第19話
国王の編成した幻獣討伐隊や、シャガやスペネの捜索に割かれていた兵たちは、離宮に集められた。ドラゴンを討伐するためだ。
「離宮から南に行くと湖と草原があります。この辺りなら周囲に民家もありませんし、勾配もなく開けている。まずはドラゴンをここに誘き出します」
応接間にはアイビーとトクス、ナシラのほか、ヘデラと翼の幻操師ユリオ、さらに急きょ駆けつけたエアスト家の魔術師シェダルもいる。アイビーたちは部屋の中央に置かれた丸机を取り囲み、その上に広げられた地図を覗き込んでいた。
とん、とトクスの指が地図の一点を軽く叩く。
「誘き出したのち、拘束します。首や脚、飛膜などを縄でくくり、地面とつなぎ止める。ドラゴンに縄をくくりつけるのは、ユリオ、あなたに頼みたい。討伐隊からも何人か補佐してくれるでしょう」
「お任せください」
「とはいえ手際よく拘束させてくれるとも思えない。間違いなく抵抗する。ドラゴンの気を引くのは俺や部下の役目。炎や毒を吐かれた時は、シェダル、あなたの出番です」
「ぼ……じゃない、私ですか?」
シェダルは四方八方に飛び跳ねる琥珀色の髪の下で、意外そうに目を瞬かせた。
夜明け前に離宮に到着し、ヘデラと対面した彼の様子はしばらく忘れなさそうだとアイビーは思う。死んでいたはずの人物が目の前にいるなんて信じられず、あまりの衝撃に硬直してしまったのだ。何度呼びかけても反応一つ返さず、最終的にトクスが頬を叩いて我に返っていた。ヘデラが天馬を拝借したことを謝った時に、もう一度固まっていたが。
この場にいるのはヘデラが蘇ったことを知る人物のみだ。
「あなたは防御術に特化していると当主から聞いたことがあります。ドラゴンが攻撃してきた際は、我々を守っていただきたい」
「全力を尽くしますが……神力が尽きてしまう可能性もありますし、あまり長時間はお守りできません」
「それまでに決着をつけるだけです。ご心配なく」
「トクス、あたしはなにをすればいい?」
自分にも何か出来るはずだと、アイビーは力強く問いかけた。トクスは迷う様子もなく「援護です」と答える。
「ドラゴンを拘束すると言いましたが、縄だけでは心もとない。力を使えると自覚してすぐで申し訳ありませんが、アイビーには水と氷を使って拘束をより強固なものにしてほしいんです。破壊された時はすぐさま再度拘束を。出来ますね?」
トクスから信頼を感じ取り、アイビーはもちろんとうなずいた。
「ヘデラは万が一、命にかかわる重傷者が出た時のみ力を貸してください。死んだと思われているうえ、力が弱まっている今、ヒュドラ災害の時のように次から次に負傷者を治療していくのは難しいでしょう。あなたに危害が及ぶ場合を考え、護衛にナシラをつけます」
アイビーはそっとトクスの背後に控えるナシラを窺う。昨日まで痛々しい姿をしていたが、今は包帯もとれ、腕も吊っていない。昨晩改めてヘデラに治療を施してもらい、今朝ようやく完治したと言っていた。
「ドラゴンを拘束し終えたら、〈核〉の破壊あるいは摘出に取りかかります。アイビーが一度ドラゴンの胸を切り開いてくれましたし、〈核〉の位置は確定しています」
首の少し下あたりだ。人間で言うとこのあたりだと示すように、トクスが己の鎖骨付近を撫でる。
「あの時と同じように胸を切り開けますか、アイビー」
「やってみる。任せて」
「もし上手くいかない場合はユリオが手を貸してくれます。俺の炎ではドラゴンに弾かれてしまいますから」
工程を再確認していたところで扉がノックされる。ドラゴンが間もなく誘導地点に到達すると知らせに来たのだろう。シャガと行方をくらませていた時と違い、庭園から逃げたドラゴンは思いのほか早く見つかっていた。作戦自体は昨日の昼頃から開始されていたのだ。
「――以上が討伐作戦の全容です。なにか質問は?」
特にない、と誰もが首を横に振る。アイビーもそれに倣った。
外に出ると、物々しい雰囲気が離宮全体を覆っていた。すでに出発している隊も多いらしく、人数は昨日に比べると少なくなっていた。
息を吸ったはしから緊張が全身に満ちていくようだ。体の強ばりを少しでも緩めようと深呼吸を繰り返していると、肩に温かな手が触れる。
トクスの右手だ。大丈夫ですよと低い声で励まされると、一気にほっとしてしまう。
その時だった。
晴天に雷鳴が響き渡る。いや、違う。雷鳴によく似ているが、これは。
「ドラゴン……!」
びりびりと体の芯を揺さぶるような轟音だった。空を見上げると、悠々と飛膜を広げた黒い影が離宮のそばを南に向かって通り過ぎていくのが見えた。討伐隊は次々と馬を駆ってそれを追い、アイビーはトクスと天馬に騎乗してドラゴンを追いかけた。
尾を左右に振りながら、ドラゴンはこの世の空を牛耳った覇者のような風格で飛んでいく。あれが元々は人間だったとトクスに聞かされたとき、幻獣という生命体の凄まじさと、神に近づかんとした過去の魔術師たちの愚かさを再認識した。
『殿下から伺った話から推測するに、一昨日の時点でドラゴンは、幻獣として不完全な状態だったのではないでしょうか』
ドラゴン討伐作戦の前に、トクスはシェダルにドラゴンが急に炎を吐けるようになった理由について心当たりはないかと訊ねていた。ドラゴンが作成された経緯を聞き、彼は少しだけ考え込んだあと、そう言った。
『幻獣となってなお元々の意思を保っている、というのは失敗した例なんです。そういった点でも不完全だったのでしょう。ですが、シャガさまに服従していたのに蔑ろにしたり、炎を吐けるようになった……となれば考えられるのはただ一つ。完全体になったんです』
『しかしなぜ、急に……』
『アイビーさん、でしたっけ。彼女は水を操れると先ほど伺いました。そしてドラゴンの〈核〉に触れていたと。操られている水は間違いなく
「…………あたしのせい、だったのかしら」
「アイビー?」
ドラゴンの背中から目を放さないまま、アイビーはぽつりと吐露した。
「あたしがドラゴンの〈核〉に触っちゃったから、ドラゴンは完全体になったのよね。あの時ちゃんと壊しておけば……」
「気に病む必要はありません。誰もあなたを責めなかったでしょう? まさかそんなことだとは誰も予想していなかったからですよ。なってしまったものは仕方がない。今はドラゴンを……スペネを楽にしてやることを考えましょう」
地面と水平に跳んでいたドラゴンが、ぐっと体を起こして着陸する。地面が抉られる音と土煙が視線の先で上がった。急いでくれとトクスが指示するより早く、天馬が速度を上げる。
間もなく地図上で見た湖と草原が見えてくる。トクスが言っていた通り、周辺に民家はなく十分な広さがある。ドラゴンが別の場所へ移動したり逃げようとしてしまう前に、手早く仕留めなければ。
一足先にドラゴンを追っていたユリオが、すでに縄を片手にドラゴンの拘束に取りかかっていた。簡単に引きちぎられてしまわないかとトクスに聞いたが、幻獣が
実際、ドラゴンの首の太さに対して縄は遥かに細いが、どれだけ振り回されても千切れていない。地面に縄をつなぎ止めようとしている兵たちも全力で耐えているようだ。
アイビーたちもすぐに着陸し、トクスは真っ直ぐにドラゴンに向かって走っていった。彼の腕は一瞬で業火をまとい、暴れ回るドラゴンの前で意図的に炎をちらつかせ、気を引いていた。
見てばかりではいられない。アイビーは湖に駆け寄って水の柱を何本も作り上げた。脳内で思い浮かべるだけでも動かせるが、腕を使った方がより操作が確実になる。アイビーは一つ深呼吸し、勢い良く腕を前方に伸ばした。水の柱は命を与えられたかのようにかすかに黄金色に輝くと、すぐさまドラゴンに飛びかかっていく。
ドラゴンがなぜ炎を吐けるようになったかと問うた際、アイビーはシェダルにもう一つ質問をぶつけていた。
あたしはどういう幻獣なのか、と。
己がいかな種類か自覚のない幻獣が珍しかったのか、シェダルは初めこそ驚いていたものの、水を自由に動かせたり、凍らせたりできると伝えると、すぐに教えてくれた。
『ほぼ高確率で精霊――
シャガに連れ去られかけた時、リーニャの花畑でドラゴンに直撃した水柱も、恐らくアイビーが無意識に力を使っていたのだろうとシェダルは言う。
『きっと最初の〝名入れ〟が上手くいかなかったんでしょう。でも幻獣、水の精だと自覚しましたし、今後は自分の体も水に変化させられるようになると思いますよ』
激流を絶え間なくドラゴンにぶつけながら、アイビーは一瞬だけ指先に目を向けた。ごくわずかではあるが、先端がうるうると潤んでいるように見える。水に触れてもいないのに、ぽた、と一粒の雫が地面にこぼれ落ちた。
雄たけびを上げ、ドラゴンは首や飛膜の付け根、脚に絡みついていく縄を振りほどこうとしている。縄は特別性とはいえ、それを地面とつなぎ止める杭まではそうでないらしい。今にも抜けそうになり、それを抑えようと兵が慌てるが何人かが噛みつかれて宙に放り投げられ、湖に落下していった。
「俺やユリオがドラゴンの気を引く! 攻撃部隊はドラゴンの後方に回れ!」
「は!」
トクスの指示を受け、十数人の兵が素早く従った。彼らがトクスの部下なのだろう。よく見れば他の兵たちの軍服が黒色であるのに、トクスに従った彼らのそれは夜空のような藍色をしていた。
ごうっとトクスの炎がドラゴンの視界を覆う。猛火から逃れようとドラゴンが顔を振った時、待ち構えていたようにユリオが手からなにかを鋭く放った。それは左目に直撃し、耳を塞ぎたくなるような醜い悲鳴が上がる。
「刃物でも持ってるんだって思ってたけど……!」
ユリオは己の羽根を一つ引き抜き、刃と化したそれで貫いたのだ。
見ている場合ではない。アイビーはいったん湖に目を向け、その中に沈んだであろう者たちを陸に引き上げた。かなりの高さから落下したのだ。水面に叩きつけられ、溺れた果てにすでに息のない者もあった。間に合わなかったと表情を歪めて内心で謝っていると、ナシラに護られながら、ヘデラがそっと駆け寄ってくるのが映った。彼女は助かりそうな一人の兵に近づくと、小瓶のようなものを懐から取り出した。
小瓶の中には恐らく、幻操師としての力を作用させた血、それを薄めた水が入っているのだろう。兵がそれを口に含むと、痛みで歪んでいた顔が少しずつ和らいでいった。
再びドラゴンに意識を戻す。
アイビーの操る激流はドラゴンの全身を濡らしていた。そろそろ次の段階に進まなければ。ぐっと全身に力を込めると、甲高く澄んだ音を上げながら瞬く間に水が凍り、ドラゴンの動きが鈍くなる。
「撃てー!」
号令がかかり、ドラゴンの背後を陣取っていた兵たちが一斉に矢を放った。矢じりにトクスの炎をまとっている。星のように駆けたそれはドラゴンの決して薄くはない飛膜をやすやすと貫き、次々と穴を開けていった。
順調に追い込めていると思った次の瞬間、ドラゴンが炎を吐いた。アイビーは咄嗟に腕で顔を覆ったが、熱さは襲いかかってこない。恐る恐る腕を下げると、アイビーを守るように光り輝く半透明の膜が出現していた。
炎が消えると同時に膜も消える。今のは何かと視線を巡らせると、ドラゴンの後方でシェダルが肩で息をしているのが見えた。彼がアイビーたちを守ってくれたようだ。
「消火を!」
「分かった!」
ドラゴンの炎は草原を焼いている。ぱちぱちと音を立てて範囲を拡大させていくそれを、アイビーは一瞬で消火した。ドラゴンと格闘する兵の誰かが「すごい」と叫んだのが耳に届く。
ユリオは縄を片手にドラゴンに攻撃しつつ、今度は巧みに口を塞ぎにかかった。口さえ閉じてしまえば炎に振り回されることもないと思ったのだろう。
読みは正しかったが、甘かった。どうでしょう、とユリオがトクスの指示を仰ぎに地上に降りたった直後、ドラゴンの喉がごぼりと不愉快な音を立てて上下した。なにが襲ってくるか、トクスはすぐに察したらしい。
「全員、鼻と口を塞げ! 絶対に吸い込むな!」
言い終えるより早く、ドラゴンがわずかに口の端を持ち上げる。その隙間から毒々しい紫色の気体が這い出るように現れ、ふらふらと風に攫われていく。
毒だ、とアイビーは目を瞠り、腕で口と鼻を押さえた。幻獣とはいえ毒を食らえばただではすまないはずだ。トクスの指示に従いそびれた討伐隊の数名が、喉をかきむしりながら倒れていくのが見えた。
リーニャの人々を襲った遅効性の毒とは違うようだ。あの時と比べて周辺に充満していく時間が遅いぶん、ひとたび吸い込めば確実に仕留められるのだろう。
水で流せないかと水柱をぶつけてみるが、むしろこちらが毒に侵されて変色し、力を失くして地面に激突した。トクスは炎を飛ばし、毒を吐き出す口の隙間を埋めていたが、あまり効果は無さそうだった。
ふと、トクスがシェダルになにか指示しているのが見えた。シェダルは首が取れそうな勢いで何度もうなずくと、空中になにか記号を書いているのか、素早く指を繰ったあと、円を作るように右手を動かした。次の瞬間、先ほどアイビーたちを守っていた光の膜がドラゴンの顔付近に現れ、すっぽりと頭を覆った。
どうしてドラゴンを守るのだろうと初めは思ったが、違う。これ以上、毒が広がらないようにしたのだ。ドラゴンの毒は丸く覆われた膜の中に留まり、漏れ出てくる気配はない。己の体内で精製されたものだからだろう、毒が効いている様子はなく、もどかしそうに唸る声だけが聞こえている。
「アイビー、胸を!」
「すぐに!」
アイビーは水の柱を一本、細く鋭い氷に仕上げた。
この隙を見逃すわけにはいかない。キンと凍てついた氷の槍は真っ直ぐにドラゴンの胸に向かい、胸を深く貫いた。光の膜の中で、地鳴りに似た怒号が上がる。
「〈核〉を壊すつもりだったけど……!」
位置がずれてしまったようだ。そのまま氷で胸を切り開こうとした刹那、ドラゴンの体が大きく揺れた。破壊されると敏感に察し、最後の力を振り絞り始めたのだ。これまでと比べ物にならない剛力で縄をくくる杭を地面から引き抜き、破れた飛膜や損傷した瞳を次々と修復し始める。
させるまいとトクスが飛膜を焼き、その炎をまとったユリオの羽根の刃がドラゴンの体を傷つけていく。しかしどれだけ攻撃しても、十秒もしないうちに傷は跡形もなく消えていた。当然疲れも出てきて、攻撃にむらが現れてくる。
光の膜を維持し続けるのに限界が来たのか、シェダルが苦々しげに顔を伏せた。ぱちんと泡沫が弾けるように膜が消えるのを見計らったかのように、ドラゴンが無理やり口を開けて炎を吐きだそうとした。
「くっ……!」
ドラゴンが暴れている今、〈核〉の摘出は難しい。アイビーは氷を解き、今にも炎が漏れてきそうなドラゴンの口を包み込んだ。間一髪アイビーが間に合い、炎が出てくるはずの隙間からじゅうっと水蒸気が上がった。
アイビーの水が湖からもたらされるものに対し、ドラゴンの炎は吐く息が無くなれば勢いも弱まる。息を吸い込む瞬間に水をどっと口の中に侵入させようとするが、それよりも早くドラゴンがまた炎を吹く。その繰り返しだ。〈核〉を源とするアイビーやドラゴンは簡単に疲弊しないぶん、硬直状態も長かった。
――いつまでもこのままじゃ、トクスたちの力が尽きてしまう。
状況を打開する一手に欠けている。戦闘経験に疎いアイビーでも分かっていた。
ドラゴンが動いている限り、〈核〉の破壊も摘出もうまくいかない。どうにか大人しくさせられないかと眉を寄せたアイビーは「あっ」と小さく声を上げた。
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