11 ゆい子② 真実への遠回り
席を立つのを見計らって、ゆい子が反対の出口から教室を出ると、華は既にしゃがんで自分のロッカーを覗いていた。開かれた扉の表面は、写真や“HANA”の文字がカラフルなステッカーやマステで装飾されて、隙間なく散りばめられている。廊下に並ぶクラス全員分のロッカーの中でも一際派手だ。
対して、出席番号のテプラとミモザの黄色い花を模したシールだけが張られた地味なロッカーの扉を、ゆい子は静かに開けた。上から二番目の位置は、ゆい子には少し高くて使いづらい。
「世界史だるいねー」
ゆい子が声だけで話しかけると、華は一瞬だけ上を覗き見たが、すぐに自分のロッカーに目を戻しつつ間の抜けた返事をした。
「なー」
次の授業は世界史のため、華なら絶対に資料集を取りに一人でここに来ると踏んでいた。
登下校も教室移動もトイレへ行くのもいつも一緒の奈緒子は、その日の授業で使うものは、朝のうちに机の中に持ってくるタイプ。だから、華が必ず一人になるタイミングは案外この時くらいだったりする。
「…そういえばさ、B組の東尾くんって華の元カレの友達だよね?すごいモテるんでしょ。彼女とかいるのかな?」
「ああ、優生?あの、超絶イケメンね」
「そうそう。こないだ遊んだ時あんまり話せなかったからさ」
華はまだロッカーの前に座り込んでいる。資料集を手にゆい子が近づくと、くしゃくしゃになった古いプリント類を奥から引っ張り出していた。整理整頓が全く出来ないタイプらしい。
「…なに、あんた優生のこと気になってたの?」
「そういうんじゃないけど」
「ふーん」
せっかく取り出したプリントを再びぐしゃぐしゃに丸めて握ると、華はロッカーの扉を投げつけるように閉めた。
「…実は、私じゃなくて、友達がかっこいいって言ってて」
立ち上がった華の顔を、少し困ったように覗き込む。
「それって…まさか椿じゃないよね?」
「えっ?…それは、守秘義務があるので言えません」
ゆい子は含んだように微笑んだ。
「あっそ。でも、優生は、落とすの難しいと思うよ」
「え、なんで?あ、やっぱ彼女いるの?」
「じゃなくて、いろんな子と遊んでるって意味。来るもの拒まずではあるんだけど、特定の彼女いるのは見たことない。みんなに優しいけど、どれも本気じゃないっていうか」
ゆい子は薄々勘付いてはいたが、やはりそんな人がよく知りもしない自分のような女に率先して興味など持つわけがないと思った。ましてや、たった一度遊んだあの時も、大したアピールもしていないのに。
黙り込んだゆい子に、華は話を続ける。
「でも、周りは彼女じゃなくてもいいからそばにいたいって子も多いみたいよ。あ、ほらあの子とか。一年の時から有名じゃん」
華は、ゆい子の後ろを顎で指す。
E組の教室の前には少し開けた休憩スペースがあり、自販機と木のベンチが設置されている。
振り返ると、そこに何人かの女子が談笑しながらやって来て腰掛けるのが見えた。
「あの子って、もしかしてちーちゃん?C組の佐伯千尋?」
「あ、確かそんな名前。あれ、あんた知り合い?」
「うん、一年の時、隣のクラスだったじゃん。体育の授業一緒で仲良くなったんだよねー」
「仲良いのに知らなかったの?」
「…本当だね。なんでだろ」
「それよりさ、もしかしてそれって耀太と関係ある?」
華は珍しく声を落とした。やろうと思えば出来るのだな、とゆい子は驚く。
「え?なんで?」
「なんか最近、あんた達のことファミレスで見たって子がいるんだよね」
「あー、たまたまね。会ったことあるかな」
ゆい子は自分でも分かるくらいにへらへらと笑った。華は少し前から、笑っていないし眼光も鋭い。
「…奈緒子さ、耀太にガチなの、あんたも気づいてるよね。言ってる意味、分かるよね?」
華がいつになく、静かに低く強く言葉を置いた。
「あはは、大丈夫だよ!私、久々にちーちゃんと話してくる。ありがと」
「え、あたしから何か聞いたって言わないでよ」
「言わないよ!じゃあね!」
ゆい子は逃げるように去る、ほどのことでもなかったはずだが、あの場にいても良いことはないと直感した。華を敵に回したら終わる。そう思わせる何かが、華にはある。
「ちーちゃんっ」
呼びながら近づくと、千尋はベンチから立ち上がり、逆にゆい子を迎えるように両手を広げた。
「わーー、ゆい子、なんか久しぶりじゃない?元気だった?」
可愛いと言いながら、千尋はゆい子の髪を軽く撫でる。これは一年の時に千尋が良くやっていた手法だが、win-winだと気づいて黙って受け入れるようになった。周りが千尋に包容力を感じると共に、ゆい子に愛らしさを抱くようだ。
「ねっね、噂で聞いちゃったんだけどさ、ちーちゃんってB組の東尾くんと付き合ってるの?」
「…え、付き合ってないよー?誰から聞いたの?」
はっきりとした否定語に反して、千尋の声と表情はなんだか嬉しそうだ。仲良いから勘違いした人がいるのかも、と微笑む。
「じゃあ、東尾くん、今彼女いないんだ」
千尋は変わらず笑みを浮かべている。けれども、瞳にほんの少しだけ影が落ちたような気がした。
「いないよ。優生くんのことを好きな子は、いっぱいいるけどね」
「モテそうだもんね。東尾くんは好きな子もいないのかな?」
「どうして?」
「んー、なんとなく気になって」
千尋がベンチに腰を下ろしたので、ゆい子もその隣に座って横顔を見つめた。ゆっくりと、千尋の薄い唇が動く。
「…さっき、付き合ってないって言ったじゃん?でも、私のこと好きだったら良いなって思ってる。私は優生くんのこと好きだから」
「え?それって…良い感じってこと?」
千尋は含みのある微笑み方をした。
「え、どっか遊びに行ったりしてるの?」
すると、その横顔は黙って頷く。
「わー、そうなんだー!」
「デートもだけど、実は手繋いだりキスしたりとかはしてるんだけどね」
ゆい子の感嘆に被せるように、千尋は早口で言い切った。
「それって、付き合ってるんじゃないの?」
「うん…最初は私も、そう思ってた。でも、他の子ともそういうことしてるのが分かって、浮気してるでしょって問い詰めたの。そしたら、彼女でもないのになんでそんなこと言うの?って言われちゃって」
「え、なにそれ」
ゆい子が眉を寄せると、悲しいのに無理しているのが伝わるように、千尋はしっかり笑った。
「月曜も、デートの約束、ドタキャンされたの。優生君、体調悪いって学校も来てなかったから一日中心配で。でも後で知ったんだけど、他校の子と遊園地行ってたんだって」
「うわっ最低」
「はは、だよねー」
張り付いた笑顔のまま頷く千尋に、ゆい子は思わず抱きついて背中をポンポンとする。これもwin-winだ。
「月曜って今週の?」
そうしながらも、事実の確認を怠らない。千尋は抱かれながら、ゆい子の華奢な肩に再び無言で頷く。
東尾くんは、例の月曜日、休みだった。
「ありがと。ゆい子は、悪い男に引っかからないようにね」
千尋が聖母のように微笑むので同じように返す。すると、タイミング良く予鈴が鳴った。
そのまま別れて教室に入る時に振り返ってみると、千尋は歩きながら、他の友達と真剣に何かを話していた。
「千尋、なんで立花さんにあんなこと言ったの?」
「…聞いてたの?」
千尋は廊下の窓から見える黄色く染まった木々に視線を向けたまま答えた。
「千尋がまだ諦められないのは分かるけどさ、でも…」
「分かってるよ。ちゃんと告って、ちゃんとフラれたの。でも、優生君の優しさに付け込むくらい良いでしょ?」
「…さっきの言い方だと、東尾君が悪い男みたいになるじゃん。千尋達、別にそんな関係じゃなかったんでしょ」
友達の言葉に、千尋は思わず、ふふ、と笑みを溢した。
「…もしかして、わざと?」
友達は、嫌悪感を顕にして千尋の顔を覗き見た。
千尋は、窓の外に向けていた顔を戻して、その視線へ照準を合わせる。
「だって、これ以上、ライバル増えたら嫌じゃん?」
ゆい子が教室に戻ると、異様な空気が流れていた。片隅で椿と片岡の会話が穏やかに弾んでいて、それをクラス中が遠巻きに視界に入れていたからだ。
片岡のポジションは、いつもゆい子が担っているそれだった。
先程、華が席を立った時に東尾のことを聞いてくると椿に告げると、自分も一緒に行くと主張した。しかし、別の話もしたいから、とゆい子はそれを断った。
華は椿のことが嫌いだから、一緒にいると話してくれるものも話してくれなくなる。代わりに椿には、先に片岡に新聞のことを聞いてほしいと頼んでおいた。
「何話してるの?」
近づいて話しかけると、二人は同時にこちらを見た。片岡が先に口を開く。
「あ、立花さん」
「あ!もー、ゆーみん、その呼び方だと距離感じちゃう」
「…じゃあ、立花ちゃんって呼ぶね」
「ゆい子でいいってば」
「うーん、でもそれだと、悠依ちゃんと被っちゃわない?」
そう言ってカラッと笑う片岡にはいつもより自信が溢れて見えた。どこか冷たさすら感じる。片岡は誰とでも喋る方ではあるが、自分が地味であることは自覚しているのか、華やかなタイプの子と話す時はいつも少しだけ遠慮のようなものを感じる。一年の時に椿と同じクラスだったらしいが、ほんの数分この教室内で椿と時間を共有しただけでここまで印象が変わるなんて。
「じゃあ、片岡ちゃん、ありがとう」
椿は自分の席に戻ろうと腰を上げた。
すかさず、ゆい子は椿の後を付いて行き小声で尋ねる。
「何か分かった?」
「ふふ、片岡ちゃんね、実は中村君のファンなんだって」
「は、え?」
思わず片岡の方を見ると、同じようにこちらを見つめていたがパッと視線をずらした。
「なんかね、推し?なんだって。面白いよね、片岡ちゃんって」
椿はまた、ふふ、と笑った。
「学生新聞のことは?」
「…あー、何も分からなかった。もらいに来た人が多すぎて把握出来てないって」
「…そっか、そうだよね」
椿は片岡から本当に何も聞かなかったのだろうか。“もらいに来た人が多すぎ”たなら、きっとそうであるはずなのに。
ゆい子は椿の整った横顔を見つめたが、視線が重なることはなかった。
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