートに書き写す仕草をする人がたまにいる。それを見ると、自分が重要な何かを聞き逃したように思えて無性に焦りを覚える。

慌てて先生の言葉を頭の中で反芻してみるが、やはり重要なことは言っていなかったように思える。

あれは、一体何をメモしているのだろう。その瞬間は気になるけれど、おそらく大したことではないのだとすぐに決着を付ける。

きっとあの子の重要は私の重要とは違うのだろう。そう、ゆい子は思った。

 

授業が終わると、山崎はゆい子達に視線と手振りだけでわちゃわちゃと何かを訴えてから、一目散に教室を飛び出して行った。

残りの三人で指定された中庭に向かうと、四人で使えるテーブルのベンチに山崎が一人でどどんと座っていた。ゆい子達に気付くと、笑顔で大きく手を振って手招きをする。

 

昼休みの中庭はいつも混雑している。今日のような寒すぎない天気の良い日は特に。

中庭に設置されているテーブルとベンチは全部で六組あるが、早い者勝ちで普段はすぐに埋まってしまう。

それなのに今日、山崎が席を確保出来た理由は主に二つある。一つは単純に、運が良かった。もう一つは、四限目の国語が安田の授業だったから。

安田の授業は大抵、本人が疲れたからと言う理由で十分前には終わる。教師のくせに、授業で分からなかったところを聞きに行くとあからさまに面倒そうな顔をするし、行事の類は自主性を尊重するという建前で基本は生徒たちに丸投げ。

それでも、あまり干渉してこない所や適当な雰囲気が心地良くて、安田は生徒には割と人気がある。

 

「山崎君、ありがとう」

 

椿に感謝されると、山崎の顔は見るからに緩んだ。ゆい子が先に言った『ありがとう』はどこかに蒸発していったかのようだ。


椿は、姿勢良くベンチに腰掛けると、自宅から持ってきた新聞をテーブルの上に広げた。

四人で手分けして手紙の一文字一文字を新聞の文字と比べる。すると、手紙に使われているのは、去年の七・八月合併号から始まり、十月号、今年の二・三月合併号、四月号、そして先月刷られたばかりの九月号までの五部だということが分かった。


そういえば、この五部は自分も持っているものだということをゆい子は思い出した。華と奈緒子に連れられてもらいに行った時の記憶が頭の中にぼんやりと浮かび上がる。

新聞部の部室は、同じ目的で訪れた女の子達で溢れかえり、流行りの店のように賑わう。その中にいると、普段は人当たりのキツいあの二人も、ただの女子になっていた。

 

「あ、そういえば、ゆーみん新聞部だったよね。後で聞いてみようよ」

 

「ゆーみんって誰だっけ?」

 

ゆい子の提案に、山崎は首を傾げた。

 

「片岡優美ちゃんのことだよね。同じクラスの」

 

「山崎、この前ぶつかったじゃん」

 

椿の説明の後に、耀太が咎めるように付け加えると、山崎はやっと合点がいったようだ。

 

「あーー、あの人ね。…オレちょっと恐いから任せる。それより、昨日上がった有力候補はどーすんの?」

 

山崎に尋ねられて、耀太は考えながら話し始める。

 

「とりあえず、周りから情報収集組と、本人に探りを入れる組の二手に分かれる?本人に自白を促すのはあくまで最終手段として、立花と椿ちゃんは二人で周りから情報収集かな」

 

「ってことは、俺と耀太で本人直撃だな」

 

山崎が右手のガッツポーズでやる気を表す。

 

「直撃って…あくまでもさりげなくだからな?それに、男二人で押しかけるのは怪しすぎるから、ここも分かれよう。山崎は高岡先輩に当たって。仲良いだろ?おれは東尾に聞きに行くから」

 

「仲良くねぇけど。まあいいや、どういう風に聞けば良いの?」

 

「簡単だよ。立花の彼氏のふりして、嫉妬して気にしてるのを装うとかさ」

 

「かるぇ、えっ!?」

 

ゆい子から思わず変な声が漏れた。野兎が耳をピンと立てるように背筋を伸ばして見つめてみるが、耀太は顎に手を当てたまま淡々と話を続ける。

 

「例えば…立花と仲良いみたいだけど、実際どう思ってんの?みたいな」

 

「おー、おっけー!」

 

山崎は両手の親指を立てて、にかっと笑った。

なんかおれら刑事みたいじゃね?とはしゃいでいる。

 

「じゃあ、それぞれ行動して、また報告し合うってことで」

 

テンションの上がりきった子供を宥めるような落ち着いた声で耀太は言ったつもりだが、山崎のエンジンは掛かったままだった。

 

「わくわくしてきたー!そんで、腹減った!よっしゃ、もう昼食べて良いよな?」

 

「たっくんは今日カレーだもんね。その匂い、さっきからおいしそうだったんだよね」

 

ゆい子は、くんくんと山崎の弁当箱に鼻を近づける。

 

「え、なんで分かったの!?そんな匂う?密閉されてるから大丈夫だと思ったんだけど」

 

分かるよ、とにやっと笑い、今度は椿の方に鼻を効かせる。

 

「椿ちゃんは…ふんふん。山菜ごはんに鮭に…ほうれん草とひじきのごま和え…かな?なんか渋いね」

 

「え!?…そっか、渋いよね。自分で作ったんだけどな。なんか、恥ずかしい」

 

小ぶりな弁当箱の蓋をそっと開けて両手を合わせていると、山崎が身を乗り出して覗き込んだ。

 

「椿ちゃん、これ自分で作ったの!?すげーー!!うまそー!!」

 

「あー、でも、ほとんど夕飯の残り物を詰めただけだよ。朝は鮭と玉子焼きを焼いたくらいで」

 

椿は山崎に圧倒されながらも、恥じるように微笑んでから、箸で玉子焼きをひと切れ摘んで口に運んだ。

 

「いや、でもそれって夕飯も椿ちゃん作ってるってことでしょ?料理得意って言ってたもんね」

 

耀太も感心しながらそう言うと、椿は首を振りながら玉子焼きを飲み込んだ。

 

「親が仕事で遅い時に作るだけだよ。ただ料理が好きってだけで、得意なわけではないし」

 

「え、こんだけ作れたら得意って言っていいでしょ」

 

「そうかな、そう言ってもらえると嬉しいけど…私、結構渋い料理になっちゃうんだよね」

 

椿がさりげなくチラッと横を見ると、ゆい子は黙ってお弁当箱の中のオムライスを頬張っていた。

 

「オレ、和食も好きだよ!肉じゃがとか豚汁とかうまいよね!椿ちゃんが作ったら何でもまそう!」

 

目の前の大盛りのカレーをすくっていた手を止めて、山崎が目を輝かせる。

すると、椿はあはは、と声を上げて楽しそうに笑った。

 

 

 

個室から出て手を洗いながら、ゆい子は鏡に映る自分の顔をじっと見た。

目はぱっちり二重だし、涙袋もちゃんとある。鼻も口も整ってる方だ。でも、なんか、なんだろう。目が少し離れてる?それとも面長な輪郭かな。なんだかな。

ポケットから取り出したミニタオルで手を拭いて、もう一度鏡の自分を見てにっこり笑う。

うん、かわいい。大丈夫。

 

すると、鏡越しに個室のドアが開いて、椿がこちらに近づいてくるのが見えた。目が自然と彼女の動きを追ってしまう。憎いほどに綺麗。

椿は隣で手を洗うと、淡い水色のハンカチで水滴を拭いながらゆい子を見た。

 

「良いことでもあった?」

 

え?と聞き返すと、笑ってたから、と椿は微笑んだ。

 

「…椿ちゃんってさ、彼氏いるの?」

 

「いきなりどうしたの?」

 

ゆい子は、なんとなく、とだけ答えて椿のまつ毛を見つめ続ける。

長くて緩やかに上にカーブしたまつ毛は、椿が少し下を向くと瞳にしっかりと影を落とす。

それを見るたびにゆい子は、最近新調したばかりの自分のまつげエクステを虚しく感じる。どんなに自然を装っても、女子ならそれが地のまつ毛か、まつげエクステか、はたまた、つけまつげかの区別は瞬時についてしまう。

 

「いないよ」

 

「じゃあ、すきな人は?」

 

続け様の質問に、えー?と笑ってごまかそうとする椿をゆい子は逃がさない。

 

「その反応はいるんでしょ?」

 

「そんなのいないよー」

 

椿に質問を投げかけながら、一階のトイレを出て廊下を抜け、正面玄関の横の階段に差し掛かる。

すると、ふいに男の声で呼びかけられた。

この声の主は、先に教室に戻った耀太と山崎ではないことは確かだが、検討がつかないままゆい子は振り返った。

 

「あ…芦屋先輩!?」

 

「やほー」

 

少し離れたところから、先輩は気怠げに右手を振った。

ジャージのズボンを片側だけ折り上げている。上着のジャージはポケットに突っ込んだ左腕に適当にかけてある。

ゆい子より先に階段を昇り始めていた椿の存在に気づくと、先輩の右手は口角と共に静かに下がった。

 

「ゆい子、行こ」

 

椿の顔は見ていないが、歪めているに違いない、とゆい子は思った。冷たい口調がそれを物語っている。

 

「あ、待って、椿ちゃん。あの後ね、話してみたら良い人だったの」

 

腕を掴むと、椿はゆい子の手を握り返した。

 

「話したの?危ないよ、ああいう人はなるべく無視した方がいいよ」

 

「それもね、誤解だったの。あれ、パンだったんだって。私が聞き間違えちゃっただけみたい」

 

椿はゆい子の言葉を疑っている。自分を説得するために、今度は過去のどんなストーカー自慢を持ち出すのか。そう考えると、椿の次の言葉を待とうとは、ゆい子には到底思えなかった。

 

「とにかく大丈夫だから。私、ちょっと話してくるね」

 

先輩のもとに駆け付けると、周りの友達もゆい子を歓迎した。以前も一緒にいた先輩たちだ。午後の体育の授業が体育館でバレーのため、こちらの校舎にいるらしい。

 

しばらく、ゆい子達の方を見張るように眺めていた椿が、やっと階段を上がっていくのを確認すると、芦屋先輩があからさまに話題を変えた。

 

「あの子、相変わらず感じ悪くね?」

 

「…椿ちゃんのこと、悪く言わないでください。本当は良い子なんです」

 

「はあーー、ゆい子ちゃんは天使だな。オレはなんであんな外見だけの女がいいと思ったんだか」

 

ゆい子は困ったように微笑む。これは、椿から盗んだ技。

 

「…でも、やっぱり私が先輩と仲良くするの、あんまりよく思ってないのかな」

 

「なんで?あの子に関係なくない?」

 

黙って俯くと、先輩の友達が口々に勝手に推測し出す。

 

「あの子プライド高そうじゃん」

「あー、自分に好意あった人間が身近な女友達とすぐ仲良くなるっていうのはね」

「嫉妬じゃん!」

「なんか気に食わない、的なアレじゃね?」

「どうせ、男なんて全部自分の思い通りとか思ってんだろ」

「でもあんだけ可愛いけりゃ性格なんてどうでもよくね?」

「ヤらせてくんねーかな」

「ああいう女って大抵まぐろだけどな」

 

「ちょ、ちょっと。待って待って!本当に椿ちゃんはそんな子じゃないですから」

 

ゆい子は盛り上がる先輩たちの間に割って入って目を潤ませる。すると、芦屋先輩がゆい子の頭にポンっと手を置いた。

 

「ごめんごめん、ゆい子ちゃんの友達だもんな。天使の言うことは聞かないと」

 

天使は、小悪魔のように笑った。

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