1 からからから

「今日もダメだったなぁ」


 深刻そうな言葉の割にはあまり深刻そうでない口調で、アズが言った。


「ダメだったとか呑気に言ってる場合じゃないわよ!」


 私はコップを乱暴にテーブルに置いて、語気を荒らげた。


「落ち着いておちついて」


 そう言いながら悠然とため息をつく。


「ちょっとは焦りなさい!」


 そう言いながらコップをもう一度持ち上げてぐっと煽る。


 ……この男、自分たちのお財布の状況が分かってるんだろうか。

 明日のカルピアへの馬車の切符を買ったはいいけれど、その後のお財布の状況は振ってみれば答えが出る。

 カラカラカラ、からからから。

 このままだと街の噴水の前で野宿と言うことになりかねない。だいたい今日の宿屋代でさえ既に苦しいんだから。さっきのコップの中身だって、実は酒どころかジュースですらない。単なる水だ。


「おばちゃん、おかわり!」


 私がコップを突き出してみせると、宿屋のおばちゃんは仕方がないなぁと言わんばかりの笑みを浮かべて、ポットから注いでくれる。


「4杯目だぞ……」


 アズが小声で突っ込む。


「いーのよ」


 そう言いながらごくごくと飲む。……この町はわき水が豊富で無料で飲めるから遠慮なく飲むけど、銅貨1枚でも水が有料ならば多分舐めるように飲むんだろう。……ああ、さもしい自分がつくづく嫌だ。


 元々、私、ユーフォ・カインダは、こんな女の子ではなかったはずだった。まぁ旅に出た段階で「普通の女の子」からは少し外れていたのは認めるけど、それでもそれなりに夢があり、それなりにおしゃれもして、それなりに恋もしたい、それなりに年頃らしい16歳の女の子だった……はずだった。


 あの日あの時あの場所で。

 コイツに出会わなければ。


 財布の中身に四六時中頭を悩ませる桃色ハリセン少女にはなっていなかった。……せめて“少女”でいたいんだが、今の私はすっかりおばさん的思考だ。


「何イライラしてるのさ」


 てめーのせいだ。


「……大丈夫。カルピアは大きな街だから、多分いっぱい人が集まるよ。そしてあら実入りも良いはずだし、気合い入れてネタを作ればどっかんどっかんウケて一気に余裕もできるはず」


 ほぉ。

 そう上手くいけばいいけどね。



 やっぱりうまくいかなかった。



 田舎者の私ではやたらと広い、としか言えない広場に北風が吹き抜ける。


 そこかしこに露店が立ち並び、向こうでは吟遊詩人が英雄の叙事詩を語り、あちらでは誰かが演説をしている(……うちの相方とは違って真面目な演説だ)。子供が楽しげな笑い声を振りまきながら走り過ぎ、男女連れが談笑しながら歩いていく。

 空は青く、広場の向こうの風見鶏が太陽を受けて反射してくるくると回る。……私たちの周りには誰もいない。


 アズは無言で木箱を持ち上げた。

 からからからと軽い音がする。


「なんでだろ? 昨日以下なんて……」


 悄然とつぶやくアズ。


「こういう街だと、みんな目が肥えてるのよ」


 私は怒る気力もなく、額をこすった。さっき投げつけられた銅貨が当たった痕がまだひりひりと痛む。アザにならなきゃいいけど。

 ……銅貨はこっそりと拾った。


「『ひっこめ』まで言われるとさすがに凹む……」

「凹むの遅いわよ」


 ツッコミも全く元気が出ない。

 桃色のハリセンを、力なく背中にとんと当てる。


「一生懸命ネタを考えたのになぁ」

「三分考えようが三年考えようが笑わせた人が勝ちよ」

「……俺、本当にセンスないのかな」

「今頃気付いたの?」


 冷たく言い放つ。


「……取り敢えず行くわよ」


 木箱を片づけながら――ちなみに、普段は小道具入れである――、私は言った。


「どこにだよ」


 アズの声に即答する。


「野宿はなるべく避けたいでしょ?」

「……ああ」


 そう。これから、皿洗いでも給仕でも力仕事でも何でもするからタダで泊めてくれる場所を探さねばならない。朝から探しても見つかるかどうか分からないくらいだ。急がないと。


「了解。早く行こう」


 木箱を片手に持ったアズが、目を伏せながら言った。


 ……説明がこれで通じてしまう私の生活って何なんだろう。


 暗澹たる気分にはならない。

 そんな気分になる暇すらない。まずは今日の寝場所だ。

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