9 耀太回想 オレンジと青
「立花ゆい子です。弱小バスケ部のマネージャーしてます。…え?あ、これから最強になるバスケ部ね。あはは、言ったね嶋ケン、約束だよ。えーっと、ごめんなさい、すきな食べ物は…あ、焼き芋と梅干です。昭和かよ、とかよく言われるけど、わたしおばあちゃんっ子だったから。オススメです。あと、なんだっけ。あ、ゆい子って呼んでください!みんなのこともこれを機にあだ名で呼ぶね?そうだ、こっちの超絶美人さんは名前も美人な椿ちゃんです。椿ちゃん、どうぞっ」
「もう、やめて、そんなんじゃないから。えっと、私は吹奏楽部です。好きな食べ物は、和食、です。料理が趣味なので、みんなのお家のおいしいレシピとかあれば教えてほしいです。よろしくお願いします」
耀太がゆい子と椿の二人とまともに話したのは、二年で同じクラスになってから三週間程経ったこの時だった。来月に控えた遠足で、一緒の班になったからだ。
後から聞いたところによると、他のクラスでは自由に班を組むことが多かったようだが、このクラスは違った。
一番早く班決めが終わるという理由で、担任の安田に半ば強制される形で名前順となったのだ。
クラス替え後すぐのこのタイミングでは、席が名前順なので、班ごとに事前準備をするために集まるのも楽だろう、とのことだ。
耀太は別に誰となろうが構わなかったので、初めて自分のクラスの担任になった安田の、そういう合理的な性格は嫌いじゃないと思った。
班全員、六人分の簡単な自己紹介が終わると早速、遠足でどこを回るかという本題に入る。
安田から配られた遠足概要のプリントによると、朝、学年全員で横浜マリンタワーの展望台からの眺望を堪能した後、班別行動を夕方まで行い、最後にまた集合して記念撮影という全体スケジュールが組まれていた。つまりは、昼食を含めた五、六時間を自由に決める権利が与えられたことになる。
幸い、この班のメンバーからは行きたいところややりたいことが次々に出て来たため、あっという間に事前準備は終わった。
この時間を通して耀太が感じたのは、椿が意外と気さくだということだ。
数日前の始業式の日は、教室内で椿が放つ異彩な美しさに、周りの男子はすっかり圧倒されていた。
完璧に整った容姿は間近で見ても欠点が見当たらない。
誰もが認める美女がいるという椿の噂は、一年の時から耀太の耳にもよく入っていたし、遠目から見かけたこともあった。けれど、この狭い室内で平凡な人間の中にいると、その異質さがより際立って見えた。
しかし、いざ話してみると、中身は至って普通の女子高生だった。と言うよりも、むしろ、“良い子”の類の女子だった。
自分から積極的に話すタイプではないけれど、誰かの提案は明るく肯定するし、冗談にはよく笑う。
けれど、それを上まわる立ち回りを見せたのが、ゆい子だった。周りの話をよく聞いて、適度に突っ込みも入れつつ、相手が話したいことをさりげなく引き出すための質問をする。なにより、終始笑顔。それも笑顔のレベルを状況に応じて変えている。
それが、耀太の目には少し不自然に映った。
「わー、きれーい!見て見て!ここから海と観覧車と船が全部見える。あ、マコチのカメラで撮ってよ!」
同じ班の戸塚誠が照れながら、綺麗な景色の前でポーズを取る女子三人の姿を、持参した一眼レフのレンズ越しに捉える。
カメラ好きは何も言わなくとも好き勝手に撮るだろうに、ゆい子が何かに付けてせがむので、戸塚はしょうがないなと言いつつも満足げな顔でシャッターを切る。
ゆい子と瀬尾ののかは、写真を撮るに当たって絡めた腕をそのままに、楽しそうに歩き出した。
ふいに、ののかが隣のゆい子の顔を覗き込む。
「ゆい子、今日オレンジリップかわいー」
「えー分かるー?これ最近のお気に入りなの」
「どこのー?」
「えっとなんだっけ、韓国コスメなんだけど……あ、男子達待ってる、行こ!」
次何乗る?とゆい子がみんなに尋ねるが、反応が鈍い。ジェットコースターやらコーヒーカップやら、先程から激しい乗り物にばかり乗っていたためだろうか。
部活のお陰で人よりは体力に自信のある耀太もさすがに少し疲れていた。
「あ!あれにしようぜ!」
長嶋謙太が急に走り出した。
遊園地と言えばこれっしょ、と指差したのは、お化け屋敷だった。
「きゃー!うっそ、やったー!実はあたしずっと入りたかったのぉ!」
ののかがみんなの手を引いて、お化け屋敷の前まで連れて行く。
「えぇー、のんの、お化け屋敷好きなの?怖くない?」
「大丈夫だって、ゆい子。怖かったら俺の腕掴んでいいし」
女の子らしい反応を見せるゆい子に、ののかではなく戸塚が応えた。
「本当?なら頑張ろっかな。え、みんな平気なの?耀太くんは?」
ゆい子は潤んだ瞳を満遍なく耀太にも向ける。
「俺はまあ、どっちでも。…椿ちゃん、大丈夫?」
先程から黙っていた椿が、考え込むように俯いていた。
みんなの視線が自分に向くまで、椿は耀太の言葉すら届いていなかったようだ。
「え、あ、ごめんね。あの…ホラーとか、ね、ちょっと苦手で」
声がわずかに震えている。ゆい子よりもよっぽど心配になる怖がり方だと耀太は思う。
「椿ちゃん、別に無理しないでいいよ。俺も入るのやめるわ。四人で行ってきてよ」
歩くタイプのお化け屋敷だし、ベンチで座っている方がよっぽど休憩できそうだ。
それくらいの気持ちで耀太は言ったのだが、他の班員はそう捉えてはくれなかったようだ。
「椿ちゃんも苦手なの!?なんだ、良かったー!同志がいたら心強いよー。私も頑張るからさ、せっかくだし一緒に入ってみようよ、ね!?」
さっきまでのか弱さはどこへやら、ゆい子が真っ先に椿を鼓舞する。
「そうだよ、椿ちゃん!ほら、俺の腕掴んでたら平気だって!」
「あれぇー?マコチ、さっきはゆい子に同じこと言ってなかった?」
「そうそう、こんなチャラ男はほっといて、俺が椿ちゃん守るからさっ」
長嶋が腰を落として両腕を広げ、バスケのディフェンスの様な仕草をして、みんなを笑わせる。
結局、椿が折れる形で全員でお化け屋敷に入ることになった。
薄暗い室内に入ると、おどろおどろしいBGMが流れると共に、少しだけ空気が冷たく変わった。何か不穏なことが起きそうだと思わせるのに十分な演出だ。
しかし、進んで行くと、作りはごく普通のお化け屋敷で、出口まで行くのはそう難しいことではないと耀太は感じた。
それでも、ゆい子はわずかな仕掛けにも驚いて悲鳴を上げては男にすがる。それとは対照的に、椿はなるべく下を向いて耳を塞ぎながら、恐怖を押し込めるように、言葉すらも封印したかのように歩みを進めていた。それを護衛のように囲みながら、男二人が椿の様子を気遣う。
出口までおそらく残りわずかのところに差し掛かり、女のすすり泣くような声が聞こえてきた。
「え、なになに?ちょっと、これが一番怖くない?」
ホラー大好き少女ののかが、ここに入ってから初めてわくわくしたような声を出す。
しかし、すぐに判明したその正体は、残念ながらゆい子だった。
「えー、うそでしょ、ゆい子泣いてんの?」
思わず笑うののかとは対照的に、動揺した男達は椿を手放してゆい子をしっかり守りながら出口へと急いだ。
外に出ると、みんなに囲まれたゆい子は涙を拭うように目をこすりながら、もう大丈夫、と笑った。
椿は、蚊帳の外で一人、恐怖から解放された安堵のような表情を浮かべている。
少し休憩した後、お土産ショップを見ることになった。
しかし、耀太は一人、店内を大まかに周ると何も買わずに早々に出て来た。
すると、椿も店の入口の脇に佇んでいた。
すぐに声を掛けようとしたが、椿は急に鞄から何かを取り出し、意を結した様にどこかへ歩き出したので、そのまま見守ることにした。
少し離れた所で止まった椿は、目の前のゴミ箱を凝視している。
次の瞬間、椿が固く握っていた手を開いて、小さく細長いオレンジ色の何かが金属の大きな箱に吸い込まれていった。
あまりゴミが溜まっていなかったのか、中でバウンドしたその何かが静かに甲高い音を立てる。
椿は、ほんの少しの間そのままゴミ箱を見つめて静止していたが、すぐに再び動き出した。
長い髪をなびかせて振り返った椿は、いつもよりさらに大人びた表情で微笑んでいた。
中華街で少し遅めの昼食を取った後、ちょっとした事件が起きた。
女子のトイレ待ちという永遠とも思われる時間を、ゲームセンターで潰していた男子チームの元に戻ってきた彼女達はどこか様子がおかしかった。
しかし、耀太以外の男子は全く気に留める素振りも見せず、中華街の観光を再開しようと歩き出す。
すると、ゆい子が大袈裟にため息を吐いた。
それには、さすがの戸塚も異変に気づいた様だった。
「あれ、ゆい子どしたん?元気なくね?」
ゆい子は悲しみを全て込めるかのように眉毛を寄せ、潤んだ瞳で黙って戸塚を見つめた。
代わりに、ののかが答える。
「ゆい子のお気に入りのリップがなくなっちゃったんだよねー。似合ってたのに。どっかで落としたっぽい」
「マジ?ジェットコースターん時?」
ゆい子が悲しそうに首を振る。
「ううん、その時は乗る前にロッカーに鞄預けたから。たぶん、お化け屋敷の時?」
「あー、ゆい子めっちゃびびって動きまくってたもんな」
長嶋が横から茶化して笑う。ゆい子は、恨めしそうに睨んで長嶋の腕を殴る素振りをした。
「もーー!そんなびびってないし!」
全然痛くねー、と笑う大きな身体の長嶋に、何度もゆい子はパンチを繰り出すが、全く効かず、ののかと戸塚が笑い出した。
そして、殴り疲れたゆい子もついに笑い始めた。
そんな四人を眺めながら、耀太は隣を歩く椿に何気なく視線を動かして、思わず目を奪われた。
その、笑っているのか笑っていないのか区別が付かない表情で一点を見つめる横顔が、彫刻のように青白くただ冷たく綺麗だったから。
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