8 耀太 エチュード

「あ!おっせーよ!」


耀太が店内に入ると、すぐそばのボックス席にいた山崎が荒々しい手招きをしながら呼んだ。

向かいのゆい子と椿は手を振りながら温かい笑顔で迎えている。


「今日は誰も面談ない日だろ?」


テーブルのすぐ側まで来た耀太に、山崎は頬杖を付きながら訝しげに問い詰めた。


「ごめん。これでも急いで切り上げたんだよ」


「切り上げた?…まさかお前…また告白されてたんじゃないよな」


歪んでいた山崎の眉がパッと持ち上がる。重量のある山崎の身体を無理やり奥に押しやりながら席に着くと、耀太はリュックの中からノートとペンケースを無言で取り出した。


「で、相手誰?先週もテニス部のかわいい子に告られてたじゃん!しかも振ってたよな。今回は付き合うの?なあ!」


耀太の左肩を激しく揺する山崎を、はいはい、と軽くあしらいながらため息を吐く。


「え、本当に?」


向かいに座る椿が純粋な瞳でまじまじと耀太を見た。


「…椿ちゃん、こんなバカの話に乗らないでよ。知ってるじゃん」


すると、椿は気まずそうに微笑んだ。


「は?何が!え、椿ちゃん相手知ってんの?」


「私も知ってるよ」


ゆい子が満面の笑みを浮かべる。


「誰!?」


腰を浮かせてテーブルに身を乗り出した山崎に凄まれて、ゆい子が耀太に視線を送ると、耀太は呆れたように頷いた。それを確認すると、ゆい子は山崎に視線を合わせて口を開いた。


「安くんだよ。耀太くん、帰りに呼ばれてたじゃん」


「え。あ、そうだっけ?」


それだけ言うと、山崎は大人しく席に座り直した。


「お前はニワトリか。だから、先に行って、って言ったんだろ」


「ごめんごめん、オレ理由までちゃんと聞いてなかったわ。で、安くん何の用だったの?」


深いため息が耀太から漏れる。


「いや、昨日の夜、イッチーとか…同中の奴らと遊んでたの繁華街だったから軽く注意されただけ。安くん見回り当番で偶然見られてたっぽい。他の先生に見つからないように清く正しく遊べってさ」


「さすが安くん、話が分かるねー。つーか、市川くん達懐かしいー!」


大げさにリアクションを取る山崎を耀太は呆れた目つきで睨んでみたが、全く気づかないので諦めた。徐に自分のノートを開いてテーブルの中心に置く。


「はい、リスト、完成したよ」


すると、ゆい子と椿が拍手をしながら、小さく歓声を上げてノートを覗き込んだ。

リストというのは、ラブレターの差出人…というより容疑者リストのことだ。一番の手掛かりであるイニシャルからまず絞るのが得策ということで、耀太が友達や部活の先輩に連絡して該当する人の情報を収集することになっていたのだ。


「さすが。人気者は違いマスネー」


山崎が嫌味交じりに茶化すと、お前とは違ってな、と耀太がにやりと笑う。

ペンケースからシンプルなシルバーのシャーペンを取り出す。すると山崎が横から耀太のペンケースを覗き見て、何も言わずにその中を漁り始めた。山崎が図々しいのはいつものことと、耀太は特に気に留めることなく、握ったシャーペンの尻をカチカチとならして芯を数ミリ出した。


「なあなあ、耀太こんなシャーペン持ってんの?」


顔を上げると、にやけ顔の山崎が手に持っているのは、白地に小さな苺が何個かプリントされた可愛らしいものだった。『T』の文字を型取った小さな金色のチャームが付いている。


「えー耀太くんかわいいー!」


「…俺のじゃない」


耀太が呟くと、場がほんの一瞬静まった。


その静寂を図らずも破ったのは山崎で、無言のままシャーペンを手放して仰け反るような仕草を見せた。すると、甲高い音を立ててテーブルの上に打ち付けられたシャーペンは、転がろうとしたがチャームが邪魔してその場にすぐ留まった。

それを凝視しながら、山崎は恐る恐る耀太に尋ねる。


「…これってもしかして、前に耀太が言ってたやつ?」


「どういうこと?」


ゆい子がキョトンとした顔で尋ねると、山崎は珍しく声を落としてささやいた。


「…耀太の物ってさ、よく失くなるんだよ。で、たまにその逆で、見知らぬ物が入ってる時があるって」


「待って…怖い話?」


椿は、自分の腕を擦るような仕草を見せた。


「あはは!椿ちゃん、天然すぎ!…まあ、ある意味恐い話だけど」


一瞬笑ったかと思うと、山崎はすぐに珍しく真顔になった。


「ああ、ストーカーね」


ゆい子がピシャリと吐き捨てた。その言葉に驚いて、椿は心配そうに耀太の方を見た。


「お、鋭い。耀太のこと好きな子が、たまに自分の物を入れてくるんだよ。で、その後、『あたしの物が紛れちゃってるかもぉ』とかって話しかけてきたり。だろ?」


山崎が身振り手振りの演技付きでひとしきり説明すると、耀太が黙って頷いた。


「でも、なんでそんなことするんだろう」


椿は心底不思議そうに、誰ともなく尋ねた。山崎は、その質問に自分なりの考えを述べる。


「話しかけるきっかけが欲しいんじゃない?」


「あとは、自分の物が耀太くんの身近にあることに興奮するとか?」


ゆい子が付け加えると、耀太が一瞬怯えたような瞳を向けた。


「…こういうの、本当に困ってる。もちろん、本当に間違って入っちゃった可能性も…ないわけではないんだろうだけど」


耀太が正直な心境を吐露すると、山崎が珍しく同情する。


「確かにこれは恐いわ。でも、話しかけてくる子はまだマシかもな」


「そっか…誰からかも分からないままの方が、逆に恐いね。それは本当に何がしたいんだろう」


山崎の言葉に椿が眉間を寄せると、ゆい子が微笑みながら口を開く。


「ストーカーにしか理解できない心理があるんだよ、きっと」


「…ゆい子、さっきから意外と冷静だな」


ストローでジンジャーエールを何の感情もないような涼しい顔で飲むゆい子を見て、山崎は渇いた笑いを送った。


「この話、やめよう。これ山崎にあげる」


耀太がピンクのシャーペンをデコピンの要領でテーブルの上を滑らすと、山崎は思わず受け止めたが、すぐにゴミを触るように人差し指と親指でつまんでテーブルの端に寄せた。




四人が改めてノートに視線を落とすと、耀太が調べた結果、この学校でイニシャルが当てはまる男子は十人。そこから山崎と柳井を除くと、実質八人だった。


「で、この中で、怪しい奴ってなると?」


山崎が尋ねると、ゆい子はリストをじっと見つめた。


「んー、たきゅみんとヤナくん以外だもんね。しゃべったことあるのは高岡先輩と湯川先輩くらいかなあ」


耀太は、リストに書かれた名前にぼんやり向けていた視線を、真剣な眼差しのゆい子と山崎の横顔にゆっくりと移した。


「…ちょっと待って、『たきゅみん』ってなに?」


「え?ああ、あははっ。匠くんだから。ね、たきゅみん!」


ゆい子は笑いながら山崎に同意を求めた。

耀太が冷ややかな眼差しを刺すように向けると、山崎は恥ずかしそうに項垂れた。


「ほらー、こうなるのが嫌だったんだよー」


「えー、『たきゅみん』かわいくない?ダメ?」


頭を抱える山崎を尻目に、ゆい子は耀太と椿に同意を求めた。


「…うん、イイトオモウヨ。ぷっ。ね、椿ちゃん」

「え…うん」


椿は拳を口の前に当ててふふっと困ったように微笑んだ。首を少し傾げるだけで長くて艶のある黒髪がテーブルの上にはらりと滑る。


「あ!やっぱ笑ってんじゃんか!椿ちゃんまで!ゆい子のせいだからなー」


「なんでー?せっかく仲良くなったんだからいいでしょ?たきゅみんだって、ゆい子って呼んでくれるじゃん。あ、耀太くんもゆい子でいいからね?」


「やっぱマジでやめて、その呼び方。なあこれマジで。マジのやつ。お願い」


その後、山崎とゆい子の壮絶な攻防により、呼び名は『たっくん』に落ち着いたようだ。


「で、なんだっけ、高岡サンと湯川先輩だっけ?」


「あ!湯川先輩…は、ない気がする」


これまで笑うばかりだった椿が久しぶりにまともな言葉を発した。何で?と聞くと、記憶を呼び起こすようにゆっくりと答える。


「…確か、最近彼女できたばっかりって噂、聞いたから」


「そーなんだー。じゃあ違うか」


いち早く山崎が納得する中、少し伏し目がちな椿の横顔をゆい子は不思議そうに見つめていた。


「じゃあさ、しゃべったことなくても、委員とか、行事とかで一緒だった奴とかは?ゆい子?」


「…え、あ、私か。待ってね。うーーーん…」


ゆい子は人差し指をおでこに当てて、再び考える素振りを見せる。


「あ!東尾とおのおくん!一回だけ華たちと一緒に遊んだことある」


「じゃ、今んとこ、一番怪しいのはこの高岡先輩と東尾ってこと?」


ゆい子がふいに耀太を見た。

耀太はその視線に気づくと、取ってつけたように微笑んだ。すると、ゆい子も歯に噛むように微笑み返す。


「あ、でも…高岡先輩も違うと思う」


今度はゆい子が真面目な顔に戻してから訴えた。

先輩が対象から外されるとなると、とりあえずの候補は学年で一、二を争うモテ男の東尾だけということになる。それを主張することがどういうことか、ゆい子以外の全員が同じ考えに至っていたのかは不明だが、なんとも言えない空気がこの場を支配した。

しかし、高岡先輩ではない、ということに関しては耀太にも思い当たる節があった。


「高岡先輩って女の子と一緒にいたってこないだ山崎が騒いでた人でしょ?確かに、あの人も彼女いるなら違うよな」


高岡先輩は、山崎と同じ小中学校出身で一個上の先輩である。本人は腐れ縁だと言い張るが、山崎の口から先輩の話題が度々上がるので、きっと本当は仲が良いのだと耀太は理解していた。

何日か前の朝練終わりにも、校庭近くの水飲み場で、高岡先輩の目撃情報を何の関わりもない耀太にすぐに報告してきていた。

けれども、耀太の主張に対しては、すかさず山崎が否定する。


「いや!あれは、きっとそういうんじゃないんだよ。ほら、高岡サンが勘違いしているだけで」


「それってお前がそう思いたいだけだろ」


「あ、待って、彼女いるかはわたしも知らないよ。高岡先輩じゃないと思うって言ったのは、違う理由で、えっと…」


切り出した割にゆい子が言い淀んでいると、山崎が彼女の顔を真正面から覗き込む。


「なに?言えよー、俺とゆい子の仲じゃん!?」


「どんな仲だよ」


呆れたように突っ込むと山崎は、なはは、と笑った。二人のやりとりを聞いて、笑みを浮かべたゆい子は、意を決したように小さく頷いた。


「…実は、もう告白されてるから。断ったけど」


そう言うとすぐに恥ずかしそうに俯いた。


「マジで!?高岡サンが!?つーか、ゆい子ってもしかして…意外とモテんの?」


山崎が素直に驚くと、ゆい子は「『意外』は余計でしょ!」とほっぺを膨らましながら、ぐーで軽く山崎の肩を殴る。


「そうなると、やっぱ違うかな」


耀太が呟くと、山崎は再び全力で否定する。


「いーや!他の人ならともかく、高岡サンだぜ?あの人ならまだ諦めてないって可能性も全然あるな!無駄にポジティブな勘違い野郎だし!」


「…そういうこともあるんだ」


椿は根拠のない山崎の主張に無駄に納得する。

山崎はどうしても高岡を残念な男にしたいらしい。


「うーん、じゃあそれはそれとして、状況整理する?立花、もう一度手紙見せて」



【投函時刻】

月曜日、立花が登校する前。おそらく早朝

※前日は日曜日だから前日の夜という可能性は低い

【差出人】

Y.T

※現時点で怪しいのは、高岡洋平と東尾優生

【特徴】

・犯行声明文のような切り貼り文字

・手紙自体は三つ折り

・宛名は書いていない(封筒に入ってない)



ノートに書き出したところで、椿が手紙を指差した。


「…この文字って、どこかで見たことある気がしてたんだけど、学生新聞じゃないかな?」


ゆい子もまじまじと見て、ほんとだ!と声を上げる。


「この手書きっぽい文体なんて、見出しのところによく使われてるやつ!」


「あ。確かに。この黄緑色の紙、学生新聞で使ってる再生紙の色だね。こっちの白っぽい光沢のある紙の方は…なんかの雑誌かな」


耀太が指摘すると、ゆい子はまた、ほんとだーと感嘆した。


「…あ…のさぁ、盛り上がってるとこ悪いんだけどー、学生新聞…って何?」


山崎のその言葉に他の三人は一瞬言葉を失った。そして、憐れみを含んだ目で一斉に見つめる。


学生新聞とは、その名の通り、新聞部が学校に関わることを記事にした良くある校内新聞である。記事の内容は、校内のイベント情報や、部活での功績、生徒が行った素晴らしい行動もしくは悪い行動から、周辺地域のおすすめ店や編集者のミニコラムコーナーなど、その時々で異なる。


この高校では、新聞部が月に一回もしくは、ふた月に一回程のペースで刊行していて、それは校内に数か所と生徒が自由に見ることのできるweb上のイントラに掲示される。

一番目立つところだと、正面玄関から入って下駄箱を抜けたすぐ目の前の掲示板に貼られている。そのため、じっくり読むかは別として、ほとんどの生徒がその存在だけは知っているはずである。


「あー、はいはいはい。玄関になんかあるやつね。あれ、生徒が作ってたんだ。てか、うちって新聞部あったっけ」


山崎の言葉を受けて、耀太の口から思わずため息が漏れる。


「…お前さ、俺と一緒にインタビュー受けたことあるじゃん。去年、サッカー部でインターハイ行った時かな、期待のニューフェイスのコーナーで紹介されたよな?」


「え…?あーーー、なんか写真撮られたやつね。あれって新聞になってたの?」


「つーかその後も何回か撮りに来てたけど。写真だけなら、先月のにも載ってたし」


「うそぉー!俺ら有名人じゃん!」


こんなんでも、自分と同じく一年の時からスタメンを張っているというのだから、ベンチの奴らはやりきれないだろうな、と耀太は心の中で嘆いた。


「私、その号見たよ!華達と新聞もらいに行ったもん」


「え、私も!新聞部の部室に女の子が殺到してたよね」


椿とゆい子は、お互いに新聞をちゃんと読んでいることが意外だったようで、目を合わせて笑った。

ゆい子は気が向いた時にだけもらいに行くのだと恥ずかしそうに答えた。対して、椿は、一年の時から毎号必ずもらいに行くほどの学生新聞オタクだということが判明した。


「え、ねえ、その女の子たちって…もしかして俺の写真目当て…だったり?」


山崎がそわそわしながら聞くと、ゆい子がピシャリと言った。


「しない。耀太くんでしょ」


山崎があからさまに、しゅん、と項垂れると、女子二人がおかしそうに笑った。


「それより、あの新聞ってもらえるんだ」


耀太が知らなかった様子を見て、椿が丁寧に説明する。


「うん、新聞部に言えば刷ってくれるよ。昔は全員に配ってたらしいんだけどね。やっぱり読まないで捨てちゃう人も多かったみたいで、希望者だけに渡す、今のシステムになったみたい」


「あれ、ってことは、新聞もらいに行った人の中に差出人いるかもってこと!?」


ゆい子が興奮して目を輝かせると、山崎もすぐに賛同した。


「そうじゃん!あ、でもイントラからでも見れるんだっけ?じゃあ誰でも手に入るか」


「webから印刷したら、普通はこの色にならないよ。この再生紙ってことは、新聞部でもらったものである可能性が高い」


「すげーーー!じゃ、さっそく新聞部に聞きに行こうぜ!」


「あ、待って」


自分のバッグに手を掛けて今にも飛び出しそうな山崎を椿が言葉で止める。


「この手紙に使われているのがいつの号なのか、調べてからの方が良いんじゃないかな?それに新聞部の人たち、もう帰ってると思う…」


「あ、そっか!さすが椿ちゃん」


山崎は少しだけ浮かせた腰を静かに下ろす。『ハウス』と言われて戻る犬のように。


「私、家に今までもらった全号あるから、明日持ってくるね」


「えっマジで!?さすが椿ちゃん!」


耀太の目には、山崎の腰から尻尾が生えているように見えた。それも、激しく左右に揺れる尻尾が。


「ありがとう、椿ちゃん。あ、でも、集まるのは明後日でもいいかな?明日の放課後は俺、三者面談で。それか、俺以外で集まってもらっても良いし」


すると、ゆい子が甘えた声を出す。


「えー耀太くんいないと困るよぉー!放課後がダメなら、お昼休みは?」


「…それなら、俺は良いけど」


「おーー、それいいじゃん!」


「うん。じゃあ明日持ってくるね」


全員の承諾を受けて、椿が改めてそう微笑んだ。


帰り支度を始めると、携帯の着信音が短く響いた。

耀太がポケットから携帯を取り出して画面を見ると、今受信したばかりのメッセージが表示されている。


「誰?薫さん?」


隣の山崎が画面を覗くようにして尋ねる。


「ああ、うん。帰ったら息抜きにゲーム付き合えって」


「薫さん受験生だもんなー。てか本当仲良いな」


まあな、と微笑みながら頷くと、ゆい子と椿が不思議な顔をして眺めていた。


「その薫さんって…」


「もしかして、中村くんの恋人?」


ぷっ。耀太は思わず吹き出した。珍しく、あはは、と声まで出して。そんな耀太の代わりに山崎が笑いを堪えながら答える。


「いっや、薫さんは…。いくらなんでもあれは…さすがの耀太でも。って、え?本当はそういう関係?」


「あるわけねーだろ!ただのいとこ兼、幼馴染。校舎違うからあんまり会うことないけど俺らの一個上。薫のことはどうでもいいよ。帰ろうぜ」


外はすっかり暗い。いつの間にか、ファミレスの大きなガラス窓の外にある植木に明かりが灯っていた。


「えー、なんかはぐらかしてない?」


ゆい子と椿が残念そうな顔で帰り支度をしている。うっかりすると深い質問をされそうな気配を察知して、耀太はそそくさと席を立った。

一番最初に会計を終えた耀太が店の外に出ると、風が思いの外冷たかった。今日はブレザーを着てきて正解だ、と耀太は思う。


「あれ、耀君。今帰りかい?」


声のした方に顔を向けると、初老の男性が上品な笑顔を向けていた。白髪交じりの髪と少し伸ばされた髭はいつも綺麗にセットされていて清潔感がある。


「あ、マスター。こんばんは。…買い出しですか?」


卵が切れちゃってね、と困ったように目尻を下げた。ちょうど隣のコンビニに入ろうとしたところのようだ。


このコンビニから大通り沿いを駅と反対方面に歩いて5分ほどのところに、数年前に新しく出来た喫茶店がある。

長い間テナント募集中になっていた元洋食店が改装され、レトロで少し小洒落た店に生まれ変わった。落ち着いた空間で本格的なコーヒーが飲めると地域住民の間で話題となり、常連客が大半を占めている。


しかし、月に何度かこの店が一気に賑わうことがある。店から少し離れたところにある、通称、さざなみアリーナの影響だ。

そこは、大きな体育館を備えた多目的ホールで、イベント開催時には、訪れた人々がこの店まで流れてくるのである。

何を隠そう、店主がこの地に開業を決めた理由のひとつに、このアリーナ客からの収益があった。


耀太の父親と同じ会社に勤めていたマスターが脱サラして喫茶店の開業準備をしていた際に、たまたまこの場所の話を聞いたのだ。雰囲気の良い立地とコスト面で希望に合うところは他にもあったが、不定期とは言え月に数回の約束された臨時収益が見込めることは大きい。

そこで問題になるのは、普段の客数では自分以外の人員を雇う必要はないが、イベント時だけは手が回らなくなることだった。そのため、客が多い日だけ、耀太はこの店でアルバイトをしていた。


「ところで、この可愛らしいお嬢さんは耀君の彼女かい?」


たった今出てきて耀太の横にそっと立ったゆい子は、え?と驚きながら頬を少しだけ赤く染めた。

ファミレスでのお会計を個別にしたため、椿と山崎はまだ店内にいる。


「ああ、違いますよ。同級生です」


今、他の友達も店内にいますよ、と二人きりではないということを伝えた。


「なんだ、違ったか」


残念そうにお茶目に笑うと、マスターは思い出したように続けた。


「そういえば、最近、耀君目当ての女性のお客さんがたまに来るよ。耀君、たまに街角スナップの写真かなんか、雑誌に載ったりしているからかな」


「え…すみません、ご迷惑をお掛けして」


「いやいや。若いお客さんが増えて、僕はむしろ有り難いよ。あ、でも中には少し危なそうな子もいるから、気を付けないと」


「危ないってどういうことですか?」


ゆい子が物怖じせずに急に割って入った。


「うん、どうやら、耀君の写真が女の子の間で出回っているみたいだね。うちで働いているところを盗撮した子がいるのかな。学校での写真もあったけれど。この間の子にも、今日はいないのかとか、家は近くなのかとか色々聞かれたよ。さすがにその子には、少し諭しちゃったけどね」


マスターはゆっくりと、言葉を選ぶように穏やかに話す。


「…やっぱ俺、迷惑掛けてるじゃないですか。本当すみません」


「いやいや、僕は本当になんとも思ってないよ。耀君が手伝ってくれて本当に助かってるんだから」


「マスターさん。その子ってどんな子だったんですか?可愛かったですか?」


ゆい子は何も濁さずに真っすぐ尋ねた。先程、耀太に発揮できなかったジャーナリズムを、今取り返そうとしているかのように。


「うーーん、おじさんの目にはみんな可愛く見えるからなぁ」


そう言うマスターをゆい子がさらに質問攻めにして浮かび上がった少女には、大した特徴も見当たらなかった。背は一六〇センチ程で華奢な体形に、茶髪のふんわりとしたセミロングヘア。年齢は十代後半から二十代前半、つまり、女子高生から女子大生くらい。

心当たりを尋ねられても、そんな知り合いいくらでもいる、と耀太は答えるしかない。


何にせよ気を付けるように、と心配するマスターに、笑って返した。


「大丈夫ですよ。これでも男なんで」

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